法を実証し人を救う過程で恐れの物質が解体される
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文/河北省の大法弟子 浄心

 【明慧日本2021年7月21日】ここで「恐怖」のトラウマから抜け出し「恐れ」の物質を解体した過程について交流し、まだ表に出て来ていない同修の参考になればと思います。

 いま時間は非常に緊迫しており、邪悪な要素は少なくなったものの、まだ多くの同修が表に出て人を救うことができていません。表に出られないのは恐怖心によるものだと個人的に思っています。修煉者として、師父がお選びになった大法弟子として、師が法を正することを助け、衆生を救い済度することは私たちがこの世にやって来た目的です。最後の肝心な時に自分自身をしっかりと修め、より多くの人を救うことができることを望んでいます。

 恐れの形成

 私は1980年代に農村で生まれました。小さい頃から暗闇を怖がり、日没になると無数の目が私をじっと見つめているように感じていました。歩く時、いつも誰かが後ろについて来ているように感じ、振り向いて見ても誰もいません。それでさらに怖くなり、また振り向いてみると依然として誰もおらず、私は恐怖のあまりに家に向かって狂奔(きょうほん:狂ったように走り回ること)しました。また、夜は一人でトイレにも行けず、暗闇に対する恐怖は私が大法を修煉する時まで続きました。

 大法を修煉し始めてから、私は自分に問いかけました。何を恐れているのか? その答えは、この世に鬼がいることを恐れているということでした。姉弟(きょうだい)3人の中で、ただ私だけが父に殴られたことがありませんでした。他の2人はどちらも殴られたことがあります。父が私を殴らなかった理由として、父が非常に怒っていた時に、私は黙っていたからだといいます。姉も弟も私と違って父が怒り出すと、より怒りの炎を煽り、さらに怒らせました。後になって考えてみると、私が殴られなかったのは、殴られることを恐れていたからでした。

 中共によ法輪功に対する迫害が発生後、私は3回不当に洗脳班に監禁されました。2回目に洗脳班から出たとき、私は自分に「なんで心がこんなに苦しいのか、ましてや本心に反して邪悪に妥協したのか」と問いました。答えは、自分が殴られることを恐れていたからです。あの邪悪な巣窟で、あの恐怖の雰囲気の中で、夜は全く眠れず、布団の中で震えていました。隣の部屋からの胸が張り裂けるような声や、人を殴る音と殴られていた同修の叫び声が一つに混ざり、窒息しそうでした。1秒もそのような環境にいたくなく、心理の忍耐の極限に達したと感じました。もう一つの重要な原因は、この1年あまり、あまり学法をしておらず、両親は共に労働教養されていたため、私たち姉弟3人は困窮して流浪生活を送っていたことです。

 まだ迫害に遭遇していなかった頃、私は警官に対して恐怖を感じませんでした。2003年に農村には街灯がなく、夜は手先が見えないくらい暗く、冬の漆黒な夜に出かけて資料を配ったり、横断幕をかけたりしていても、全く恐いという概念がありませんでした。

 2001年、私は家宅捜索を受けました。その時、師父の新経文『提案』が発表されたばかりで、師父は「ただ大法の中からメリットを得ようと思うばかりで、大法のために貢献しようと思わないこれらの人は、神の目から見ると、最も良くない生命なのです。しかも、この法は宇宙の根本なのですから、いまだに人間から脱皮できない人は、今回の魔難が過ぎたのち、淘汰されてしまいます。その中の多くは、縁の深い人なのです。これがなぜ、師父が待ちに待ったかの理由です」とおしゃいました。 [1]

 私は自分を逮捕した警官に真相を伝えましたが(両親は逃れました)、彼らは私と弟を公安局まで強制連行し、私の両手を身体の後ろに持っていき、椅子に縛り付け、私の法輪功の本で殴りました。その瞬間、私は頭の中が真っ白になり、それまで警官に対して懲悪勧善(悪を懲らしめ善を奨励する)という認識しかなく、この時、警官に対する認識が徹底的に覆されました。後で私は地元でも悪名高い洗脳班に入れられましたが、恐れのため、殴られること転向させられることを恐れていたため、私はそこから逃げ出しました。

 迫害が発生してから、我が家は何度も家宅捜索を受け、撹乱されました。父は迫害で世を去り、母は何回も労働教養され、その後、私には自分を守るためのずるい観念が形成され、証拠を掴まれなければ安全だと考えていました。恐れる心の駆使のもと、このような狡猾な観念でいわゆる自己を保護しました。

 師父は説法の中で「しかし、転んだら正しい教訓を汲み取り、いつも間違った教訓を汲み取らないようにしてほしいのです。間違った教訓を汲み取るとは、人心で物事を考え、自分をずる賢くし、丸くしてしまえば、悪くなったのです。悪い人とは何かについて話したことがあるでしょう。ずる賢い人は悪い人です。優しくて、複雑な考えのない人が良い人です。正しい角度から物事を考えるべきであり、転んだら『私のどこが間違ったのか』と修煉者の角度から原因を探すべきです。法をもって量ってはじめて、正しい教訓を汲み取ることができ、本当にこのように行なっていれば、きっと良くなります」 [2]とおっしゃいました。

