【慶祝513】 王親方の第二の職業
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2021年6月12日】王親方は、法輪功修煉者の夫です。親しいので、私たちはいつも王親方を「王さん」と呼んでいます。王さんは今年57歳で、ある鉱山会社の鉱山フォークリフトの運転手です。特別な仕事のために、王さんは昨年(訳注:2020年)定年退職の手続きをしました。王さんは背が高くなく、見たところ誠実な人で、優しい顔をしていて、口下手で、ごく普通の人です。しかし王さんをよく知っている人や、王さんと取引したことのある人はみな「この人は本当に素晴らしく、普通の人ではない!」と王さんを評価し、みな「王親方」と呼んで王さんを尊敬していました。

 一、正しいものと間違ったものを区別する

 王さんの妻は1997年に法輪大法を修煉し始めました。妻が大法を修煉した後、すべての病気が治り、まじめに、善良に、寛大になったことを王さんは自分の目で見ました。物事を行う時は他人のことを先に考え、家庭関係がよくなり、隣人と仲良くなりました。王さんは心から真・善・忍を認め、誰にでも「法輪大法は素晴らしい」と言いました。

 1999年7月20日、江沢民グループと中国共産党(以下、中共)は互いに利用し合って法輪功を迫害しました。王さんの妻は北京へ陳情に行き、法輪大法の無実を訴えたために、中共に何度も不当に拘禁されました。2000年だけでも、5回も不当に拘禁されました。不当に拘禁された期間は最も長い時で50日以上になり、ある時は1カ月、ある時は半月、さらに5000元を脅し取られました。

 2001年の太陰暦の12月、王さんの妻は再び連行され、王さんの家は不当に家宅捜索を受け、妻は旧正月でさえ家に帰ることができませんでした。妻が不当に拘禁されていた期間、王さんはいつも妻のもとを訪ねに行きました。看守たちは王さんが妻に会うことを許さず、王さんは「あなたたちは私の村に行って問い合わせてみればいい、私の妻がよい人であると言わない人はいないでしょう。あなたたちはよい人を監禁しており、さらに会わせようとせず、本当に悪すぎる!」と自信を持って言いました。

 王さんの妻は何度も連行され、拘禁されました。王さんは不安におののいていましたが、王さんは妻の修煉に干渉したりあるいは妻が他の人に法輪功の真相を伝えることを阻止したことはなく、また大法と大法の師父に対して一言も不敬な話をしたことがありません。王さんはいつも黙々と圧力にさらされながら、お金を稼いで家族を養い、さらに小学校に通う娘の面倒を見て老母に親孝行をしなければなりませんでした。

 その数年間、妻が住居を追われ、警察に嫌がらせを受けた時でも、王さんの態度はいつも変わらず、妻の修煉を支持していました。なぜなら法輪功は間違っておらず、中共の弾圧が間違っており、法輪功への迫害は中共が作り出した極めて大きな冤罪であることを王さんは知っていたからでした。王さんは法輪功を修煉する人の善良さに敬服し、法輪功のためにもっと何かしたいと思っていました。

 二、「第二の職業」を見つける

 2001年12月、米国の法輪功修煉者が新唐人テレビを設立しました。その後は毎日中国に向けて法輪功の真相を伝える番組を放映しました。中共はさまざまな手段を使い尽くして封鎖しようとしましたが、みな成功しませんでした。新唐人テレビの受信機の設置と調整は、中国国内の普通のテレビとは異なりました。新唐人テレビが始まったばかりの時、地元で設置技術がわかる修煉者は少ないのに、新唐人テレビの番組を見たいという人は多く、同修は忙しすぎました。

 その年(訳注:2001年)、王さんの家も新唐人テレビの番組を見たがっていました。同修が王さんの家に設置した後、どうしても電波が入らず、みんな非常に心配しました。時間がもう遅くなり、設置した同修はしかたなくまずは帰るしかなく、帰る時に「明日また来て調整します」と言いました。

