台湾「大紀元」新聞での修煉体験
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2021年7月26日】「大紀元」新聞の印刷工場で働き始めてから、数年がたちました。2020年の初めのこと、「私が家に帰るついでに新聞を各拠点に届ければ、他の配達車が印刷工場まで来る手間も省けるのに」と思いました。すると数ヶ月後、本当にそれを実現するチャンスが訪れました。

 ある日、大紀元本社が配達チームを作りたいと言っていると聞きました。私は印刷工場のマネージャーに「実は、新聞を各拠点に届けることを私はずっと考えていた。どうせ印刷が終われば家に帰るので、帰るついでに新聞を届けても構わない。そうすれば配達チームの負担を少し減らせる」と冗談混じりに言いました。

 当時の私はそう考えたものの、行動に移す決心をまだしていません。夜に印刷工場に出勤するほか、昼間には市場で商売していて、病気で倒れた父の世話もしなければなりません。時間的に余裕がないのです。二つの仕事をかけ持ちしていたので休暇も取りにくく、毎日の睡眠は深夜と午後の二つの時間帯に分かれています。長い間、5時間続けて寝ることもなく、いつも3、4時間寝ると、すぐ起きて出かけなければなりません。当時の私は、毎日時間に追われている感じでした。他のプロジェクトにも参加したいと思っていたのですが、これ以上睡眠時間を削る決心は、なかなか下せませんでした。

 2020年6月、マネージャーは私に「あなたの考えが実現できそうです。7月に本社が新聞配達システムを立ち上げるので、人員が必要です。あなたは、協力できますか」と聞いてきました。配達の仕事を引き受ければ毎日の休み時間がさらに少なくなり、また、休暇もまったく取れなくなりそうです(もともと二つの仕事をかけ持ちしていたので休みはなかなか取れず、今後三つになればなおさら)。そこで、別の同修がもし半分を負担してくれるなら、私はこの任務を引き受けますとマネージャーに相談しました。マネージャーはすぐにもう一人の同修を探し出し、その同修が半分を担当すると快諾しました。

 やると決めたら前に進むしかありません。私は、配達時間にずっと正念を保つようにと自分に課しました。毎日の配達時間は1時間ぐらいです。その1時間に発正念、『論語』の暗唱、明慧ラジオを聞くなどをして、できるだけ頭に純粋な正念しかない状態を保ちたいと思いました。すべての新聞を届けた後も、少しも気を抜くことができません。こうしているうちに、いつの間にか多くの人心を除去していたことに気づきました。

 『論語』を暗唱し、明慧放送を聞いて正念を保つ

 車を運転する時も気を緩めないように、『論語』を暗唱したり明慧放送を聞いたりしました。だんだんと配達の1時間だけでなく、他の起きている時間も『論語』をずっと暗唱するようになりました。1日に100回ぐらい暗唱しています。1ヶ月経ったある日、頭は『論語』を暗唱しているが、自分以外の何事も私には関係ないという境地になった気がしました。たぶん何かを突破して、修煉が向上したのだと思います。

 それ以来、毎日10回『論語』を暗唱してから明慧放送を聞くようにしました。交流文章1編を聞くと、まるで文章を書いたその同修と交流を行ったかのようです。音声ファイルで作成された交流文章は、「再生」を押すと順番に再生されます。自分が1編1編選んで再生することとの最大の違いは、自分のこだわりで聞きたいテーマだけを選ぶことができなくなり、放送された文章を全面的に受け入れなければならないことです。こうすることで、自分の選り好みによって修煉の盲点が生じることを避けられました。日中に何かの執着心が生じた場合、深夜に耳にするのは、ちょうど似たような執着心をめぐる修煉体験でした。数ヶ月の間に数百の修煉体験を聞くことができ、心性を高める上で多くの助け、参考になりました。

 交通ルールの遵守

 交通ルールというと、そこに修煉の要素があるのか、決められたルールを守れば良いではないかと思う同修が多くいるかもしれません。以前の私もそう思っていました。学生時代にクラスメートとドライブしていて、皆が赤信号で右に曲がって(台湾では赤信号の時に右折してはいけない)、私だけそこに止まりました。皆は「車がないのに、どうして行かないのか」と理解できず、私はただ「ルールを違反したくない」と答えました。それ以来、彼らも私のやり方が分かり、赤信号になると止まって私を待つようになりました。

 そのため、交通ルールを守ることに関して自分には執着心がないと思っていましたが、深夜に新聞を届ける仕事を始めてから、そう簡単に守れるものではないと気づきました。例えば交差点で他の車がまったくない時に、すぐ左折するのか、それとも左折信号になるまで待つのでしょうか。とても小さい交差点で、他に車がまったくいない時に、赤信号を数十秒待つのでしょうか、それとも赤信号を待たずに、幅10メートルもない交差点を思い切って渡りますか。また、道に車がいない時、Uターン禁止のところで素早くUターンするか、それとも数百メートル走って回りますか。これらは毎晩、経験することです。人間社会の法律を遵守することは大法弟子にとって当然のことで、信号を待つのは時間がかかってしまったように見えますが、しかし法理を踏まえて自分の焦りや、交通ルールの軽視、他の人の通行安全を考えていない私心などが見えました。毎晩のように何回も心の中で私心と法理の交戦が起きて、知らず知らずのうちにイライラしていた心境が平静となりました。ある日突然気づいたのですが、クラクションを鳴らされたり、追い越されたり、前の車がとても遅いスピードで走ったりしても、私にはもう焦りやイライラした気持ちが生じませんでした。

