文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年5月8日】中国において、邪悪な共産党による大法弟子に対する迫害が始まってから、ある同修は小グループ学法に参加したくなくなりました。家にいた方が安全だと思っています。一部の同修は迫害を受けて、同修に迷惑をもたらすことを恐れて小グループ学法に参加しなくなりました。このように思うと、自分で同修との間に隔たりを作ってしまいます。実は同修も、他の同修が再び迫害されるのを見たくないので、迷惑がることもありません。かえって手助けになります。同修達ももっと強い正念を発することができます。
ある同修は迫害されることを恐れて、同修を自分の家に学法に来させないようにしています。この種の隔たりが、自分と全体の力を弱め、考えがはっきりしていないのです。全ての隔たりは法に符号していません。もしかすると、師父の言うことを聞いておらず、旧勢力の按配の道を歩んでいることになるでしょう。邪悪は方法を尽くして私達に隔たりを作り、私達の学法グループを破壊します。
師父は私達に残された修煉形式は、全体の学法、全体で煉功、法会を行うことです。師父は私達に教えてくださいました。「法を学びて、法を得る 比して学び、比して修す 事々対照し 做すところ到るは是れ修なり」[1]。
この2年来、迫害によって、ある老年同修は表向きでは学法、煉功、発正念を重視しているように見え、法を実証することもやっています。しかし、長期にわたってグループ学法の修煉環境がありません。ある人はめまいがして入院し、家に帰ってから薬から離れられなくなりました。薬を飲むたびに、大法に対する信念が揺らぎます。私達は法理では理解しているように、師父が巨大なものを植え付けてくださっており、病気は私達の体には現れてきません。現れてきてもそれを滅します。業力がやってきても消滅するのではなく、多くの業が白い物質に転化され、徳に転化され、功を伸ばしてくださいます。
迫害が始まった最初のころ、私はある夢を見ました。私たち数人の同修が並んで歩いています。邪悪が叫んでも私達を動かすことができません。自分で自分に隔たりを作ってしまったことで、かつての協調人が病業によってこの世を去りました。同修に迷惑をかけないため、ある同修は迫害を解体するチャンスがありましたが、最後に不当判決を受けてしまいました。5本指は、伸びた状態では力が入りません。拳を握ればエネルギーが出ます。恐れることは求めることであり、恐れるものがあれば、それがやって来るのです。恐れがなければ解体できるのです。最後の道をしっかり歩むには、学法グループに参加し、全体で学法し、煉功し、発正念することが大切で、交流するチャンスもあります。このようにすれば、隔たりをなくすことができ、全体が向上し、最後の道を正しく歩むことができます。
注:
[1] 李洪志師父の詩:「洪吟」「実修」
【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください。】