--大法弟子の正法修煉の勇壮な歌(一)
文/黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2023年4月7日】中国東北部の黒竜江省南部、松花江の北で、南西に拉林河が流れているこの土地に、伝説的色合いのある小さな町があります。1994年5月、道徳を向上させ、病気治療と健康保持に奇跡的な効果を持つ功法である法輪大法が、ここに静かに伝えられました。このようにして、この小さな町は、法輪大法の弟子が創作した正法修煉についての勇壮な歌を目の当たりにしました。
一、大法が広く伝わった小さな町
1.友人や親族に伝わり修煉を始める
1994年4月29日から5月8日まで、小さな町の気功愛好者5人が長春市気功科学研究会に招かれ、長春吉林大学鳴放宮講堂で李洪志師父が主催した長春第7回法輪功講習会に参加しました。講習会が終わると、気功愛好者5人は地元に戻り、法輪大法はすぐに小さな町に広まりました。100日もすると、十数人だった修煉者が300人を超えるようになりました。
法輪功迫害が発動される前、小さな町の煉功場で行われた集団煉功の様子 |
だれも組織化することなく、意図的に公表することもなく、ただ家族から家族へ、友人から友人へと受け継がれていきました。その理由は、人々が法輪功が病気治療と健康保持に奇跡的な効果があることを目の当たりにし、また修煉者の体から長い間欠けていた誠実さ、善良さ、寛容さという懐かしい精神を見たからでした。法輪大法の普及は、この小さな町の人々に生命の回帰と再生の希望を与えました。法輪功を修煉することで得られる喜びと幸せにより、生命の内在から生まれる幸福感が人々の心に刻まれているかのように満ちていました。
当時、人々は職業、学歴、年齢、性別、地位などに関係なく、自発的に煉功場に行って煉功し、みんなで一緒に座って貴重な書籍、『轉法輪』を拝読しました。
法輪大法が広まることにより、社会道徳が急速に回復しました。大法は人々の心を清め、町の外観や村の様相を一変させ、今でもあの情景は忘れられません。
2.ボランティアで功法を教えながら小さな町で大法を広める
1995年7月から1999年7月までの4年間、小さな町の大法修煉者は、より多くの人々に恩恵をもたらすために、町の周辺のすべての郷や鎮、区や県に法輪大法を広め始めました。修煉者は3人1組や2人1組で、自分たちでお金を出して買ったDVDプレーヤーを持って地方に行き、師父の説法ビデオを見せたり、ボランティアで功法を教えたりしました。
早くから修煉を始めた修煉者たちは大法書籍を持参し、自転車で地方に行き、友人や親戚を訪ね、大法を修煉した後の心身の変化を紹介し、自らの体験を通して法輪大法の超常さとすばらしさを伝えました。夏と秋の収穫期、地方では農作業で忙しかったのですが、学生たちは昼は村人のためにボランティアで農作業をし、夜は師父の説法ビデオを流しました。
冬の日、大法弟子が説法ビデオを上映して町に戻るのは夜の10時過ぎであり、小さな町で何度も目にしました。雪が激しく降り、顔に当たると痛いほど冷たい風が吹き、目を開けることができないほどでした。口から吐き出した熱気で、帽子の両側に白霜が凝結しました。風に立ち向かい自転車に乗れない時は押しながら進みました。夏は炎天の灼熱で背中から汗が流れ、雨で道がぬかるんで足元が悪くて歩くのが困難でしたが、大法弟子たちは苦労や疲れを微塵も感じませんでした。
予期せぬ多くの困難にもかかわらず、修煉者は充実感と幸福感を感じました。なぜなら法輪大法を広め、より多くの人々に恩恵を与えることは、大法弟子の揺るぎない責任だったからです。修煉者たちは辛苦を恐れず、町から町へと渡り歩き、次々と町に煉功場や学法の場を設けていきました。
3.地方で法を伝える壮観な光景
小さな町の記憶の中で、ある市場に何百人もの人が集まって集団煉功し、村人たちに大法を広めている光景は感動的な場面であり今でも忘れられません。1998年4月から5月にかけて、14の町村から新旧合わせて数百人の修煉者が集まり、近隣の村々で法を伝えました。数人の若い修煉者がオートバイで先頭に立ち、自転車、馬車、三輪スクーターに乗った大法修煉者がそれに続きました。
大部分の修煉者は歩いて行き、その中には70代のお年寄りや3歳の子供もいました。すべての村や町で法を広める宣伝パネルを掲示し、放送用スピーカーで大法の紹介を放送しました。村の人たちは「法輪功が来た! 法輪功が来た!」と歓声を上げながら町中を走り回りました。行く先々で村の人たちに歓迎され、支持されました。
1999年初頭、楽隊スピーカーに切り替えた修煉者たちが奏でる煉功音楽はまさに大地を揺るがしました!
