【慶祝513】キャンパス内の高潔な人
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年5月8日】私は中国の重点高校(訳注:大学進学率が高い高校)の教師で、1994年4月に法輪大法の修煉に入りました。

 当時私が所属していた学科組織の責任者が退職することになり、学校のチームが新しい人選を討論した時、副校長の一人がまず私を推薦し、私が同僚と仲良くしており若くて業務がずば抜けており省内に一定の影響力があり長い目で見ると学科の発展に対して有利である、と副校長は思いました。他の上司がすぐに質疑し、私が法輪功をずっと修煉しているので学校に迷惑がかかることを心配している、ということを言いました。続いて、学校のチームは再び他の人選を考慮しましたが、みな理想的ではないと感じました。最終的に、私を推薦したその副校長が再度態度を明らかにし、私が法輪功を修煉してからもともとの病気がみなよくなりさらに長年優れたクラスを教え名利を追わず利益を求めず最も適している、ということを言いました。

 学校の指導者チームが最終的に決定し、私が新しい学科の責任者になりました。校長が私と話をした時、全体の推薦過程を話しました。私はその時に感動し、なぜならその時は大法はすでにひどい迫害に遭っており、学校のリーダーは何が正しく何が間違っているかを知っていて、この決定を行い、とても得難いことでした。私は校長に「私は本当に責任者になろうと思ったことは一度もなく、リーダーの私に対する信任を見て、私はこの話を受けることにしました。さらに適格な人選があった時には、私は辞退します」と言いました。

 利益を重視せず組織の風紀を正す

 当初の学科組織は調和がとれており、その後しばらくしてから、数人の教師の間でトラブルが起こり、深い不満を抱き、組織内の雰囲気が緊張し始め、学校の最も調和のとれていない典型的な学科組織になりました。トラブルの起因は実際は「金」の一文字であり、数人の教師が民間の形式で学生の練習問題を編集し、本校の学生に売った以外に、さらに他の学校にも販売しました。多く編集し、多く販売した者は、多くのお金を得、責任者(推進役)はさらに多くを得ました。

 その時まだ課外授業を行うことは一般的ではなく、教材を売って獲得した報酬は少なくない収入でした。組織内の大部分の教師がみな学生の練習問題の編集に参加し、その中のお金をあまり得られなかった数人の教師が分配が不公平であるとうらみ「私が編集した問題も他の人と比べて少なくなく、どうしてもらえるお金が少ないのですか?」と責任者に質問しました。責任者はそれを聞いて心を痛め「組織の編集から販売まで、何事もすべて自分が処理し、少し多く取るのは、理不尽なのか?」と思いました。それで喧嘩が始まりました。その後、トラブルは次第に深まっていきました。

 学校のリーダーはかつて調停に名乗りを上げ、効果はほとんどありませんでした。このような緊張した雰囲気が何年も続きました。その時私はまだ修煉しておらず、自分は若く、お金を稼ぐ機会はまだ多いと感じ、この利益の争いに巻き込まれませんでしたが、心の中では少し多めのお金を希望していました。

 今、私は学科の責任者になり、また一人の法輪大法修煉者であり、私は大法の中で修め出した誠実さ、善良さと寛容さを用いてすべての教師と仲良くならなければならず、みんなを導き調和をとり、向上し、活力に満ちたグループを作らなければなりませんでした。

 私が就任した後、最も手を焼いたことはその年の高校3年生用の練習問題用の問題を編集することでした。私はこの件からやり始めました。問題の質と量を確保するために、数人の主要な教師と相談し、全チームの力のある編集者を引き抜きました。これは本校でやはり最初のことでした。私はチーム内の教師の会議で「この資料ですが、この資料は私たちの学科組織の知恵と汗を体現しており、この資料は私たちのこの名門校のレベルを体現しており、少なくとも省内で最もよい資料であり、これは金銭で量ることのできるものではありません。ですから、資料はただ本校の学生だけに使用するのではありません。今回高3で使い終わり、完成したら再び次の学年に伝えて用い、私たちは学生のお金で儲けることはせず、ただ費用だけを受け取ります」と私の考えを伝えました。みんなも私の考えに同意しました。

 その後、私は学校のリーダーに指示を仰ぎ、資料を編集した教師に学校が原稿料を支払うことを希望し、それは一つの励ましであって、すぐにリーダーの同意と賞賛を得ました。みんなが一致して私を編集長に推薦しました。私は一日中問題に没頭し、一問ごとにチェックし、不適合であれば差し替えました。最初の年、原稿料をみんなに均等に分配し、私の分もありました。その後、私は一銭も求めることをやめました。私はみんなに「私は学科の責任者で、毎月いつも固定の手当があり、私の報酬はすべてそこに入っています」と説明しました。

