恨みの裏には何があるのか?
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2021年4月11日】ここ数日、恨みの心がかなり頻繁に出ていることに気がつきました。外的なことに触れずに、過去のこと、誰にどんなふうにひどい扱いを受けたとか、あの時の自分はあまりにも愚かだったとか、いまの自分だったらあんな風にいじめられなかっただろう、等など頭の中で思い出しています。

 冷静になって考えてみると、このような考え方は間違っています! 大法の要求にはほど遠いのです。私の修煉状態が低下した訳は何でしょうか?

 怨恨という敗北物質であることがわかりました。怨恨の裏には名声と利益と情があります。実は、誰と接しても物質的な場が存在している、私たちの目には見えないだけです。

 個人的には、同僚や友人、親戚などと話すときに、とても楽しく明るい気持ちになれる時もあれば、そうでない時もあり、とても落ち込んでいました。その後、考えれば考えるほど、何か悪いことをしたかのような気がしたり、厳しいことを言ったり、失礼なことを言ったような気がしたりして、とても悔しい思いをしています。

 この悪い状態は私を悩ませ、乱れさせ、無意識のうちに、自分のIQが足りないように感じ、脳が素早く反応せず、他人から軽蔑され、大法の素晴らしさを人に見せることができず、修煉がうまく進んでいないことで常に自分を責め、時には他人への否定的な心と恨みを深めていました。

 師父は「別の空間のすべての物質は皆生きているものです。私は以前このことを話したことがあり、講習会でこのことを話したことがあります。その業力も生きているのです。あなたが業を消滅しようとしますが、その業が消されると、それは死んでしまい、無くなってしまいます。それではそれは承知できますか? あなたがそれを殺そうとしていますが、それは承知できるのですか? それはすでに生き物なので、だからあなたに修煉させないようにします」 [1]と説かれました。

 師父の法は私を啓発させてくださいました。怨恨の背後には名声、利益、情があり、一見外的要因の影響下で生じたものですが、表面上、他の人と仲良くする過程で楽しいか楽しくないかですが、本質的には、修煉の要因が存在していることを知りました。楽しいときは、自分の修煉状態が非常に良いか、あるいは、自分の観念に符合している可能性があります。私たちが楽しくないときは、名声、利益、情の物質を取り除くべきかもしれません、そして心性の向上を必要とします。しかし、この名声、利益、情は他の空間にも存在している物質で、それは生きていて、触れると抵抗し、人間の表面に反映されると、いくつかの否定的な物質、消極的な恨みなどが有ります。

 20年以上修煉をしてきましたが、今日はこの恨みの心の源を認識し、弟子はこの執着を取り除く修煉をしなければなりません。師父は私の欠点を気づかせてくださいました。師父の慈悲なる済度に感謝いたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『法輪大法議解』「北京法輪大法輔導員会議での提案」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/25/421332.html)
 
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