【慶祝513】善を以って子供の純粋な本性を啓発する
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2021年4月11日】私は1987年に師範大学を卒業後、中学校の教師になりました。1992年市全体の教員評価制度で「第一位」を獲得し、その数年後も多くの賞や栄誉を獲得し、当時の同僚と同級生の目にも「きわめて優れた人」とされていました。

 この過程の中で、私の名声と利益への欲求も日増しに広がり、心が落ち着かず気がざわついていました。さらに授業で生徒に対して怒鳴り声をあげるシーンもあり、また頭に来て授業を投げだして教室を出て行ってしまったこともあり、後にまた私に戻ってくるように生徒は必ず謝罪しなければならず、それでやっと物事を収める気になりました。その時は授業の準備や参加は、自分の楽しさを図るだけで、生徒の受け入れ能力を考えず、さらに子供たちの年齢的な特徴や心理状態を観察せず、要するに、その時は「自分」が中心であり、他の人の気持ちを考えたことはありませんでした。その時の同僚や同級生の私に対する印象は「傲慢」でした。当時は確かに「自分は素晴らしく、誰よりも強い」と感じており、その結果として後に自分の体の状態を悪化させ、いつも頭痛とひどい不眠症で医学上治療不可能な「メニエール症候群」になりました。

 1997年1月のある日、母の家で『轉法輪』を読みました。大法の法理は私を深く惹きつけました。人の病気の本当の原因が何であるかが分かり、幼い頃から好奇心旺盛で神佛に惹きつけられて来たのはどういうことなのか分かりました。私は幸いにも自分で本当の修煉の法門を見つけることができ、さらに自分には修煉を指導してくださる師父がいらっしゃいました。

 教鞭をとることは重要で人を育てることはさらに重要である

 私は貪るように法を学び、学べば学ぶほど素晴らしいと感じ、学べば学ぶほど理解し、学べば学ぶほど仕事をしても気が楽で、学べば学ぶほど生活がシンプルで充実していると感じました。毎朝煉功を終えると、言葉では言い表せないほど体がリラックスし、気分が陽気になりました。すぐに私は法を書き写し、法を暗記し始めました。いつの間にか体のすべての不快な症状が跡形もなく消え、心態がどんどんよくなりました。

 この時に再び生徒たちを見て「彼らは私の生徒であるにとどまらず、可愛くて可哀想な生命である」と言うある種の漠然とした思いがありました。授業の時、私は子供たちに知識を教えるだけではなく、同時にまたどのような人になるのかという大法の中の道理を授業の内容に溶けこませ、さらに授業の時は毎回、私はいつもビデオの中で師父が私たちに説法をされた時の慈悲深く思いやりのある声や姿を思い出すことができ、自分が生徒に対して話をする時の語気と態度も穏やかで、友好的になったことに私は気づきました。再び腕白でいたずらな生徒に会った時、落ち着いていたずらな生徒たちとコミュニケーションをとることができ、最終的に他の教師が嫌がるいたずらっ子達と友達になったことに気づきました。

 師父は『精進要旨』「悟」の中で「正邪を識別して、真の経を得て、その身を軽くし、その智慧を豊かにし、その心を充たして、法船に乗って悠々としています」と説かれました。私は絶え間ない学法の中で明確な知恵が常に開かれていました。授業の前、ほとんど準備する必要がなく、ただ教科書に少し目を通すだけで、授業の筋道が一層一層と展開されました。私の授業は活発で面白く、生徒はリラックスして楽しく学びました。私が所在する学校の校長の娘と主任の姪が私のクラスにおり、校長とこの主任は満足げに私に、子供たちが家で宿題をしているのを見たことがないと言いました。それは子供たちは学校でとっくに宿題を楽々とやり終えているからです。さらに子供たちの成績は97点を下回ることはありませんでした。

