目が不自由な人の修煉物語「大法は私の心に灯をともした」
■ 印刷版
 

 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年5月9日】私は農村部で生まれました。今年89歳の女性です。幼い頃から学校に通ったことがなく、両目が不自由で、字が全く読めません。私が今まだ生きているのは、全て大法の師父が私に第二の生命を与えてくださったからです。

 大法の師父の恩徳に感謝するために、私が24年間にわたり法を得て修煉する中で発生した神の奇跡をお話します。皆さんに、法輪大法は高徳な大法であり、学んだ人は誰もが良い人になり、誰もが健康で幸せな人になり、その家族も善の報いを得ることができる法輪大法の素晴らしさを、伝えたいと思います。

 一、苦難に満ちた、不運だった前半生

 私は7歳で生母を失い、継母は我が家に入ってから一人の妹を生み、翌年にはまた一人の弟を生みました。私がこのような家庭で生活するのはとても苦しいことでした。そのころ私は苦を嘗め尽くしました。よく「継母がいれば継父が出来る」と言われますが、父も私にとても冷たく当たっていました。

 私が13歳の時、継母は私に妹の世話をさせ、また大人がやる仕事をさせました。水の汲みあげや、庭の掃除、鶏のエサやりなどです。ある年の冬に大雪が降り、地面全体が氷に覆われました。私は水を汲み上げる時、もう少しで井戸に滑り落ちるところでした。本当に井戸に飛び込んで死のうとも思いました。ある日継母は私にご飯を炊くように言いましたが、継母は私が上手く火を焚いてないと言って、私を蹴って突き飛ばしました。それでも私はかまどまで這い戻って、火を焚き続けました。

 2人の弟妹の世話をするために、私は一日も学校に行きませんでした。17歳の年、人の紹介により、私は慌ただしく「階級成分が良くない」夫に嫁ぎました。夫一家は私に良くしてくれましたが、「階級成分が良くない」ことを理由に私は迫害を受けました。中共邪党の人は、18歳の私に男性がやる仕事や、他人がやりたくないきつい仕事をやらせました。大躍進の年の冬は大雪が降っていましたが、私は村人全員のために、水を汲み上げ、ご飯を作り、それからもほかの人と同様に仕事をしました。

 23歳の頃、大飢饉が始まりましたが、その時はすでに2人の娘がいました。階級成分が良い者は毎月10キロの食糧を受け取ることができましたが、私たちは階級成分が良くなかったので他人の半分しか受け取れませんでした。時には少しの食糧さえももらえませんでした。当時は家族5人でしたが1日に1回だけの食事は、トウモロコシの粉を入れた鍋に、トウモロコシの茎も一緒に煮込んで飢えをしのぎました。義父は食事を終えると、お椀についているとうもろこしを舌で嘗めました。その生活は本当に生きづらいものでした! 大飢饉の年は私たち家族全員は本当に餓死しそうでした。

 生き残るため、私は実家からの嫁入りものを全部売って、命を守るために、夫に東北に逃げる旅費を作り上げました。夫は先に東北に行き、苦を嘗め尽くしました。その後私も二人の娘を連れて東北に行きました。私たちはハルビンに住んでいましたが、そこの気候は寒冷でした。冬、私たち一家は木の板に囲まれた氷を保管する穴倉のような部屋に住んでいました。零下30度以下の低温の中で、私たち家族6人は8回もひどく寒い冬を過ごしました。

 私は41歳の年に5人目の娘を生みましたが、その時から私の体は完全に駄目になりました。心臓病(3級の心不全)、神経炎、甲状腺機能亢進症、気管支炎、胃炎、足の痛みなどの重い疾患を患っていました。

 私が50歳になった年に、目の不具合が出ました。病院で左側の眼球の手術を受けましたが、手術の失敗で半年後には完全に失明しました。左目を失明してから私は泣きすぎたため、右目も見えなくなりました。その時、私の命はすでに尽きようとしていても、誰も助けることはできませんでした。

 二、大法が私の心に灯をともした

 私はオンドルの上でぼーとして十数年も過ごしました。私が64歳になった1996年の4月のある日、一人の友人が我が家にやって来て、法輪功を紹介してくれ、私に学ぶように勧めてくれました。私は、法輪功が病気治療と健康保持ができると聞いたことがあったので、友人と一緒に学ぶことにしました。

 翌日、友人は私を支えて煉功に行きました。友人は煉功を始めましたが、私は動作のやり方を知らないし、目も見えなかったので、地面に座って煉功音楽を聴きました。その音楽は本当に美しく、まるで天空から来た音楽のようでした。私は心の底から絶対に法輪功を学びたい、この功はあまりにも優れていると思いました。

 友人は、私に付き添って煉功場に連れて行き、そこで私は動作を学びました。私は目が不自由で、しかも60歳も過ぎていたので、丸2日の時間をかけてやっと五式の動作を習得できました。その時私の手を取って動作を教えてくれた同修に深く感謝します。

 3日目も、私は友人と一緒に煉功場に行きました。私が第二式功法を練っていた時に、師父は私の心臓をしっかりしたものに換えてくださいました。心臓が大きな手でつかまれたとしか感じませんでしたが、身体が曲がってしまい、無意識のうちに大きな石の上にしゃがみ込みました。それ以来私の心臓の病気は治ったのです。大法は本当に不思議です。

 それ以降、私は毎日煉功し、師父の法を聴き続けました。短時間のうちに私は全身の病が治り、全身が無病状態で軽やかになりました。私のような死に直面していた病人を、救ってくださった師父の慈悲に感謝いたいます。