 私は他の人にできるだけ多くお金を分けてあげたかったのです。私は大法を修煉しており、何かをする時は他の人のことを考えなければならず、もっと人の事を先に考えなければならず、みんなをお金のことで再び悩ませ、仲たがいさせるわけにはいきませんでした。1年後、学校のリーダーは私たちの学科のやり方を、全校に普及させました。

 誠実に無私に心から青年の教師のために道を開く

 私たちの学校はほとんど毎年いつも省と市の授業の公開授業の任務を引きうけており、さらに2年に一回の全国範囲の上質授業の選考を引きうけており、公開授業と上質授業の選考はみな青年教師が向上し、実践を行う良い機会でした。現在の公開授業の要求は高く、革新的であり、人々に輝きを与えることが求められるので、よい授業を思いつくのは非常に難しいことでした。さらに青年教師は練達しておらず、経験も少なく、基本的にみなインターネットから手あたり次第集めてきたもので、体系的ではなく、いつも第1回目の実演講義で落とされました。

 若い教師がこの困難な一歩を踏み出すのを助けるために、私のやり方は「まず授業を行う教師が一つの方向性の意見を出し、授業を行う教師に戻ってもらい自分で準備させる」ことでした。同時に、私も心を込めて完全な教育プロセスを設計し、その後に授業を行う教師と繰り返し交流し、共通認識を得た後に初稿を作成しました。実演講義の後、再び真面目に他の教師の提案を聞き取り、さらに改善しました。

 以前の公開授業では、誰も私のように行っておらず、他の人の公開授業を自分の公開授業として準備していました。このように行ったので、多くの労力が必要になるだけでなく、引きうけた責任や圧力も比較的高かったのでした。私も大法を修煉していたからこそこのように行い、心の底から行い、私たちのこの学科組織のためだけではなく、若い教師の向上のためであることも確かでした。このように開始された公開授業は、毎回いつも省内外の同業者から広く賞賛されました。ある時省級の公開授業では、業務を行う校長も現場に行き、聞き終わった途端「あなたたちの授業は、本当にどんどんすばらしくなっていく!」と口から出ました。

 およそ本校の教師が参加している省級と国家級の上質授業のコンテストに、私はいつも一緒に行きました。私は参加した教師たちに「私が行くのはあなたたちを応援するためであり、選考委員会にこねを使うためでは決してなく、不適切な手段で栄誉を得てはならず、私たちは正々堂々と勝負し、実力で選考委員会の承認を勝ち取らなければなりません」と言いました。

 青年教師の急速な成長は、全体の科学研究と授業のレベルの向上を促進し、学科組織に新しい生気と活力をもたらしました。

 数年が過ぎた後、私たちのこの学科組織は、4人が国家級の上質授業で最優秀賞と特別賞を受賞し「省のホープ」という称号を獲得した人数も学校のすべての学科の中で最も多かったのでした。学科組織は変わり、栄誉を最も多く獲得した学校になり、教師の資質も最も強いグループになり、続いて学校級、市級、省級の先進学科組織として評価されました。自然に校内の各学科組織の手本になりました。若い教師は学校の授業の中堅となり、省と市の学科で教科指導者や有名教師、および学校級のリーダーになりました。

 学科組織は変化し、学校のリーダーおよびすべての教師が法輪功修煉者のその誠実さと、無私と善の心を目の当たりにしました。

 私と年齢が同じぐらいの年配の教師が、全クラスでのディナーパーティーで「あなたはとても正直で、無私無欲で、多く努力し、学科組織はあなたのおかげで完全に変わりました。若い教師もみな成長し始め、今みんなは楽しく一緒に座っており、本当に感謝いたします!」と言いました。

 差別の心を修めて取り除きすべての学生を大切にする

 昨年(訳注:2019年)の後期、私は高校2年のクラスを新しく受け持ちました。ある学生が授業中にすぐに寝てしまうのに気づき、私は机の前まで歩いて行ってその学生を起こし、次の授業でも状況は同じでした。私は事務室に戻り、前回のクラスの試験の順位をチェックしたところ、その学生は一番下で、私は少し気が沈みました。自習の時、私はその学生に会い、その学生に「どうして授業を聞かないのですか?」と聞きました。その学生は「わからないからです」と言いました。私は理解し、どうりで宿題もいつも出していないわけでした。私がその学生の授業のノートを見せてもらおうとすると、その学生は「何も書いていません」と言い、私は驚きました! 私たちのこのような学校で、ノートを取っていない学生を探すのは困難です。私は前回の授業で習ったいくつかの知識のポイントを黙って書き留めるよう頼んだが、その学生は半分も書くことができなかった。私は打ちのめされました! その学生が取りこぼしたものはあまりにも多かったのでした。

