明慧法会|神筆と使命
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文/中国の大法弟子 如詩

 【明慧日本2021年5月28日】

 慈悲で偉大なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は今年(訳注:2018年)56歳の女性で、大法を修煉して22年近くになりました。神の道を歩み、法の光を浴びながら、師父が与えてくださった能力と知恵をもって衆生を救い済度しています。第15回明慧法会を迎えるにあたり、使命を果たし、誓約を果たした体験を師父から賜った神筆を使って書き、師父にご報告申し上げるとともに、同修の皆さんと交流したいと思います。

 2004年、第1回明慧法会の投稿が締め切られた後、私はやっと修煉体験を書き終わりました。その時私は字が打てないだけでなくインターネットもできませんでした。同修に手伝ってもらってやっと字を打ち終わりインターネットの接続を終えました。私の原稿はほとんど修正なくまとめられたにもかかわらず、同修はさらに丸1日の時間を費やしました。これが私が明慧ネットに発表した初めての文章でした。当時(訳注:2004年)私は発表すべきかどうか全くわからず、周りの同修に頼んで聞いてみたのですが、同修は「執着してはいけません」と言い、私はこのことを放下しました。しばらくしてある「明慧週刊」の中で、私の文の中の一部が引用されているのを見つけて驚きました! このことに私は大きく感動し、その後は明慧ネットに上がり、文章を書き、同修のために文章を整理し、ニュース報道の出発点となり、全体に溶け込み、迫害を暴露して人々を救い済度する道を歩みました。

 ある同修が私を「筆の立つ人」と呼んだ時、私は「これが私の使命であり、師父はとっくに神筆を弟子にお与えになり、弟子はただ『修は己にありて、功は師にあり』[1]を果たすだけだ」と夢から覚めた思いでした。一切のすべてはみな、師父が順序良く按排なさっており、みな師父のご恩でした!

 一、迫害のニュースを報道する

 2009年、1人の同修が連行されました。その同修の弟(同修)は人づてに私と連絡をとり、私は協力して同修が連行されてから、裁判、控訴及びわかっている状況を密着取材しました。問題の渦中にあった同修は不当に懲役1年の判決を受け、ずっと正念が強く、どこに行っても虐待に遭うことはありませんでした。当時(訳注:2009年)はタイムリーな報道が中国共産党(以下、中共)の迫害を抑制することに大きな役割を果たすことができるということに気がつきませんでした。しかし3年後にその同修が2回目に連行され、濡れ衣を着せられ、拘禁されていた期間、その同修の両親はずっと他の同修に質問させず、報道させず、結果として同修は闇監獄(訳注:中共の刑務所)に不当に3年間拘禁され、ひどく迫害されました。これによって私はタイムリーに中共を暴き出す重要性を証明しました。

 2012年、同時に6、7人の同修が各自の家で地元の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)と公安局に連行され、Hさんが連行され家宅捜索を受けたのを目撃した同修はすぐに電話をかけてきて、私はHさんの家に行って状況を知りました。Hさんが怯えてなめらかに話せなくなり、さらにこんなにも多くの同修が連行されたのを聞いて、私の恐れる心が大きくなりました。口実を探してHさんが連行されたのを目撃した同修に「誰もが連行されて行き、行ってもダメで、監視されているはずなので、どうすればいいですか? すぐに正念を発しましょう!」と言いました。2日間で地元の国保は16~17人を連行し、社会に非常に悪い影響を与えました。

 インターネットで報道された迫害に関する一般的なニュースは非常に単純で、迫害者に関する情報もありませんでした。責任感から私は恐れる心を突破し、連行されたHさんの家に行きました。Hさんの10代の娘は連行の経過と部分的に連行に加担した警官の情報を私に伝えました。その時に連行し家宅捜索を行った警官のグループに直面し、Hさんの娘はまったく恐れず、絶えず阻止しこの警官のグループに質問し続けました。このことに私は感動しました。私は迅速にレポートを書き、評論と呼びかけを加え、ほんの少しの情報を添付しました。発表後に同修によって直接手に入れた資料として多くの記事や評論の文章に引用され、地元の週刊新聞にも掲載されました。私ははじめて使命の重さを感じました。家族の要請で、さらに真実を明らかにする原稿を書き、迫害を制止し救助を呼びかける文章を次々と2編書き、家族が迫害に反対し、同修を救助することに協力しました。