 大法の師父は、私に2度目の命をくださり、私の心に希望の灯をともしてくださいました。

 三、大法を学んで奇跡が起こる

 私は両目が不自由で、文字が一つも分からない年寄りですが、大法を修煉するにはやはり法を学ぶ必要がありました。最初、私は師父の説法の録音を聴きました。その後、皆が法を暗唱し始めたので私も暗唱したくなりました。こう考えるようになってから、まず娘に『轉法輪』の中の「論語」を先に一句ずつ読ませ、私は一句ずつ真剣に覚えました。その日に覚えた内容を、忘れることを恐れて夜になっても寝ずに、しっかり暗唱してからやっと寝ることもありました。

 平日は、娘や甥など私が会った人に法の暗唱を手伝わせました。師父のご加持の下、奇跡が起こりました。「論語」を完璧に暗記することができました。続けて私は『洪吟』、『洪吟(二)』、『洪吟(三)』の中の詩や、詞の一部や『精進要旨』の一部の経文を暗唱しました。

 同じ学法グループの同修たちは、私が法を暗唱できるのを見ると、皆さらに法の暗唱に勤しみました。大法を学んでなければ、私のような目の見えない年寄りがどうやって暗唱することができるでしょうか? 私が大法を暗唱できることを知り、たくさんの人が大法は不思議だと言いました。

 一度私はトイレに行く時、うっかりして地面に置かれている水の入ったたらいにぶつかり、口がちょうど水道の蛇口にぶつかりました。蛇口が変形し、私の唇は酷く腫れ上がりました。家族は病院に行くように勧めてくれましたが、私は「大丈夫です。私は煉功者で、師父が面倒を見てくださっています」と伝え、病院に行くことを断りました。心の中で絶えず「真・善・忍は素晴らしい、法輪大法は素晴らしい」と唱えたところ、すぐに良くなりました。再び大法の奇跡を目の当たりにしました。

 2011年に夫が三輪車に私を乗せて散髪に行きました。途中大きな橋の下り坂を走っていた時、右側の家が視線を遮り、前方からモーターバイクが急速で近づいて来ることに気付きませんでした。夫はそのモーターバイクを避けようとしてカーブしたところ、三輪車が幅1メートルで深さ2メートル余りの石の溝に落ちました。その時私は大きな手に支えられたかのように溝の底に、ふわっと落ちるのを感じました。夫も一緒に落ちて来ました。私は溝の底に横たわっていましたが、頭がぼーっとして、ただ心の中では絶えず「真・善・忍は素晴らしい、法輪大法は素晴らしい」と唱え続けていました。私は2回起き上がろうと試しましたが、失敗してしまいました。

 まわりに、たくさんの人がやって来て、慌ただしく私と夫を引き上げ、村の小さな病院に送ってくれました。医者は夫の傷の処置をしましたが、私は頭の皮膚が少し切れていただけで大した傷はありませんでした。現場を見た人は皆、「大法を学ぶ人は丈夫で、転んでも大事に至らないのだ」と言いましたが、実は師父が私と夫を守ってくださったおかげで、このような奇跡が起きたのです。

 四、恩恵を受けた私は迷いの中の世の人々を忘れない

 私は大法の恩恵を受けました。私は最初から身をもって大法を実証しました。まずは5人の娘の家族それぞれに大法を認めてもらい、『轉法輪』と煉功テープを家庭毎に渡しました。娘たちの家族もみなたくさんの恩恵を受けました。

 私は、善良な世の人々を忘れていません。1999年7月に大法が迫害されてから、私は毎日、次女と協力して法輪功の真相を伝えて人々を救っています。我が家にやって来る人には全員真相を伝え、三退させます。午前中は市場で真相を伝え、1日で十数人は三退させることができます。十数年間にわたって三退させた人の中には局長や処長、部隊の幹部、裁判所の人、警官もいます。

 2014年に夫が亡くなり、遺体を埋葬するために実家に帰った十数日間に、私は五十数人を三退させました。私はあらゆる機会を使って人を救います。また一度叔母の誕生日宴会でも二十数人を三退させました。

 私は人々の格好を見ることはできませんが、心から彼らを感じ取ることができます。彼らに会うと救おうとする慈悲心が生じます。真相を伝えて人を救うことで十数年が経ち、三退させづらい人に会ったことはめったになく、私を通報したい人とは遭遇しないのです。慈悲なる師父のご加護のおかげで、今日まで平穏に歩んできました。師父の慈悲深い救い済度に感謝いたします。

 五、一人が煉功して家族の全員が恩恵を受ける

 法を得て二十数年が経ち、私は心身とも健康で薬を飲まず、娘たちの経済負担を減らしてあげました。娘たちもとても親孝行し、大法の恩恵を受けています。

 長女は思いやりがあり、処級幹部に昇格され、今は退職して家にいます。長女の子供は海外で大学に通っています。次女は私と同様に大法を二十数年学び、子供たちもとても優秀です。三女は企業の管理職にいて、娘は大学院を卒業して現在働いています。四女は医師で、息子は北京の大学に通っています。五女は若い課長で、今は正式に大法に入ってきています。

 5人の娘たちの家族は、皆和気藹々としています。娘たちが、いまの素晴らしい生活を送ることができているのは、全て大法のお陰であり、皆大法の福報を受けました!

 法輪大法は高徳な大法で、これは絶対間違いありません。私が大法を修めた物語を話すことで、縁がある人に考えていただきたいのです。私は一人の盲目の婆さんで90歳近くになっています。私がこのように健康で生活できていることは、大法の超常さを示しているのではありませんか?! 皆さんも大法を理解し、大法が一体何なのかを見てみてほしいのです。皆さんも大法の恩恵を受け、大法の中で福報を得ることを願っています! 

 【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/23/421251.html)
 
関連文章