 毎年学期末に、学校のリーダーはみな教師たちを一度審査しなければならず、生徒たちに匿名の形式ですべての教師に対する評価を書かせました。私は1997年に法輪大法を修煉してから、生徒たちの私に対する評価はいつも「最も和やかで親しみやすい先生」でした。リーダーと同僚たちの私の人となりと教育レベルに対する評価も最高でした。連続2回の「模範教師の評価」の中で、教科の教師全員が私を「上級」としてバックアップしてくれましたが、私は2回の「上級」の栄誉を年齢が少し高い教師に全て譲りました。自分が大法の要求に基づいてどんな状況でも他人のことを考えることができ、名利を目の前にして落ち着くことができることに、心の中で喜びを感じました。

 1999年に大法に対して弾圧が発動され中傷された日々の中で、学校のリーダーは再び私を「上級」教師として指名しました。学部長は私に幅6センチ大の写真を出すように言いました。翌日学校の玄関の表彰板に貼り付けるためでした。家に帰って私は「大法は私に健康な体を与えてくださり、幸せに働かせてくださり、リーダーを安心させ、親を満足させ、大法は私に能力を与えてくださり、人生の知識と原則を生徒に伝えさせてくださったのです。ですから皆の認識と尊敬を得たのであり、大法の強大な威徳と偉大さを証明するため、これらのすべてを実証しなければならない」と思いました。そこでその夜私は写真の上に「法輪大法修煉者」と誇りを持って書き、そして翌日リーダーに提出しました。

 副校長が私に「法輪功を修煉していない時でも、あなたは真面目に行うことができていましたよ」と不満を漏らしました。私は副校長に「私は大法を修煉する前は、仕事の中で不満や後悔があり、大法を修煉した後、恨まず悔いを残していません」と穏やかに言いました。リーダー(訳注:副校長)は無言のままでした。主任は力なく「この形勢下で、あなたがこんなことを書いたら、おそらく……」と言いました。主任達は私の写真を張り出すのを恐れており「上級」はおそらく取り消されるだろうと言うことでした。私は「かまいません、法輪大法を修煉することで初めてこんなにしっかり行うことができるということを皆さんに認めていただければそれでいいのです」と落ち着いて言いました。主任は頷いていました。

 2000年、私は1人の市民に真相を伝えたために、相手に罪に陥れられて不当に留置場に拘禁されました。留置場の警官は何度も私に「あなた達のリーダーのあなたに対する評価は特別に良く、特別に高いです」と伝えました。その後に地元の警察署が学校のリーダーに私を学校内で拘禁するように脅し、学校の教師が順番に宿直で私を見張っていた時、見張りの教師たちはみな絶えず私に手紙を届け「生徒たちは皆、あなたがいつ彼らの授業に戻ってくるのかと聞いています」と言いました。

 私が自由を獲得したその日に出勤した時、私が教えているクラスの担任が「生徒たちは、あなたが授業にでる時彼らはあなたを驚かせるでしょう。クラス担任である私を参加させず、私はあなたに話してはいけないそうです」と伝えてくれました。私が早朝読書のために教室に足を踏み入れた時、拍手の音が響き、クラス全員の生徒が立ち上がり、声をそろえて「先生、クラスにようこそ!」と言いました。生徒たちは黒板を見るように私に促しました。見ると、黒板に色とりどりのチョークで凝ったデザインで「先生、ようこそ!」と英語で書いてありました。生徒たちの熱烈な歓迎に感謝した後、私は生徒たちに真相を伝えました。子供たちは頭を下げて熱心に耳を傾け、教室の中は水を打ったように静まりかえり、私は子供たちの心の中のプレッシャーと悲しみを感じとることができました。

 自営で学習塾を開始

 その後私は大法のために正義の声を上げに北京に行って陳情したために、学校は圧力に押されて私を追放しました。その後の日々の中で、同僚および親戚と友人は絶えず私に生徒を紹介し、私は流れに乗って学習塾を始めました。大法の絶えまない浄化に頼り、私は自分が修煉者であることを忘れず、子供たちと接触する中で、私はできるだけ自分の最善の一面を表し、子供たちが大法の真相をたくさん理解し、大法の真相を理解したことで福報も多く得ました。