 設置した同修が帰った後、王さんは自分で調整してみました。あれこれいじってみて、信号がついに王さんによって叩き出されました! 王さんはとても興奮しました。王さんが調整できることを妻が見て、王さんに「あなたはこの技術を生かせますか、これからみんなのために新唐人テレビを設置したらどうですか?」と相談しました。妻の一言で王さんは「はい! 私はずっと法輪功のために何かしたいと思っていたが、適当なものが見つからず、今それを見つけました」と気付き、王さんはためらうことなく同意しました。

 王さんは高校を卒業し、頭が良く、また技術を熟考し研究するのが好きでした。王さん夫婦はすぐに意気投合し、それから、王さんは「新唐人テレビの受信機、俗称『衛生アンテナ』を設置する」という第二の職業を始めました。

 三、「三自を徹底する」アンテナ設置人

 王さんはしばらくの熟考を経て、また同修が王さんの家に受信機を設置する過程を見て、自身が信号を調整した経験があり、自分はできると思いました。王さんは、受信機を設置したいと思っているよく知っている修煉者に積極的に連絡し、修煉者たちのために受信機を設置しに行きました。まずは自分の村に設置し、それから周辺の村の修煉者の家に行って設置しました。

 みんな「王さんは受信機の設置がうまい」と言い、周りの人にどんどん勧めました。それから、王さんの仕事は次々に続いていきました。だんだんと、王さんは修煉者の家に受信機を設置しに行くだけでなく、真相を知っている人々も王さんに会って新唐人テレビを設置しました。時には、王さんはオートバイに乗って数十キロ離れた顧客の家に行って設置しなければなりませんでした。

 最初、新唐人テレビはユーテルサット(訳注:ヨーロッパの商用衛星通信サービス)を通じていて、信号が弱く、調整が困難でした。王さんはやり始めた時、技術も熟練しておらず、さらに「衛星発見器」があるのを知りませんでした。しっかり設置した後、もし信号がなければ、王さんは時には屋上に数時間留まることがありました。炎天下であろうと、厳しい北風であろうと、王さんはいつもひるみませんでした。時には食事の時間が過ぎ、しっかり調整した後に屋上から降りてきて一口の水も飲まずに、直接家に帰りました。

 王さんの受信機の設置は独学で、誰とも研究し合わず、またインターネットで調べる方法も知りませんでした。ある時、顧客の家に行って設置したとき、どうしても電波が入りませんでした。王さんは物を持って家に帰り、床に並べて夜の12時まで思案し、夜の1時になっても原因がわかるまで休みませんでした。その後、王さんは絶えず実践して探求し、技術も絶えず向上しました。その後王さんが「衛星発見器」の使い方を覚えたあと、設置ははるかに簡単になりました。

 王さんの受信機の設置は一貫して「三自」で、「一自」は自分の車であり、二自は自分で材料と設備を持って行くことであり、三自は休息の時間を利用して自分で行うことでした。

 最初の数年間、王さんが外出する時の移動手段はオートバイであり、数十キロ離れた顧客のところにもいつもオートバイに乗って行きました。材料を運ぶのが不便なため、妻がオートバイに乗り王さんのために材料を持ちました。その後、受信機を設置する利便性のために、王さんは自家用車を買いました。このようにしてだいぶ便利になり、仕事の効率も大幅に向上しました。

 王さんが材料を仕入れるのはいくつかの会社からで、ある会社の質が良く、価格が合理的であれば、その会社の材料を使い、最終的に購入ルートを固定しました。

 フォークリフトの運転手は、本来仕事がつらく、休みにはさらに80代の老母の世話をしなければなりませんでした。しかし、誰かの家が王さんに会って新唐人テレビを設置したいのであれば、王さんはいつでも二つ返事で承諾し、自分の家のことを後回しにして、非番の時間を利用して設置しました。十数年間、王さんは一度も断ったことがありませんでした。