 しかし私は「トップの学生に対しても私はこのような気持ちだっただろうか? 私のこれは差別の心ではないのか? これは大法の『善』と逆ではないのか?」と考えてみました。私はすぐにその学生を助けるためのアイデアを思いつきました。私はその学生に「あなたは今追いつこうと思えばまだ追いつけますが、多くの困難に耐えなければなりません。私はあなたに提案しますが、今日ノートを買って、明日から始めて、授業でノートを取り、ノートを取らなければならないすべての内容はみな黒板かあるいはパワーポイントの教材の中にあり、毎回の授業で私はいつもみんなに注意を促し、あなたも注意して聞き、毎日宿題をやる前に、まず前回の授業で学んだ要点を一回覚え(あるいは一回復習させ)、それから再び練習問題をやります。これから数日間、あなたも私の事務所に来て宿題をするようにして、できない問題は聞いてください」と伝えました。私はその学生に「自信がありますか?」と聞きました。その学生は私に「昼食を食べ終わった後に行ってもいいですか?」と言いました。私は「いいですよ!」と言い、私はしばらくの間その学生を導き、その学生に自信を取り戻させたいと思いました。

 その後、その学生はまるで別人のようになり、授業で全神経を集中し、先生についていきました。私はその学生に「宿題の基礎問題はできるだけしっかりやらなければならず、難しい問題はしばらくの間はあきらめましょう」と伝えました。その学生の成績は一歩一歩向上していきました。

 1年後、仕事の移動のため、私はこのクラスを離れました。離れる前、クラスのすべての学生がみな私に手紙を書き、その学生は手紙の中で「他の人はみな私に『努力して学ばなければならない』と言っていますが、今までどのように勉強するのかを誰も教えてくれず、他の人は毎日私の成績が良くないと皮肉を言い、私の問題がどこにあるのかを今まで誰も見ようとせず、いつも私に説教し、基礎から私を助けてくれる人はほとんどいませんでした。しかし先生は違い、先生は本当に私を助けてくれ、どのように学ぶのかを導き、努力の尊さを教え、私は自信がつきました」と書きました。「先生、ありがとうございました。先生は私の一生に影響を与え、これから頑張って勉強していきます!」私は手紙を読んで感動し、また慰められました。その学生が得たものは学習の上での自信と成績の向上だけではなく、さらに重要なことはその学生の成長の中で「誠実さ」と「善良さ」の種を植え付けたことでした!

 学校の学生評価の中で、私は何度も「学生に最も歓迎される教師」という称号を獲得し、政府が発行した「教育・教職への貢献度優秀賞」を二度獲得しました。

 2017年の終わりに、職場である学校の中国共産党(以下、中共)の党委員会の書記が私に「あなたは学校のヒーローで、この数年は名利を追わず、利益を主張せず、組織は2万元のお金を出すことを決定し、あなたはあなたの奥さんと一緒に海南島に言って数日過ごし、リラックスして下さい。お金は銀行から出しあなたに送ります」と言いました。私は「そんなことする必要はありません、休みは家で休憩をとればそれでいいです」と言いました。再び2日間が過ぎ、ある代理人が私の事務所にお金を持ってきて「このお金は必ず受け取って下さい。そうでなければ私は上司に報告できません」と言いました。

 その代理人が帰った後、私はお金を持ってあの書記の事務所に行き、私は「リーダーに心配していただきありがとうございます、しかしこのお金を私は受け取ることはできません。なぜなら私は法輪大法を修煉しており『真・善・忍』の要求に基づいて行わなければならず、私は仕事をしっかりと行うだけです。仕事の上での成績は、みんなが努力した結果であり、私はただその中の一員に過ぎません。お金はいりませんが、リーダーのこのお心遣いは必ずお受けいたします!」と言いました。

 以前私はリーダーに大法の真相を伝えたことがあり、リーダーは大法に対して好感を持っておられ、今回私は再びさらに多くリーダーに伝えました。帰る時、リーダーは「あなたは他の人とは違います。あなたの考えを尊重しましょう!」と言いました。

 大法は人を善に向かい、良い人になり、さらに良い人になるよう教えられています。師父は「善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです」[1]と説かれました。私は師父の法を心に留め、自分をしっかり修め、勇気を持って前進します!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「境界」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/5/12/405076.html)
 
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