日本のある店の前で真相を伝えたときの少しの修煉体験(二)
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 【明慧日本2021年7月12日】 (前文より続く)

  観念を破り、多くの人を救う

 店の前で真相資料を配布する前、『共産党についての九つの論評』、『共産主義の最終目的』を配り始めた頃、ほとんど毎日多く配布できました。それからしばらくして、いつもの新聞を配布する以外に、各種の(真相の)本を3冊配れたのでとても嬉しかったのです。これ以降、毎回各種の本を3冊持って行き、帰宅する前には配り終えました。

 ある日、出かける前に本の準備していると、家にまだ6冊の『共産党についての九つの論評』、6冊の『共産主義の最終目的』があり、手元にあった30組の『動かぬ証拠』はとっくに配り終えていました。私は心の中で思いました。人を救うのがこんなに緊迫しているのに、この本をどうして家に置いておくことができるの? 全て持って行きましょう。その結果、この12冊の本は1日で全て配り終えました。その日から、私はいつも3冊配れば満足していた考えを打破しました。いつも6冊、8冊、10冊、持って行けるだけ持って行きました。

 半年の間、最も多いときは一度に11冊の『共産党についての九つの論評』、10冊の『共産主義の最終目的』、5冊の『動かぬ証拠』を配り、いつも5、6、7冊配るのが普通になりました。現在新しい『動かぬ証拠』を私と姉で60冊近く配りました。その過程の中で、私は観念を破り、なるべく多く本を持って行きます。午前中は仕事をして、午後に真相資料を配るので、出勤するときは真相資料の鞄またはスーツケースを持って、工事中の2つの歩道橋を渡ります。 

 ある日、娘に言いました。「最近肩が少し痛くて、たぶん資料を運んでいるからね」。私のこの話を孫が聞いて、「おばあちゃん、それを軽いと思って。そうしたら軽くなるから!」と言いました。一つの観念を放下しても、新たな観念が生じてしまいます。このとき、師父がおっしゃった言葉を思い出しました。「ご存知の通り、玉ねぎを一枚一枚はがしていくと最後に全てなくなります。これがその本質なのです」[4]。師父の法を思い出したのは、弟子を励ましてくださっているからです。私は修煉は本当に幸福だと思いました。

 真相資料を配布する過程で、私は重ねて法輪功迫害の実態を話し、本を必要とする縁のある人に渡します。ただ配っているだけではありません。この店の付近には中国語学校があって、学生のほとんどが中国国内からここに来ています。またここは中国人の住居が密集していて、若い人がかなり多いのです。 

 ある時、留学生が私のそばの手すりに座って友達を待っていました。私は彼に真相資料を渡しましたが、彼は「要らない」と言いました。私は手に持っている『共産党についての九つの論評』と『共産主義の最終目的』を指して言いました。「これは中国の近代史です。あなたに何かをするように言っているのではなく、学生として必ず学んだほうが良いです。学んだ知識は自分の頭の中に入っていて、誰も奪えません。多くの知識を持つことはあなたにとって良いことであり、トラブルなど何か起きたとしても正しい判断ができます。あなたは学生でこの歴史を見なければ、そのことを知らず空白です。あなたに卒業論文を書くように言っても、この歴史を見ないと書ききれないでしょう。また、中共邪党のこれまでの運動は全て誤りです。おばさんはあなたのために言っています。あなたが私に対して何かしてくれるように言っているわけではありません」。彼は「たしかに道理がありますね。じゃあください」と言いました。また私にお金をあげると言ってくれました。私は「お金はいりません。あなたが見終わったら周りにいる同級生や、友達にも見せてあげてください」と言いました。彼はとても嬉しそうに「ありがとう!」と言いました。私はまた彼に「偽りの天安門焼身自殺事件」についての真相を話しました。

 厳重な疫病期間の連休の日、20代の若者が本と真相資料を貰いに来ました。私は「お兄さん、あなたも何日かお休みですか?」と聞くと、彼は「はい」と答えました。私は「おばさんの話をきいて、これを一日真剣に読めば、あなたは何でも分かるようになります。我々は別の事を言う前にまず命を守りましょう」と言いました。彼は「分かりました。ありがとう!」と言って、嬉しそうに自転車を漕いでいきました。