 王さんが新唐人テレビを設置するのはいつも無料奉仕であり、人件費(設置費)はなく、顧客からは材料費の仕入れ価格と同額だけを受け取り、一銭も多く受け取ったことはありませんでした。大した金額ではない小さな部品は、王さんはいつも計算に入れませんでした。

 昨年(訳注:2020年)の夏、王さんはある同修の家に行って受信機を設置しました。同修は王さんが材料費しか受け取らないのを知り「あなたは時間を提供し、労力を払い、重たいものを自分で背負って行ったり来たりしており、あなたが設置費を受け取るのは道理にかなっています。受け取らないのは、不合理です。今日私は必ず設置費を支払います」と言いました。同修と王さんの2人は言い争って顔を赤らめ、王さんは受け取りませんでした。王さんは「あなたたち修煉者は大法のために何かをし、どれだけの労力を費やしても、どれだけお金を使ってもみなボランティアです。私はボランティアでこのことを行っており、それでもまだそうすべきではない(訳注:設置費を受け取らないなんてことをすべきではない)とでもいうのですか? 私はお金を要求できますか? 私は受け取りません」と説明しました。王さんは法輪功を修煉していませんでしたが、王さんは修煉者から学んでいました。

 過去数年間に設置した受信機はいつも信号が弱く、アップグレードを必要とし、ある家は何回もアップグレードしなければならず、古いセットトップボックス(訳注:衛星放送を一般のテレビで視聴可能な信号に変換する装置)も更新しなければなりませんでした。いつも、誰かの家のテレビの信号がなくなり、電話がかかってくると、王さんはいつも時間を調整しいつでもすぐに処理しに行き、顧客がテレビを見るのに影響を与えませんでした。

 毎年の旧暦12月は、王さんが最も忙しい時で、新しく設置しなければならないものがあり、メンテナンスが必要なものがありました。王さんは顧客の心情を知っており、一般的に毎年旧暦12月はいつも一通りチェックしました。近いところは仕事が終わって修理に行き、遠いところは休みに修理に行きました。

 今年(訳注:2021年)旧暦の大みそかの午前中、王さん一家はちょうど旧正月大みそかの夕飯の準備をしていました。ある顧客が電話してきて「テレビの信号がよくない」と言い、王さんがすぐに修理に来られるかどうか聞いてきました。王さんは二の句を言わずに、今やっていることを手放し、十数キロを運転して顧客の家に行きました。テスト信号は問題なく、ケーブルも問題ありませんでした。王さんは登ったり降りたりしてよく調べると、ある目立たないところのケーブルが壊れていることを発見し、すぐにケーブルをきちんと交換し、うまく調整しました。

 王さんは近くにまだ1人の顧客がいたことを思い出し、その顧客のテレビがどうなっているのだろうと思いました。ついでなので、ちょっとチェックしに行きました。その家に着いてみてみると、その家のテレビはさらに本当に問題があり、映像が出ませんでした! 王さんは注意深く調べ、その家の問題とさっきの家の問題が同じであることに気が付き、テレビをしっかりと調整しました。王さんは「早く家に帰って新年だ!」と思いました。家に帰ると、すでにもうすぐ午後3時で、王さんは昼食でさえまだ食べていませんでした。

 王さんの余暇はほとんどすべて受信機の設置とメンテナンスに使われました。十数年、費やした時間は言うまでもなく、投入したお金も少なくありませんでした。王さんは一言も恨み言を言わず、一言も騒がず、焦りも微塵も感じたことはありませんでした。ある時、数十キロ離れた顧客の家に行って設置し、メンテナンスを行い、顧客は王さんが材料費しか受け取らないことを知っており、とても恐縮し、王さんに燃料代を支払おうと考えました。王さんは「不用(訳注:必要ない)、不用(訳注:必要ない)」と繰り返しました。どんなに遠くても、王さんは一銭のガソリン代も受け取りませんでした。