 以前私は迫害を暴露したニュースを読みたがらず、なぜなら恐れる心があり、私心もあったからでした。今回の迫害を暴露し、中共を抑制した経験から、私は自分の責任に気づきました。地元の裁判所が不当に判決し、修煉者に重い刑罰を下したということが絶えず聞こえてきた時、もはや無力を感じず無視しませんでした。私はパソコンを開き、地元の四つの地区の裁判所が多くの修煉者に対して罪を着せたことを暴露し、態度が横柄な裁判官に対してその法廷でのでたらめな言論を暴露し、法を曲げた行為を抑制しました。「610弁公室」が背後で脅迫し利益で釣って操り人形にされてしまう裁判官の悲しい役割を暴露することを通じて、裁判官に自分の逃げ道を残しておくよう忠告しました。2800文字の評論の初稿は、ほぼ一気に完成しました。心性がこの次元の法の要求に符合し、師父が私を加持してくださいました。

 二、全体で協力して救う

 Fさんは退職する前に一定の社会的地位があり、法輪功を修煉して多くの怪我や病気から回復しました。迫害が起きた後、Fさんは地元及び周辺の県や市の同修が大法を実証することに大きな役割を果たしました。中共が虎視眈々と迫害をたくらみ、スパイを利用して尾行、牽制、ペテンにかけるなどのさまざまな下劣な手口で同修を暴力的に連行し、さらに重傷を負わせ、数カ所の骨折を招きました。Fさんは半年以上連行され、司法関係者はさらに何度か虚偽の証言を求めて開廷して濡れ衣を着せようとしましたが、頑として協力しませんでした。

 外の同修は家族に協力して全力で救助に当たり、密着して迫害を暴露し、中共を暴露し、全体の救助に協力して文章を書くことのできる同修を必要としました。救助に協調していたMさんは私に会った後失望し、2本の指を伸ばすと同時に私ともう1人の同修を指さし、紹介者の同修に「私が必要としているのは文章を書いて救出に協力できる同修であって、あなたはこんな人を連れてきて……」と言いました。私はその時に心の中で呆気にとられました。しかし幸いにも私たちはみな各自が自我を放下し、救助を協調していた同修は私に当事者の状況と文章の要求について話してくれました。私は書き終わった後メールボックスに送り、救助を協調していた同修が読んで「よくできています」と言い、さらに一部の内容を補充して明慧ネットで発表するようにアドバイスし、私は全体に溶け込んで協力しました。

 同修はFさんの家族に真相を伝え、家族は受動的な受け入れから積極的な救助へと変わりました。各関係部門に行って、連行され負傷したFさんの無条件釈放を家族が要求し、さらに「Fさんの生命が心配であり、迫害に加担したすべての人はみな法的責任を負わなければならない」ということを各部門に家族が警告することに、同修は協力しました。直接・間接に携わっている同修と常人の家族はみな全体を形成しました。

 Fさんは刑務所で体の状態が下降し始め、検察庁と裁判所は急いで開廷し濡れ衣を着せようとしましたが、Fさんの正念によって拒絶されました。Fさんはさらに刑務所で告訴状を書きました。市の「610弁公室」、国保、検察庁、裁判所はみな熱くて厄介な山芋を握っているかのように、待つことができず即刻開廷してFさんに不当判決を下して刑務所に入れようとし、市の「610弁公室」、国保、検察庁、裁判所はどうしても手に負えなくなっていました。