損得を気に掛けず、新聞を見守る

 ある金曜日の深夜のことです。新聞を届けたのに最後の拠点のドアが開きませんでした。何度試しても開きません。以前から鍵が開けにくかったので、昼間に大家さんが鍵を交換したのではないかと思いました。その時は深夜の1時ぐらいで、他の同修に連絡しても電話がつながりません。私はとても迷いました。土曜日の朝4:30に市場に行って仕事をしなければなりませんが、これからすぐ家に帰っても3時間しか寝られません。そして土曜日の午前中は一番儲かる時で、通常4時間の商売をすれば一週間の生活費を稼げます。妻子がいて貯金全額が10万台湾ドル(約40万円)もない私にとって、それは重要な収入です。同修が新聞を取りに来るまでここで待つか、それとも新聞を置いて市場に仕事に行くのか。私自身の責務という視点から言えば、新聞を届ける仕事を私はすでにやり遂げていました。ドアが開かず中に入れないだけなのです。

 ドアの前で行ったり来たりして新聞の束を見ているうちに、「これらの新聞に修煉者のどれだけの心血が注がれているのか。多くの購読者が待っており、私には新聞を見守る責任がある。新聞が人に盗まれないことを確認しなければならない。金や睡眠のことは、この責任と比べれば重要ではない」と思いました。こうして考えを固めてから、携帯電話を取り出して(その時、『轉法輪』の本を携帯していない)学法しながら待つと決めました。何時まで待つこととなっても、新聞が安全な状態になるまでここを離れない、今日の午前中の商売はしなくてもいいと思いました。しかし結局、5分も経たないうちに、中の住民がドアを開けました。本当に私の心が試された出来事でした。

 睡眠時間への執着を除去

 印刷工場の勤務を終えて家に帰ると深夜の12時過ぎで、早朝にはまた市場に行って商売しなければなりません。1週間に数日は、夜は3時間も眠れません。調子が悪いと、睡眠時間が少な過ぎるのではないかと思ったりします。夜中に帰ってからも、病気の父の世話をしなければならないこともあるので、眠れる時間を大切にしています。

 夜勤の仕事が終わった後、8時まで寝るのだと印刷工場の同僚から言われたことがあります。私はよく彼らに「そんなにたくさん寝て何をするのか、あなたたちが起きた頃には、私の二つ目の仕事が終わりかけるのだ」と話します。彼らは私が他のプロジェクトを担当していることを知っていますが、私に嫉妬心があるからそのように言ったのです。また、「修煉の路、同じからず すべて大法の中に在り」[1] の法理をしっかり理解していないからです。

 最初に新聞を届ける仕事を引き受けた時、3カ所に届けると所要時間は約1時間と言われました。毎晩1時間の睡眠時間を削ればこの仕事を遂行できると思いマネージャーに応じましたが、だんだんと新聞の届け先が増えていく可能性もあると予想していました。しかし予想して心の準備もできていたにも関わらず、最初に新聞の届け先が一つ増えたと連絡を受けた時、私心がでてきて、やはり一晩中イライラしました。「当初の約束と違うじゃないか、こんなことを決めるのに事前になぜ私に相談もしないのか、これで睡眠時間がさらに短くなる。ガソリン代はどう計算するのか、いつも大法のプロジェクトを理由に私に無条件に協力させる」などなどの良くない考えが湧いてきました。文句なしに増えた仕事をやり遂げるのは心性を向上させ自分の器を拡大させる良い機会だと分かってはいますが、心の試練の過程は、本当に辛かったのです。

 新聞の配達先が増えるのは、購読者が増えたからです。とても良いことなのに、前述の悪い考えが頭からずっと離れません。なぜこのように考えてしまうのでしょうか。それは「私心」にほかなりません。配達先が増えれば私も残業することになり、しかもこのような残業は強制的で永続的なものです。限られた睡眠時間の一部がまた強制的に奪われたような気がしました。

 自分の私心に気づいたのですが、すぐに考え方が正しい方向に変わったわけではありません。それを少しずつ取り除く方法を考え出しました。つまり、配達先が後日きっと増えるので、例えば今後毎日の配達時間が30分延びるとして、今日から睡眠時間を30分遅らせて、最初からその30分の睡眠がなかったようにすれば良いのではありませんか。具体的にどうするかというと、つまり、家に帰ってすぐに寝るのではなく、学法、煉功をして、若しくは明慧文章を読むのです。寝る時間を30分遅らせて、後日、新しい配達先ができる時に備え、体力と心の両面で準備します。

 いつの間にか、携帯電話のアラームをセットしてカウントダウンする時間表示を見て、「早く寝よう、2時間余りしか寝られない」を思っていた心境は、「まだ2時間以上も寝られるではないか」という満足感に変わっていたことに、ふと気づきました。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「阻むこと無し」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/25/426165.html)
 
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