 警官やパトカーが怖かったのですが、その時の私は、警官が家宅捜索に来ているのを見る度に心臓の鼓動が早くなり、街を歩いてもパトカーを見ると緊張しました。このようにして、長年に亘る迫害のトラウマは私に分厚い恐れの物質と恐れの場を作りました。私はいつも自分の生活が窮屈だと感じ、あの種の恐れの物質は私を息が詰まるかのように圧迫しました。人を救うことをするときもビクビクしており、非常に不純な心が混ざり、自分が置いていかれるのを恐れました。しかも怖がれば怖がるほどますます多くの虚像が現れました。夜に仕事から帰る時に会計を終わらせてから家に帰るともう11時になり、帰宅すると1台のパトカーがマンションの前に止まっていて、私は怖くて階段を上がることができませんでした。しかし夜も遅く、他に行くところもなく、私は渋々家に戻りましたが、後になってパトカーは大家さんの嫁の職場のものだと分かりました。

 このような長年の迫害で「恐れ」の物質は私の至難の関となりました。私はほとんどこの「恐れ」を修めることなく、逆にそれを大きく養ってしまい、逆にそれが私を制約しはじめました。一度学法が終わった時、天目が開いている1人の同修が私に、私の空間場に2人の旧勢力の神が私の元神を圧迫していると言いました。その時、彼は2人の旧勢力の神にとても怒っていて「どうしてこのように人をいじめることができるのか」と言いました。彼が言った場面はちょうど私が心理的に感じているものであり、心はあの恐れの物質に圧迫され、ほとんど息ができず、いつも気分が落ち込んでおり、晴れ晴れとした気持ちになれませんでした。私は恬淡に、正々堂々と大法を修煉し「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と大声で叫びたいのに、恐れて叫べませんでした。

 恐れの物質を解体する

 全てのものは生命であり、長年、私は恐れの物質を放任させ、それが私の空間場で形成し、大きくなり、逆にこの勢いを増した恐れの物質が私を制約し始めました。

 2013年、私は退職して家に帰り、自分の修煉状態を整えたいと思いました。家に帰った後、私は地元の集団学法に参加しました。この学法グループはできたばかりで、その中に中年の同修がいました。彼女は2002年から面と向かって真相を伝え人を救い、しかも邪悪の狂った迫害の中で九死に一生を得ていました。私は彼女に自分を引っ張ってもらい、自分も表に出たいと思いました。このように、私は同修と共に真相を伝える道を歩み始めました。

 最初の頃はいつも彼女が話し、私は発正念をし、話す勇気がありませんでした。同修が話す中で、話を聞かない人や悪口を言う人がいると緊張し、怖くなりました。しかし、だんだんと恐れなくなりました。長い間彼女についていきましたが、話す勇気はありませんでした。時には、私はおじいさんやおばあさんに話しました。このほうが安全だと思ったからです。徐々に私も市場で話せるようになりました。市場で人々に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と覚えるよう伝えた時、自分の空間場が突然明るくなったように感じ、全身に透き通るような感覚がしました。それはまるで、自分が太陽の光を見ることができないような部屋に長い長い間封じ込められていて、その部屋の1カ所が破かれ、陽光が部屋全体を満たしたようでした。その瞬間、もう自分は怖くなくなったと感じました。これは師父が私の恐れの根元を取り除いてくださったと分かり、心もその瞬間明るくなりました。本当に「修は己にありて、功は師にあり」 [3]です。私たちに修めたい心さえあれば、努力して行っているときに、あの山のような大きな物質を師父は少しづつ取り除いてくださいます。

 このようにして、私は集団学法の環境のもとで、他の法を実証するプロジェクトにも参加しました。私は地元のある同修が、純正で恐れのない場を持っていると感じました。彼女は確かにとても大胆で、その場は私にも影響を与えました。集団学法のあと、その同修と一緒に真相が書いてあるステッカーを貼りに行きました。私は貼るときに常に周りに人がいないかを見ていましたが、彼女は全く周りを見ませんでした。貼り終えると彼女は私に、私たちは常人と同じ空間場にいないのだから、常人には私たちが見えないし、あなたは全く見えていないと言いました。このようにして、貼れば貼るほど順調に進み、100枚を超えるA3のスティッカーを2時間くらいで貼り終えました。