 Mさんは手に入れたこれまでの情報を私に伝え、私は事実を暴露し、さらに検察庁と裁判所が無実の人を罪に陥れようとする「610弁公室」の指図とおどしを受けたことは、さらに「610弁公室」に代わって濡れ衣を着せられたのであり、罪名の宣告を担当する局面で、司法関係者に真相を伝えて善を勧め「610弁公室」に従って自分の将来を犠牲にしないように伝えました。Fさんを迫害することに加担し治療の遅れによって危機的状況を引き起こした責任者を私は文中で暴露し「610弁公室」の陰謀を暴露し、迫害の即時停止と同修の釈放を呼びかけました。

 救出作業の進展に伴って、家族の自信が十分になり、終始たゆまず同修の解放を要求し、Mさんはみんなと協調しさまざまな情報源から理解を得て証拠を収集し、この案件に加担した法曹機関の関係者が事件の違法な取り扱いに関与した多くの証拠を掌握し、だまされて偽証した当事者を探し出し、状況を理解させた後に偽証した当事者たちの正義と良知を啓発し、当事者たちの支持を得ました。すべての準備ができており、法曹機関の関係者たちが開廷するのを恐れませんでした。Mさんは私と「続いて書かなければならないこの文章は重要で、私たちがすでに証拠を掌握していることを中共に前もって知られてはならず、法曹機関の関係者たちに機会を与えてはいけない」と交流しました。私は書き終わった後に時期を見て原稿を送る連絡を待ちました。

 Fさんが濡れ衣を着せられた案件は二つの市の警察が関与しており、暴力的な手段を使いさらに卑劣で、Fさんに重傷を負わせさらに被害者(訳注:同修のFさん)が警察に暴行を加え殺人未遂を犯したとデマを流し、Fさんの生命が危険な状態である上に、迫害停止を呼びかける方面においてもFさんの告訴状を私たちが握っており、迫害し濡れ衣を着せることに加担したすべての人員はみな鍋の上のアリのように、開廷をスピードアップするために「610弁公室」は絶えず検察庁と裁判所に圧力を加え、検察庁と裁判所はただ国保警察と協力し、証人の証拠を偽造し、罪名をでっち上げなければなりませんでした。

 案件は本当に複雑に絡み合い、手に汗をにぎる状況でした。私は毎日退社してから原稿を書き、幾晩経過したかはっきりと記憶しておらず、時には昼夜ぶっ通しで目を閉じず、書き終わった後もまた修正し補足してついに完成し、知恵を尽くしたと感じました。書き終わった後に同修に送れば私のために書き直しをすると同修は当初言っていましたが、同修はその後に時間がなくなり私が自分で書き直しました。師父は再び迅速に私に知恵を補充してくださり、文章をさらに完璧に書き直しました。協調を担当する同修が按排したタイミングに従って明慧ネットに投稿し、明慧ネットの同修もまたタイトルや小タイトルを修正し、4600文字の文章はきれいで、しっかりして、説得力があり、自分で読んでも衝撃を受けました! 文章が発表された翌日、Fさんは無事に家に帰り、救出は成功しました。

 この文章を書くことは私に大きな啓発を与えました。執筆の過程で、考えが絶えず頭の中に現れ、多くの精細な言葉は私がどうにかして生み出したのではまったくなく、それは単に師父が私の心に直接入れてくださったものでした。私はさらに「文章を書く過程の中で原稿を完成させると同時に、すでに他の空間の邪悪を大量に根絶し、みんながともに協力する過程の中ではそれは悪を排除する過程だった」ということを会得しました。地元の市の「610弁公室」が数年来どのように法曹機関を操り良い人を罪に陥れたのかを直接暴露する1編の評論文をすぐにまた書くようにMさんは私に催促しました。引き続き密着して中共を暴露することを通じて「610弁公室」の迫害のやりくちを私は見破りました。国保内部に寄生するこの奇形なばけものは法を超えており、何度も裏で操り、待っていられないほど急いで何度も表舞台に飛びだし直接修煉者を迫害することに躍起になり、この奇形なばけものの皮を露出させることもまた法曹機関の関係者を呼び覚ましました。