 ある中学3年生の女生徒は、高校入学試験が近づいていた時に私に会いました。私はその生徒に補習授業を行いながら、大法の真相を伝え、その生徒は注意深く耳を傾け、真相を理解し、さらに爽やかに少年先鋒隊を脱退しました。そして高校受験の時には予想外の成績をとりました。その生徒の母親が塾代の支払いに来て、謝罪と感謝の気持ちを伝えてくれました。その母親が謝ったのは生徒の母親自身が火傷を負っていたために一度も教師の私に会いに来なかったことであり、感謝していたのは子供がこんなに短時間に良い成績をとれたことでした。当然その母親も私が伝えた大法の真相を喜んで受け入れました。

 さらにある中学3年生の女生徒は父親を連れて私に会いに来ました。私に会うと、この父親は学校の教師たちがしっかり教えてくれないと話しました。また教師たちは課外授業をしてお金を稼いでおり、父兄は多くのお金を使っても、子供の成績はそれでも上がらなかったと、滔々と止まらずに私に伝えました。私はその父親の心配を見て、子供が私に学ぼうとしても学ぶことができず、再びお金を使わなければならないことを心配しているのだと分かりました。私はまずその女生徒とその父親に大法の真相を伝え、また現在の学習の方向性と方法を指導しました。私は「彼女は将来私から学ぶことはなく、彼女に何か得られるようにしなければならず、大法弟子が良い人であることを彼らに感じさせなければならない」と思いました。2人が帰る時さらにもう一度この父親に「お子さんとよく相談し、お子さんに補習授業を強制しないで下さい」と言いました。

 その女生徒とその父親は家に帰るとすぐ電話してきて、子供は私から学びたがっている、と言いました。この女の子はダンスが大好きで、補習授業の期間に私はこの女の子に神韻ダンサーたちのダンスのビデオを見せました。そして短時間で女生徒に補習しましたが、それは女生徒とその両親の期待を超えた学習内容でした。最終日に母親が女生徒を迎えに来て、私を見るなり「子供は家でずっと先生を誇りに思い、彼女は先生が大好きです!」と言い続けました。

 さらにある中学3年生の女生徒の父兄は偶然私に会いました。女生徒の母親は女の子を迎えに来る時にいつも私に「私たちの子供は先生が大好きで、ここは料金がこんなに低く、またこんなに熱心で、私たちは先生にとても感謝しています」と言いました。私はその女生徒とその母親に大法の真相を伝え、そして大法の真相が入ったUSBフラッシュメモリーを女生徒の父親に贈りました。最後の授業が終わった時、女生徒の父親がどうしてもお金を多く払いたいと言い、私はその父親にお金を返すために長い距離を追いかけましたが、追いつくことが出来ませんでした。

 ある男の子は、家族がただ外でお金を稼ぐことだけを気にし、男の子に対して関心が低く、子供は内心孤独で、生活と学習に対して興味を失っていました。私はその男の子と腹を割って話し、諭し、男の子を励まし、さらに男の子に大法の真相を伝えました。この男の子は感動し、私と気のおけない仲になり、私に煉功を習い、さらにどのようにすればネット封鎖を突破できるのかを聞きました。その後にその男の子の母親が私に会って「子供はいつも家で壁に『法輪大法はすばらしい』、『真・善・忍はすばらしい』と書いています」と言いました。その後この子供は納得がいったかのように、成績が急上昇し、また明るく活発になりました。その男の子は大法の真相を理解して福報を得たのだと私にはわかりました。

 私が教えた子供の中には幼稚園児がおり、小学生がおり、中学生と高校生もおり、年齢の異なる子供がみな喜び私と腹を割って話し、私は子供たちの立場に立って子供たちを理解することができ、子供たちに関心を持って励まし、子供たちを友人とし、子供たちに関心のある話題を話したので、子供たちの最も純粋で最も善なる本性を啓発し、「真・善・忍」のすばらしさを子供たちに示しました。ある3年生の女の子は私に「先生、先生は特別親しみやすくて、まるで菩薩のようです」と言いました。

 弟子に何度も向上の機会を与えてくださった師父に感謝し、この縁のある人たちを私のところに送ってくださった師父に感謝申し上げます。

 師父の慈悲なる済度に感謝申し上げ、師父に感謝いたします! 合掌

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/5/13/405077.html)
 
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