 新型コロナウイルスが流行してから私たちは、時間の緊迫さと衆生が救いを求めていることを感じました。私たちは絶対に救われる機会を衆生の前に届けなければならず、一人でも救うことができれば救うべきです。私たちは手分けして大量の資料を配布し人を救い、ただただやるだけで結果に執着しませんでした。その過程で、恐れの物質は解体していきました。昔のビクビクしていた状態から、平然と資料を人々の手に渡せるようになりました。一度コミュニティで法輪功の雑誌を配っている時、おじいさんが私たちが配っているのは何の広告かと聞きました。私は彼に一冊の「天賜洪福」を両手で渡し「よく読んでください。天賜洪福(天から賜る幸福)ですどのようにすれば疫病から逃れられるかが書いてあります」と伝えました。その住宅地を配り終えようとした時、おじいさんはやっと分かってきて「法輪功か、よく配っていますね」と背後から言いました。

 2015年から始まった江沢民告訴の大潮流のなか、私の家族は全員起訴状を郵送し、順調に配達証明書をもらいました。行う過程で、恐れの物質を解体しました。心が正しければ邪悪なものに侵されません。2017年に邪党の残党はドアをノックする行動を取りました。もちろんそれは我が家にも及びました。再び警管と対面した時、ビクビクしていませんでした。もう以前の様に警官を恐れていませんでした。慈悲や善で彼らに対処するまではできませんでしたが、それでも彼らを追い出すことに成功しました。

 これらのことを書くのは、ただこの過程を述べただけであり、まだ表に出られていない同修の助けになることを希望しているからです。この過程は自我を放棄する過程であり、恐れの物質は物事を行う中で師父が取り除いてくださいました。私個人としては、まだ表に出られていない同修の多くは、恐れているからだと思います。長年の迫害が表に出ることを怖がらせています。表に出たくないのではなく、表に出ることを恐れているのです。修煉する人の中に師父の仰ることと照らし合わせて、自分をよく修めたいと思わない人がいるのでしょうか? 私たちは行動しなければなりません! 恐れれば恐れるほどあなたはこの恐れという生命に栄養を与えています。

 2020年の初めに「轉法輪」を転写しているときに「あなたはすでに自分の主意識を放棄する習慣を身につけているから」 [3]を転写したときに、師父は私に「身につけている」の言葉の背面にある、中に含まれているものを悟らせました。全ての良くない習慣と良い習慣は全部私がそれをすでに無形から有形の生命にまで養成しているのです。ならば私たちは物事を行う中で養成した恐れの物質を捨て、真相を伝え人を救うことはすなわち恐れの物質を解体する過程であり、自我を放下し、心性を向上させる過程でもあるのです。

 私たちは法を正す師を助け、衆生を救い済度するために来ています。もし私たちが人を救わなければ、どのように師父の慈悲深い済度に応え、無量の衆生の期待に応えることができましょうか。師父の法を正す過程はすでに今日までに至り、他の空間にある邪悪な要素はほぼ解体されてなくなり、環境はとても大きく変化しました。邪悪な要素はますます少なくなりましたが、良い修煉環境はこの過程で切り開いたのであり、待ってできあがるものではありません。

 ここ数年間、地元で法を実証する環境にも大きな変化があり、邪悪はもう邪悪でいられなくなっています。しかし、この環境も同修たちが全体で協力して大法を実証した結果です。地元の邪悪を暴露する看板をあちこちに貼り付けて、悪行を行った悪人を震え上がらせ、弁護士に同修を救援させ、警察、検察、裁判所の人に真相を分からせ、面と向かって法輪功の資料を配って衆生を救い、広い区域で真相のステッカーを貼って大量に他の空間の邪悪を解体して正の場を作ったために環境は変わりました。

 同修たちよ、私たちはやらなければなりません。例えほんの小さなことからでも良いのです。あなたの少しずつの努力が恐れの物質を解体させています。自分の心を封じ込めているあの漆黒な部屋から出て来て、あなたの心に光を差し込ませてください。

 神韻の最終演目では、洪水がまさに押し寄せようとしている時でも、邪悪は狂ったように大法弟子を迫害していました。師父は説法の中で「以前話したことがありますが、迫害の最後になっても邪悪は迫害を止めることはありません。明日迫害が終わるにしても、今日邪悪は相変わらず悪事を働きます。法を正し終えるまでの宇宙はそのままであり、法が正されずに自動的に良くなることはありません。法が正されなければどうして良くなり得るのでしょうか? 毒薬は他でもなく毒があり、毒がないようにしたくてもあり得ないことです。ですから、この点から見れば、邪悪勢力に対して、常人の中の大法を迫害する悪人をも含めて、如何なる幻想をも抱かないことです」 [4]とおっしゃいました。

 最後の一歩まで修煉したとしても必ず試練はあります。私たちは師父の浩大なる佛恩に背かないように、必ず自分のやるべきことをしっかり行なわなければなりません。

 結び

 1999年7.20から22年が経過しましたが、この長い歳月の中で師父の無量のご慈悲が、私たちを成長させてくださいました。私たちが残された短い時間の中でしっかり自分を修め、その一歩を踏み出し、表に出て人を多く救い、自分にあまりにも多くの遺憾を残さないようにしましょう! 

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「提案」

 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二〇一〇年ニューヨーク法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/1/419365.html)
 
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