文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年9月14日】正午12時の正念を発した後、大法の資料を配りに出かけるつもりで坐った途端、頭の中からさまざまな雑念が沸き上がりました。どの方面から行くべきか? どこから戻るのか? 途中の防犯カメラをどうやって避けようか? そんな思いの中、ふと自分に「あなたはいったい何をしているのだ、宇宙で最も神聖なことをしているのではないか!」と問いかけました。これらの雑念はどこから来たのだろうか? とよく考えてみると、その背後にあるものは、すべて「恐れる心」ではないだろうか? さらに深く掘り下げてみました。「恐れる心」の背後にあるものは、自分自身を守りたいという心ではないだろうか? 通報され、逮捕され、刑務所に入れられ、刑務所で拷問されるのが怖い......などなどは、実は「利己心」自己防衛のための「私心」にほかなりません。
内に向けて探すことによって、私は一瞬にしてすべての「恐れる心」の根源が見えました。
師父は「生命が法からずれてしまい、高次元から落ちて来たのは、私心があったからです」 [1]と説かれました。
かつての私は、自分の考えが「私心」によるものかどうかにあまり注意を払っておらず、師父が説かれた法の中に、この法理があることも悟れませんでした。「私心」は、旧宇宙の生命が法から逸脱した根本原因であることがわかりました! 私たちが法に同化する際に、様々な境界においても「私心」を取り除く必要があるのではないでしょうか? 異なる境界での師父の要求された「今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」 [2]に達する必要があります。これほど厳粛なことを、長年の修煉でようやくわかりました。生命は新宇宙の基準「無私無我」 [2]の境地にまで修めなければならないのです。
「わたし」があれば「私心」があり、師父は法を正されています。私たちのすべての生命は膨大なる宇宙天体の中の、微塵の中の微塵に過ぎず、すでに破滅に向かっている天体を救い、正そうとする師父の慈悲深い思いがなかったら、私たちはとっくに消滅していたでしょう。 この小さな「わたし」は存在するはずもありません。
天体や次元が異なれば、生命への基準も異なります。私たちが昇華する過程において、自分を守ろうとするこの「私心」は、旧宇宙を正す私たちの責任の一部でもあります。徐々に無私無我の境地に達する過程で、他人のために考え、完全に他人のために物事を行っていたら、恐れる心が存在するでしょうか?
私たちの心の中にあるべき思いは、師父の要求に従い、できるだけ多くの人々を救うことのみです。それ以外の思いはすべて捨て去ります! なぜなら、非常に微妙な一念ですら、異なる次元の「私心」でありうるからです! それらはすべて無くし、手放すべきものです! 恐れを放下する過程は、「私」という旧宇宙の次元から抜け出す過程でもあり、法に同化し、無私無我の新宇宙の異なる次元に到達する過程でもあります!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『米国西部法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」