4.1998年4月4日に小さな町の東門で法輪大法を紹介する
その日は空は青く、うららかな日和で、太陽は輝いていました。城楼には煉功音楽を流すスピーカーが高く掛けられ、広場の前には「法輪修煉大法」と大きく書かれた1.8メートルの横断幕が掛けられ、その両脇には法輪功を紹介するパネルがありました。
朝は6時前から修煉者が入場していました。朝7時、8時になると、17の町すべてから農村の修煉者が続々と到着しました。修煉者たちはオートバイやバス、マイクロバスに乗って集団で協力してやってきて、法輪功を広める活動に、喜び溢れて参加しました。
午前9時、煉功音楽が鳴り始めると、師父の煉功の音声に従って同修たちが自動的に整列し煉功を開始しました。7,000人以上の煉功場から聞こえてくるのは、悠揚とした煉功音楽の音だけでした。その光景は壮大で、空間全体が穏やかさと静寂に包まれていました。強大なエネルギー場では、大勢の人が静まり返り、畏敬の念を込めて見つめていました。煉功の最後には多くの人が拍手喝采し「素晴らしい! 感銘を受けた! こんなにも多くの人と煉功してとても気分がよくなりました!」と言いました。
5.1999年に法輪大法を紹介する
1999年の春、小さな村の300人以上の大法修煉者が町に集まり、集団煉功して法輪大法を紹介しました。何百人もの人々が一緒に煉功をしている、壮大で神聖な光景でした! 行き交う同郷の人々は足を止め、陽光に輝く金色の法輪功の紹介ポスターを眺めながら、大法弟子の優美で静かな煉功動作に見入り、同郷の人々の顔は喜びと賛美に満ちていました。
その日、大法修煉者は合計23の村と町を歩きました。多くの人が自ら進んで大法の修煉に入り、貴重な書籍、『轉法輪』を手にして喜びを感じていました。こうして法輪大法は人から人へ、心から心へと伝わり、さらに広くさらに遠くへと伝わって行きました。
数回の集団煉功の後、小さな町の28の郷と鎮に法輪功の煉功場が設置され、ますます多くの人が修煉するようになりました。都会と地方がつながっているため、小さな町の東門広場ではしばしば大規模に煉功して法輪大法を紹介しました。1999年だけでも、大規模に集団煉功して法輪大法を3回紹介しました。
最後の集団煉功は1999年7月21日で、当時は数百人が参加しました。中共が始めた法輪功への迫害により、大法修煉者は警察に取り囲まれ、強制的に退去させられました。
6.煉功場は小さな町の美しい光景
小さな町では大法修煉者が日に日に増えたため、煉功場所が収容しきれず、居住地に近いところで煉功場を設置し、いくつかの煉功場に分けました。大きな規模の煉功場は、小さな町の中にあるグラウンド、十字街(医薬会社)、東門、西門、工商行政管理局(訳注:工業・商業の企業が国の法令・政策に沿って活動しているかどうかを監督し検査する機関)の建物の下、南門、北門の煉功場でした。
毎朝、町の周辺や中心部では、修煉者が道の両側に整然と立ち、あるいは公園やキャンパス、グラウンドで優美な煉功音楽に合わせて静かに煉功し、遠くから見るとまるで庭園の中の珍しい花のように見えました。煉功場に花が咲いたような赤い色を見た人もいて、法輪大法の煉功は神聖で穏やかなものでした。煉功場は小さな町の美しい光景でした。
(続く)
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