観念を変え 花粉症の症状が消えた
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2021年3月14日】私は最近苦しい病業の関を経験しました。まず、観念を変えることから始めて、緩めずしっかりと正念を持ち続け、最後にやっとほぼ毎年経験する魔難から抜け出しました。

 正しくない一念が仮相を招く

 常人の一般的な認識では、日本に長く住んでいる人の10人中9人が花粉症に悩まされていると言われています。日本に来て22年になる私は、数年前からそれを克服し始めました。良い時もあり悪い時もあり、徹底的に乗り越えられませんでした。1週間ほど前のある朝、煉功をしているとき、突然くしゃみが出ました。その時の、私の反応は「もしかしたら花粉の季節が来たのではないか」という一念でした。この間違った考えが病業の仮相を招いてしまいました。すぐに、くしゃみ、涙目、鼻詰まり、目や喉のかゆみなど、いわゆる花粉症の症状が次々と現れました。

 最初、これは師父が業力を消去して下さっているので、良いことだと考え、正念で対処していましたが、実際には100%信じることができず、花粉のアレルギー症状を恐れる心がありました。その後、症状は軽減するどころか悪化していきました。 一日中、鼻水が流れて、拭き続け、鼻の周りの皮膚は傷口に塩を振りかけたように痛くてたまりませんでした。その後、アレルギー症状が喉にまで達し激しい咳が始まり、さらに頭がフラフラして重く感じました。

 その辛さはあまりにもリアルだったので、時間が経つにつれ、私の正念がだんだんと弱くなっていき、口では良いことだと言っていても、心の中では様々な痛みや痒みによって焦燥感や無力感が生じ、最後には良いことだと思わなくなりました。この時、私は生死の関を乗り越えている同修たちのことを本当に理解するようになり、痛みの程度や痛みの時間が長くなると、強い正念がなければ、その関を突破することは本当に容易なことではありません。

 観念を変え 関を乗り越える

 夜、一日の考えを整理しました。最初の頃は、正念を持っていて良いことだと思っていましたが、苦しみが大きくなるにつれ、だんだんと正念がなくなってきました。これは、まだ仮相を真実として捉えていることになります。そして、私が「仮相であると心から信じているなら、心は落ち着いており、心配も恐れることもないはずです。しかし、自分は心の奥底にある花粉症に対する恐怖があり、まさに恐れる心です。というのも、毎年この症状に悩まされていて、この実在的な辛さに騙されていた」と自問自答しました。

 師父はこのように説かれています。「なぜかと言いますと、怖くなれば恐怖心が生まれますが、それはほかでもない執着心ではないでしょうか? 執着心が現われれば、それを取り除かなければならないのではないでしょうか? 怖くなればなるほど、本当に病気にかかったような気がしますが、その心こそ取り除かなければならないものです。そこから教訓を学ぶことによって、あなたは恐怖心を根絶し、高まってくるのです」[1]。「例を一つ挙げましょう。昔、ある人がベッドに縛り付けられて、腕を持ち上げられ、血を流してやると脅かされました。それから彼に目隠しをして、腕にちょっと傷をつけて(実際は血が全然出ていない)、そして蛇口をひねり、水の滴る音を聞かせますが、本人は、自分の血が流れているように錯覚し、しばらくすると死んでしまいました」[1]

 自分は、例の人は出血して死んだのではなく、彼の死は彼の恐れる心によるもので、恐怖のあまり死んでしまったことに気づきました。人の恐れる心がこれほど深刻な結果をもたらし、恐怖心が人を死に至らしめることがあるとは、なんと恐ろしいことでしょう。この心を見つけたとき、「これを取り除かなければならない」と思い、全くの虚相だと認識して、観念を変えました。もし、それを虚相と思わずに、この症状を真実として受け止めれば、まだ普通の常人と同じように考えているということになり、この点において自分の考えは超常的になっていないので、もちろん普通の常人と同じような症状が現れるのです。それは、私がまだ法を完全に信じていないということです。

 考え方を変えてから、夜中に目が覚めて試練が来ました。また昼間と同じような症状が出てきて、心の中で「これは仮相だ」と思い、それを認めませんでした。 まるで自分が役者になったかのように、この苦しみは偽物だから、もちろんもう怖くありません。その後、表面上では何度かくしゃみをし、涙を流しましたが、内心では動じませんでした。心が落ち着いた状態で、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じながら眠りにつきました。

 翌朝、起きてまず坐禅をすると、またもやくしゃみが連発し、鼻水が出てきました。このままでは、煉功を妨げてしまうのではないかと思い、師父の法を思い浮かべました。「実を言いますと、本当に修煉すれば、最初からいろいろな功能が現われており、あなたはすでにかなり高い次元に入っているので、相当多くの功能を持っているのです」[1]、「意念が功能を支配して働かせます」[1]。 そして、自分の功能に「鼻水をすぐに止めて」と指示しました。

 奇跡的に鼻水がすぐに止まったので、大きな自信になりました。最後の10分間の坐禅に入ったとき、足が激しく痛み出し、「業力をここで消去しなければ、いずれ他のどこかで消去するようになる」と思い、どんなに痛くても、師父がおっしゃった「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[2]の通りに、煉功の音楽が終わるまで我慢しました。このようにして、その日はアレルギー症状がほぼ消えました。

 多く法を学ぶことによって、正念を持ち続けることができる

 師父は「法を多く勉強すれば正念が強くなります」[3] と説かれたことがあります。関に直面する時に、法をはっきりと認識し、正念を持ち続ければ、スムーズに関門を通過することができます。しかし、正念を持ち続けたいのであれば、唯一の方法として法を多く勉強するしかありません。そのため、日中に一講を読んで、1ページを暗記し、夜になって再度本を手に取り、どんなに辛くてもじっくりと読み続け、心を込めて勉強しました。それがあるから、夜中に目が覚めたときに、正念を持って対処することができました。

 今回をまとめると、病業の仮相はどんなに真実に見えても、真実として受け止めてはいけないことを学びました。また、その辛さや苦しみを理由に恐れてはいけません。この恐れる心は難を深刻にさせるからです。どんな難関に出遭っても、早く観念を変えて正念を持って対処すれば、必ず乗り越えられます。

 以上は、私が今の次元で悟ったことですので、法に則っていない所があれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪法解』
 [3] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/10/421871.html)
 
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