 ある時、ある農村の同修が受信機を設置したがりました。王さんが行って見てみると、その同修は障がい者であり、家庭が貧困でした。受信機をしっかり設置した後、その同修がお金を払おうとすると、王さんは「この受信機はお金はいりません」と伝えました。同修は必ず払わなければならないと思いましたが、王親方は断固として受け取りませんでした。

 王さんの同僚の1人が受信機を設置したがりました。王さんは同僚が祝日中に新唐人テレビのテレビ番組を見られるようにするために、自分の家のことを脇に置きました。王さんは正午に飲まず食わずで、休憩も取らず、一気にしっかりと受信機を設置しました。同僚が王さんにお金を払うと、王さんは「必要ありません、あなたに贈ります」と言いました。このようなことがたくさんありました。

 王さんは「自分が行っていることは人々に法輪功の真相を理解させることができ、よいことで、正しいことだ」と思っていました。中共の調査は厳しく、さらに至る所で受信機を取りはずしましたが、王さんは恐れず、気にかけることもしませんでした。

 ある同修が理髪店を開き、店に新唐人テレビを設置してもらうよう王さんに頼みたいと思っていました。王さんはそれを聞いて、嬉しくなり「オーケー! そうすれば散髪に行く人がテレビを見ることができ、真相を知ることができる」と言いました。そこで、王さんはすぐに時間を調整し、理髪店のために新唐人テレビを設置しました。すぐに、ある人が散髪している時にテレビを見て真相を理解しました。その後、さらに散髪しなくてもいつも誰かが新唐人のテレビ番組を見に行きました。

 四、受信機を設置する中での苦と楽

 王さんの仕事は鉱山の地下の仕事なので、王さんの皮膚は比較的白かったのでした。夏は屋上で受信機を設置し、長い時間過ごすので、王さんの着ていた服は半そでの服なので、しっかり設置して降りてきた時、体は太陽の光で皮膚が火ぶくれになりました。夏が過ぎると、王さんはいつも黒人のようになり、冬に受信機を設置すると、綿の服はみな風が吹きぬけていき、両手は凍ってマヒし、足もマヒしましたが、それでも王さんは降りてきませんでした。王さんは手を綿の服の中に入れて少し暖め、引き続き行い、しっかりと設置しなければ、降りてきませんでした。

 このような苦を、王さんは真剣に受け止めたことはなく、それが苦だと感じていないかのようでした。受信機を設置して十数年、辛いことや楽しいこと、どんなことにもみな遭遇しました。王さんは有意義であると感じていたばかりでなく、いつもとても楽しいと感じていました。

 ある人が新唐人テレビのテレビ番組が面白いと聞き、その人も設置したがり、縁があって王さんを探し当てました。王さんは手早く物をしっかりと準備し、車に荷物を積んで出かけました。王さんが材料を家の中に持ち込み、設置しようとした時、その人は考えが変わり、何と言おうと設置せず、話し方と態度はさらにかなり失礼でした。王さんは物を再び車に乗せて家に帰るしかありませんでした。無駄に走って往復しましたが、王さんは一言の不平も言わず、ただ顧客が真相テレビを取り付けなかったことを残念に思っただけでした。

 ある同修が、王さんに頼んで新唐人を設置してもらうことに同意するよう修煉していない家族を説得しました。王さんは非番の時間を手配して行きました。その人の家のドアにたどり着き、物をみな車から運び出しましたが、なぜかわかりませんが、その家族が突然考えが変わり、何を言っても設置せず、さらに王さんに対して不機嫌な様子を見せ、いくらか聞き苦しい話を言いました。

 王さんは何も言わず、また怒りもせず、ただ黙って聞いていました。その人が言い終わるのを待って、王さんは設置しないことを相手に確認し、材料を車に積み込み、引き返す準備をしました。車が始動するとすぐに、その同修が急いで駆けつけてきて、その同修は再び家族に連絡を取った、ということを言い、再び設置に同意しました。王さんは何も言わず、まるで何も起こらなかったかのように、再び荷物を降ろし、すぐにしっかりと設置しました。