 Fさんは刑務所から家に帰り、迫害された全過程を詳細に話し法理をはっきりと認識しました。私は迫害の真相を全面的に暴露する文章をまとめることを手伝いました。

 今回の得難い経験は、私の考えを広げました。協調を担当するMさんとの暗黙の協力によってもまた、私はかなりの程度で自我を放下しました。

 三、闇監獄(訳注:中共の刑務所)を暴露する

 この2年、別の市にある中共の闇監獄から次々に多くの同修が戻って来ました。すべての同修がみなこの闇監獄でいわゆる「転向」を目的とした極めて残虐な迫害に遭いました。迫害された同修はこの闇監獄のことに言及すると恐怖を感じるようになりました。この闇監獄によって迫害されて亡くなるか、あるいは戻ってから数日後に息を引き取った同修が多くいました!

 Mさんは闇監獄の迫害の真相を系統立てて暴露するように私と交流しました。私は同修と隣の市へ行きその刑務所で迫害されて危篤状態になり、今も不当に拘禁されている同修の家族を見舞いに行きました。その同修の妻は刑務所にだまされ、なんと夫が迫害されて危篤状態になっていることを知らず、刑務所の「突然の深刻な病気」という嘘にごまかされ、さらに刑務所の応急処置に感謝さえしていました。私たちは刑務所の迫害の真相を家族に伝え、家族が刑務所を告訴するよう提案し、私たちは家族に協力しました。

 Mさんは私と「闇監獄の迫害がその同修を危篤状態に至らしめた犯罪事実を暴露することによって、闇監獄が『100%の転向率』を達成しており、修煉者に対して加えられた人が聞いて驚くようなさまざまな拷問の闇の秘密を暴露し、刑務所が利益の誘惑の下で奴隷のように超過重にこき使っていることを暴露し、闇監獄の深刻な迫害が引き起こした障害と死亡などの事例を暴露し、迫害制止を呼びかけ、悪の巣を解体する」よう切磋琢磨しました。文章を書いた後、家族が原稿を送らせず、闇監獄が獄中の家族をさらに深刻に迫害することになるかもしれないことを心配したからでした。

 私は再びMさんと協力してその闇監獄を暴露する長編の報道と評論文を連続で書きました。その刑務所の邪悪さとその悪事が被害者に、家族に、社会にもたらした災難は本当に多くて数えきれませんでした。文章を書く過程で、一幕一幕の迫害の場面がありありと目に浮かび、その痛ましさは私の心の中で消えず、私の心は非常に重くなりました。2番目の記事を書いている時に書き続けることができなくなり、Mさんが私を励まし「最初の記事を書いた時はどれだけの強さがあったと思いますか? 邪悪を取り除き人を救うことに対してどれだけ大きな役割をもたらしたでしょうか!」と言いました。

 私の考えが妨げられた時はいつも、私は多く法を学びました。絶えず「鋭い筆鋒で、華章を著し 詞句勢いあり奥深く 科学は満身の洞 悪党の衣はすべて剥ぎ取られる」[2]を暗唱し、状態がよくなりました! 力を集中することができ、息を止めて猛スピードで字を打ちました。同修の魔難は卑しい鬼に投下され、中共に投下された一つ一つの爆弾に変わりました。全国、全世界の人に中共の邪悪な本質をはっきり見分け、中共を捨て、この魔教から離れさせなければなりませんでした。師父はこの神聖な使命を弟子にお与えになり、弟子は非常に光栄です! 私は神筆を使って法輪大法が高徳の大法であることを実証し、真・善・忍の普遍的価値を以って、人々の道徳と良知を呼び覚ませなければなりませんでした。私の思案は潮のように、時には昼夜ぶっ通しでも眠気を感じませんでした。明慧ネットに文章が1編送られるたびに、私はいつも大きく息をしました。