 またある日、店の前で買ったものを整理している女子学生と男子学生を見かけました。見ると彼らは興奮している様子で、ここに来て間もないと分かりました。私はそばに行って質問しました。「あなたたちは、日本に来てどのぐらいですか?」。彼らは「20日ぐらいです。この付近の語学学校に行く準備をしています」と言いました。私は「あなたたちが海外に来たからには、多くの国際新聞をよく見て、中国の番組は見ないように。国際社会の新聞は基本的に全てが本当で、中国の番組は真実ではありません」。彼らは頷きました。私は「おばさんは日本に来て二十数年です。あなたたちに何か困ったことがあったら、月曜日の午後はこの場所にいるので、おばさんに会いに来てください。おばさんは出来るだけ、あなたたちのために力を尽くすから」と言いました。彼らはとても感動して、声を揃えて「ありがとう!」と言いました。それから真相資料と本を持って、嬉しそうに別れを告げました。

 数日前、20代の若者が前に立って携帯を打っていて、母親が食料品を買うのを待っていました。私は前に行って会釈して、彼に真相資料を渡しました。彼は顔を上げずに言いました。「いらないです、ありがとう」。私は直感的に、中国国内から来た人が、法輪功の資料を配る人に「ありがとう」と言うのは、まだ善の心があるからです。普段、真相資料を受け取らない人に対しては、私は口頭で真相を伝えます。私は彼が携帯に集中しているのを見て、突然思い出しました。朝、同修から『動かぬ証拠』シリーズのリンクを教えてもらったばかりでした。そこで私は、携帯を取り出して話しながら彼に見せました。彼は母親が来るまでの間、携帯を熱心にずっと読み続け、読み終えると私に携帯を返しました。                           

 私たちがただ純粋な心で人を救えば、師父は縁のある衆生を私たちの前に連れてこられ、真相を伝えて救うのだと悟りました。異なる状況でも、師父は弟子のために異なる知恵を開かせて下さるのです。

 真相を伝えることは法を実証し、人を救うことで、同時に心を修め執着を取り除く過程です。あるとき、遠くから老人が杖をつき、色あせた服を着ていました。私は無意識的に老人の汚さが嫌で数歩横に下がりました。しかしすぐに、これは善ではないと分かりました。悟ってから、私はとても恥じて、すぐに元の場所に戻りました。

 このとき、老人が私の所へ向かって来て、私の前に立って、しばらくポケットを探ってから、私の上着のポケットにお金を入れてきました。私は「いりません、いりません」と言いました。老人はまるで私の声が聞こえないように何も言いません。私が何を言ってもだめで、頑なに私に渡しました。最後に、私のポケットに硬貨を入れて、一言も言わずに去って行きました。家に帰って、私は上着のポケットを思い出し、老人が私に100円くれたのを知りました。私はお金の問題ではないと知っています。師父は弟子の正しい行いをご覧になって、弟子に励ましと戒めを啓示してくださっているのです。

 家に高く積まれた『共産党についての九つの論評』、『共産主義の最終目的』、『動かぬ証拠』の本を見ると、下を向いてる自分に対して大きな励みになります。

 この交流文章が完成した際、師父の新経文『大紀元新唐人メディア法会での説法』が発表されました。師父は説かれました。「私はずっと言っていますが、私たちは狭間にいながら人を救っており、私たちの道は非常に狭く、少しでもずれてはいけません。このようにしてはじめて取り組んでいることを完成させることができます。師父もそうです。このことを始めた当初、全世界の人を救おうとしました。しかし、何と言ってもこの世界はここまで腐敗してしまい、全部を救うことができなくなりました。なぜならば、人間が変異し、良し悪しと善悪を見分けず、人間は自分を見捨てたのです。皆さんも責任を果たし、行うべきことを行なったため、もう十分です」[5]

 ここまで学ぶと心の中が苦しくなり、救った人がとても少ないと思いました。人を救うことは、自分の修煉が良くできている土台があってこそ、多くの人を救えるのです。やはり、自分を良く修めていれば、衆生済度の能力も増えるのです。嬉しいことに自分には真相を伝える場所があり、これは本当に喜ばしいことです。私は師父の法「誰に攻撃されても、悪をもって接したりしないでください。敵を作らないでください。私たちを罵ってもいいのですが、相手を罵らず、誰に対しても善をもって接します」[5]をしっかりと覚えなければなりません。

 以上の交流は、個人の次元の悟りによるもので、もし正しくない所があれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 (完)

 注:
 [4] 李洪志師父の経文:『ニュージーランド法会での説法』
 [5] 李洪志師父の経文:『大紀元新唐人メディア法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/4/426335.html)
 
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