 王さんの心の中では、人々が新唐人テレビの番組を見ることが出来さえすれば、自分が少しぐらい辛い思いをするのは何の問題もありませんでした。

 さらに駆け引きをする人に会うこともありました。ある人の場合はその人のために設置し終わり、王さんが材料費だけ受け取ると、その人は「この時世、このような愚かなことをする人がいるものか? 時間を犠牲にし、燃料代を支払い、金を稼ぐ目的でなければ、意図は何ですか?」と信じませんでした。材料費の値段を下げなければなりませんでした。その人が信じないというのであれば仕方なく、金額が少なければ少なくてもよく、王さんは損得を計算せず、相手が新唐人テレビの番組を見ることができればそれでよかったのでした。

 このような不合理な人や出来事に出会っても、王さんは怒ったことがなく、大したことではないと思っていました。王さんは多くの経験をしましたが、他の人の前で自分の経験について言及したことはありませんでした。王さんにとってみればそのような人やそのような出来事はみな自然なことであり、言及する価値はなく、さらにそれが何らかの苦しみであることでさえ考えていませんでした。ある時、王さんはさらに自分の経験したことがあまりにも面白いと思い、笑い飛ばしました。

 ある人が王さんに受信機の設置を頼むと、王さんは喜び、人々が新唐人テレビを見た後に真相がわかると、さらに喜びました。現在(訳注:2021年)王さんの技術は熟練し、問題がある場合は天地行のウェブサイトで調べると、問題はすぐに解決しました。

 長年の鉱山での作業中に、王さんは何度も生命の危険に遭いましたが、毎回いつも危険な状態を切り抜けることができました。王さんは「私は体にいつも大法の真相のお守りを身につけており、鉱山の地下では『法輪大法は素晴らしい』と敬意をもって念じ、これはすでに私の習慣になっています」と言いました。ある時の鉱山の地下での作業で、突然地滑りに見舞われ、王さんが運転していたフォークリフトの前部が破壊されましたが、運転手である王さんは無傷でした。大法の師父が王さんを守ってくださっていることを王さんは知っており、王さんは心から大法の師父に感謝しました。

 受信機を設置する以外に、王さんも大法の真相を広め、いつも新唐人テレビで見た真相を同僚たちに話しました。王さんの妻は「王さんは口べたで、自分の心の中ではわかっていますが、伝えることができません。『法輪大法は素晴らしい、早く三退しましょう』と言うだけでいいのです。言うのは簡単ですが、彼が新唐人テレビを設置することは、真相を広める重要な方式です!」と言いました。

 王さんが定年退職後、王さんの人柄がよいことをある親戚が知り、自分の会社にアルバイトに来るように王さんを雇いました。行くと王さんは工事現場に新唐人テレビを設置したくなり、一つは自分がこのテレビから離れることができないからであり、二つ目は工事現場にさらに数人がおり、さらに工事現場の数人に見せなければならなかったからでした。親戚の同意を得た後、王さんはすぐに工事現場に新唐人テレビを設置しました。労働者たちが食事をし、夜休む時に、王さんはテレビをつけ、みんなに新唐人テレビの番組を見せると、すぐに、みんな真相がわかり、王さんは喜びました。

 現在(訳注:2021年)他の人の第二の職業はみな多くお金を稼ぐためです。しかし王さんの第二の職業はお金にはなりませんが、王さんはとても満足しています。王さんの妻は「この人は特に純朴で、彼が苦労していると他の人は思っていますが、彼自身は苦労していると思っておらず、彼は収穫だと思っています」と王さんを評価しています。王さんは「もし私が苦労しているというのなら、私の苦労は法輪功修煉者に比べればまだまだです!」と言いました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/19/425771.html)
 
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