 上で書いたあの闇監獄に迫害され生命の危険があったあの同修は、その後あの刑務所に迫害されて亡くなりました。Mさんは私に再びあの同修が迫害されて亡くなった事実の真相を暴露することによって、あの刑務所で迫害されて亡くなったその他の事例を結合し、あの刑務所の邪悪さを暴露させました。同修が息を引き取ったこと、さらに多くの同修が迫害されたこと、さらにさらに多くの人々が被害を受けたすべてについて私に選択の余地はなく、私はただ人を救うしかありませんでした。この文章を整理することに私は苦労しませんでした。前回の記事に近すぎたのかもしれませんが、しばらくしてからちょうど闇監獄のある市の真相を伝えるプロジェクトに協力する形で発表されました。自分がインターネットでこの文章を読み直した時、感動の色を浮かべるのを免れず、さらに師父の按排に感動し、すべてがみなこんなにも秩序だっていました!

 四、誓約を果たす

 近年は、明慧ネットが地元にある省級刑務所による不当に拘禁された修煉者に対するひどい迫害を継続的に報告しました。その中の二つの迫害事例を見ると、一つは迫害されて亡くなった事例で、もう一つは迫害されて自分の身の回りの世話ができない状態に陥った事例でした。二つの事例にはともに同修が迫害される前の写真がありました。同修たちは善良で美しく罪を犯していませんでしたがひどい迫害に遭い、想像を絶することでした。

 中共は公安、検察、司法の各部門を利用して善良な人々を迫害し、さらにこの善良な人々をすべて陥れ、本当に邪悪極まりないことでした。私はどうして積極的に何かを書かなかったのでしょうか? 真相を伝える多くの資料の中のデータを考慮し、事例には時間的な制約があったからでした。私は新しい角度と新たな事例を以って、地元の法曹機関の関係者に対して善を勧める手紙を書きました。何度も手直しして原稿を完成させた後、取り出して全体で協力し法曹部門に向けて真相を伝え、この手紙はとても歓迎されました。Mさんは褒め、再び私に某地方に対する手紙に書き直させました。その手紙を書いた時、内容あるいは様式を問わず、もうこれ以上手直しできないと私は思いました。その時点では私は心身ともに修復が急務のような状態で、もう何もしたくありませんでした。「私は最近学法が少なく、地方の同修は彼らの修煉をしており、私もやっています」とあれこれと言い逃れをしました。同修は私を心配し「法を学ぶことについてはあなたは学んでください! 誰があなたに学ばせないのですか? 法を実証する機会を与えられてもまだ何とかして断ろうとするなんて、何ですか!」と言いました。この話で私は喉がつまって息切れし、やりきれなくなりました。

 私はかつてショートメールを書いて直接反撃したり、巧妙に返答したり、説明したりを試み……すべて法に則っていないと感じ、それによってショートメールを削除し、その過程で心の中が少しずつ穏やかになっていきました。私は「自分の心は動かされたが、決して中共にスキを突かれるわだかまりを作っておらず、それでも心が歪んでいる時は何も言ってはならない」と思いました。「強辯に遇えば争論す勿れ 内に向けて因を求むは修煉 釈明しようとすればするほど心重し 坦懐にて執着無ければ知見出づ」[3]

 師父のこの法が浮かび上がり、私は心を静めることができ「私のこれは利己的であり、多く労力を提供しようと思わず、心が塞がれてつらく、それは恐れの物質ではないだろうか?」と内に向けて探しました。その物質は「闘争」と呼ばれ、触れると爆発しました! 私には「闘争」はいらず「闘争」を破壊しました。私の心はすぐにほっとしました! 不満はないと感じ、Mさんに返答し「自分の修煉が十分精進できていないことは知っていますが、みなそれぞれ自分の次元で努力し向上しています。あなたのようなことを言われると少し傷つきます。私は速やかに自分をしっかりと調整し、一般的に適用可能な内容に整理します」と書きました。私の返答を見て同修は喜び、さらにぺろっと舌を出して笑顔になり、同修自身が言ったことが失言だったと認めました。私はすぐに地元の法曹機関の関係者宛に書いた善を勧める手紙をまとめ、さらに明慧ネットに投稿して発表しました。同修の提案に感謝し、この手紙は人を救うさらに大きな役割を果たすことができました。

