塞翁が馬 交通事故で人生の転機を迎えた青年
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 【明慧日本2021年5月25日】「私は悪い子ではなかったのですが、わんぱくでした。人生はとにかく生きているうちは楽しまないと、と思っていました」。そう語る連文源さん(以下、連さん)は11年前の自分を振り返りました。今年で35歳になる連さんは11年前の交通事故により人生が変わり、生まれ変わったと話しました。

'图:二零一三年六月连文源毕业于台科大电子所(硕士照)'

連さん(台湾科学技術大学卒業写真)

 連さんは11年前、まだ法輪大法を修煉していませんでした。当時の連さんにとって、人生はとにかくその瞬間の快楽を追求すべきで、毎日遊び三昧の日々が続いたそうです。そのため連さんは若くから胃潰瘍などの病気を患い、腰痛などの病気に見舞われました。

 「今振り返ってみて思ったのですが、本当に解決できない問題にぶつかったとき人は真剣に考え始めるものです」と連さんは話します。

 では、快楽に明け暮れていた連さんが、なぜ法輪大法の修煉の道を歩み始めたのでしょうか?

 2010年の交通事故により、連さんは後遺症が残ってしまいました。病院を出て10カ月間経っても、連さんはめまいに悩まされ何度も検査を受けたものの、いかなる問題も検出されませんでした。25歳だった彼は、すでに健康問題に悩まされていました。

 ちょうどその時、会社のある同僚から、「法輪功をやってみたら?」と言われました。連さんは以前、法輪功の話を聞いたことがありましたが、他にも法輪功をやって病気が治ったという話を聞いたことがあっても、自分は健康だったため一度もやってみたいと思わなかったのです。「法輪功しか私を救うことができないかもしれない」と連さんは感じました。

 連さんは以前、ほかの宗教について学んだことがありました。「他の法門は、どのようにすれば体が良くなるかを教えていましたが、法輪功はそうではなく、学法、座禅、苦を嘗める、修煉することを教えています。全く違うなと感じました」と連さんは話します。また、連さんはある法輪功学習者の話を思い出しました。「金を取るから悪いとは思いませんが、お金を取らない気功ほど良いものはない」ということについて、連さんもとても同感していました。

 連さんは法輪功の『轉法輪』の本をもらって読み始めると疑問に思い始めました。法輪功の教えは大変すばらしいものですが、しかし人間としての追求を捨てることが要求されていることに悩み始めました。「まだやりたいことがいっぱいありますし、追求したいことがたくさんあります」そう言って『轉法輪』の本を本棚にしまって気功として法輪功の動作だけをやるようになりました。しかし、体の状況は一向に良くならず、病院にいっても結局何も変わりませんでした。どうしようもなくなった連さんはやっと決意して心を入れ替えて法輪功の修煉を始め、『轉法輪』を読み始めました。「今思えば、交通事故で人生に機転をもたらしました。『塞翁が馬』のように、災いの中でかえって福を手に入れました」と連さんは話しました。

 事故前に飲酒と喫煙の習慣があった連さんは、事故によりめまいがあるため酒をやめましたが、たばこはなかなかやめられませんでした。『轉法輪』の第7講の内容を読んで、「本当に師父がおっしゃるようにすれば辞められるのか?」と思った連さんが再びたばこを吸うと、全く違う味がして気持ち悪くなりました。好奇心からもう一本吸ってみよう! と思った連さんはもう一本口にくわえるとやはり同じように嫌悪感しかなく、知らないうちにたばこを簡単にやめることができました。たばこのにおいはこんなに臭かったんだと、連さんは話しました。

 連さんは16歳からたばこを吸い始めました。「たばこをやめる経験のある人なら分かると思いますが、1週間までは我慢できても、ずっと吸わないことはとても難しいことです」と連さんは話しました。これまでに何度もたばこをやめようとして挫折した連さんが、『轉法輪』を読んだだけで簡単にたばこをやめたのを知り、周りの友人たちも法輪功のすばらしさに感動したといいます。

 法輪功を修煉してから、連さんはめまいがなくなったのみならず、腰痛も治り、徐々に耳の痛みなどのほかの持病もよくなりました。連さんは長年眠れないことにも悩まされていました。疲れて横になっても頭の中は常に色々と考えてしまうようです。しかし法輪功を修煉してから眠りが良くなり、睡眠の質までも改善できたと連さんは感じました。

 「修煉は本当に自分を変えました。お父さんに対しては常に恨んでいました。とにかく、ひどいおやじだとずっと思っていました」と語る連さんは、修煉してから父親に対して恨む心があることに気づき、修煉者の慈悲で改善すべきだと思い、親子関係もよくなりました。

 連さんが修煉し始めて間もないときは、まだ父親に対する恨みをきれいに放下できませんでした。あるとき父が車を買うのに、家族とも相談せず、妻のお金で車の前金を支払ったことがありました。「修煉していなかったら、絶対けんかになりましたね。でも修煉しているので、慈悲の気持ちで話をしないと、なぜ今は車を買うべきではないのか、なぜ予約をキャンセルしたほうがよいのかを落ち着いて話す努力が必要だと感じました。結局、車は買わずに済みました」と連さんは当時のことを振り返りました。

 それから5年後、父は再び車を買いたいと言い出しました。また、父は妻に対して「この子は自分のお金を使うことを避けているだけだ」と不満を言いました。それを知った連さんは直ちに反省しました。「おやじがこのように考えるということは、私の普段の言動がそう思わせていて、つまり自分にはまだおやじに対する恨みがあるからかもしれない」。そこで連さんは父親に対して「明日車を見に行こう」と提案しました。実際父親の立場に立ってみると、確かに今の車は古くなって安全性の問題も出ている、買い替える時かもしれない、と思ってさっそく車を買うことが決まりました。

 「すべての出来事は、自分の心性を向上させるためにありますね。以前はこれらの問題に直面しないように回り道をしていましたが、今はどんな問題でも直面して自分の心を放下するように頑張っています。自分が変われば周りの人も自分の変化に気づいてくれる」と連さんは話しました。

 「修煉していなかったら、今の自分はどういう人間になっていたのか、道徳レベルがどこまで落ちていたか想像もつきません。修煉によって自分は落ち着きましたし、人を助けることができるようになりました。自分だけが良くなるのではなく、他の人のためにもなるのだと本当に思います」と、連さんは話してくれました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/10/420110.html)
 
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