 あの省級の闇監獄を暴露する文章をインターネットで次々に公開し、この魔窟を解体するために大法の粒子としての役割を果たしたいと私もずっと思っていました。ある同修は3年間の試練を経て九死に一生を得てあの悪の巣から正念で出てきて、悪の巣の邪悪で陰湿な迫害を暴露するのを手伝ってくれる人を見つけたいと思っており、私たち2人は縁があって出会いました。あの刑務所での数々の息詰まるような拷問と陰険な痛めつけをその同修が語った時、私に瞬間的なめまいが3回起こり、これは邪悪が暴露されるのを恐れてもがいているのでした。

 文章を書く過程の妨害は大きく、私はとても眠くて書くことができず、いつもパソコンの前で居眠りし、速く書こうと思えば思うほど状態は悪くなりました。私は書くのをやめて法を学び煉功し「神筆、人妖を震わし 快刀、爛鬼を消す 旧勢力、法を敬わず 揮毫して、狂涛を滅す」[4]という師父の法を暗唱しました。同修のアドバイスの下で私の修正した内容は比較的豊富で、特に最後に法輪大法が衆生を救い済度する真相をはっきりと伝え、普遍的価値に従うよう人々を啓発し、人を傷つける中共の本質と人に害を及ぼそうとする目的をはっきり見分けさせ、この部分の内容を完成させることで私は「仕事のときの口調、善の心、それに加えて、道理で人の心を変えることはできても、命令では永遠にできないのです!」[5]という師父が説かれた法を理解するのに役立ち、向上した後の認識がありました。私は法徒をあらゆる方法で迫害する刑務所内の人員に対してもはや恨みを抱かず、刑務所内の人員たちは本当に中共によって破壊された生命でした! 私たちが救わなければ誰が救うことができるでしょうか?

 文章が発表された後、同修は発表を続けることを提案しました。そこで私は同修と協力してさらに2編の関連記事を完成させ、その中の1編は悪の巣の刑務所内の人員を救い済度するためのもので、中共に縛られて悪事を働く全中国のすべての公務員を救い済度することにまで及んでいました。最初の記事が発表されてから10日後、この2編は明慧ネットで続けて発表されました。同修はその中の2編をプリントして郵便物にし、各職能部門の公務員に向けて郵送しました。

 私はついに積極的に神筆を持つことができ、誓約を果たしに行き、法を正す時期の大法弟子の使命と責任を担いました。

 五、まとめ

 私は「文章は本来神業である」というこのことわざを信じており、すべてがみな師父のご加持であることを深く感じました。原稿を書く前にたとえ私の頭の中に「構想」がなかったとしても、パソコンを開いて書く準備をしている限りアイデアが絶えず現れ「私」がどれだけ精彩を放つ文章の段落を書いたとしても、後で私はいつも思い出せませんでした。実際すべて師父がなさったことでした!

 かなり前にある同修が明慧ネットで「長く大きな紙の上に多くの文章のタイトルがあり、明確なことはそれがまさに自分が明慧ネットに発表したものであるということで、明確でないものは自分が次々と完成させなければならない」という夢の境地を書きました。すべてがみな自分が世に下る前の選択であり、すべては師父がみな私たちのためにしっかりと按排なさったものでした。表面上は私たちが師が法を正すことをお手伝いしているのですが、実際は師父がすべての機会を利用して弟子のために神になる道に導いてくださっているのでした! 私はただその中の少しばかりを果たし、本当に精進しなければなりませんでした!

 以上は自分の現段階での少しばかりの体得であり、もし法に則っていないところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 ありがとうございます、師父!

 合掌

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「学員の文章を読む」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「辯少なしに」
 [4] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「震懾」
 [5] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「はっきりと目覚めよ」

 (明慧ネット第15回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/11/376438.html)
 
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