山東省の姜国波さんが迫害されて死亡
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 【明慧日本2021年8月7日】法輪功を学んでいた山東省イ坊市副県長クラスの清廉な官員・姜国波さん(男性)は、真・善・忍への信仰を放棄しなかったため、13回にわたって連行され、労働教養処分2回、実刑判決1回などの迫害を加えられた。姜さんは拘禁されている間、スタンガンで電気ショックを与えられ、鉄の椅子やベッドに縛られ、虎の椅子に座らされ、毒薬や唐辛子水を灌食されるなど、77種類の刑罰を受けた。留置場、労働教養所、刑務所で拷問を受け、39回も死ぬほど苦しめられた。繰り返し迫害を受けた末、姜さんは2021年4月29日、この世を去った。享年58歳。

 姜さんは生前「私は留置場で普通の人が想像もつかないほどの拷問を受け、死んだ方がましだと思うほどの苦痛を味わいました。1カ月のうち、毒薬、濃い唐辛子水を灌食されたため、胃が耐えられないほど痛みました。20日間昼も夜も縛られたことがあり、棒で叩かれて背骨が3カ所骨折したり、右目も一時失明してしまいました。尿が出ないために導尿管をつけられたり、26日間も便が出ないこともありました。体重は20数日で45キロも減ってしまい、拷問で何度も意識不明になりました」と述べた。

 姜さんは、山東省威海の出身で、大卒でイ坊市政法委員会(治安・司法などを統括する機関)を勤め、副県庁クラスの官員だった。法輪功を学ぶ前は、肝硬変は末期の症状で、肺病(遺伝性なもので、それが原因で家族数人が死亡した)を患い、名医を訪ね回り、多くの薬を服用していたが効果はなかった。しかし、幸運にも1995年6月、姜さんは法輪功に出会って学び始め、その後、健康な体を取り戻した。

 姜さんは法輪功の恩恵を受け、心から「李洪志師父が私を救ってくださった」と分かっていた。姜さんは「私は幸運です。人生の岐路に立っていた時、人生の意義を見つけました。それは返本帰真です」と話したことがある。それから、姜さんは活気に溢れ、仕事を真面目にやり遂げ、真・善・忍に従って自分を律し、政法委部門の同僚からは善良で清廉潔白な幹部だと評価された。

 全市の政法委部門で幹部の検査を担当していた数年間、姜さんは横領したことがなく、賄賂を受け取ったこともなかった。1996年~2000年にかけて、姜さんは自分の給料で、済南、安丘、臨クなどの貧しい小学生5人に支援していた。一部の貧しい学生に、定期的に送金しただけでなく、勉強を頑張るように励まし、良い行いをするようにという手紙を書いた。1999年に諸城と高密が洪水に見舞われたときには、姜さんは被災地の人々を支援するために寄付をした。濰坊の青州市に赴任していたとき、姜さんは当地の村人たちのために、井戸や道路を建設して人々から感謝され、村の幹部や村人たちは爆竹で姜さんを歓迎した。

 1999年7.20、中国共産党当局は法輪功迫害を発動した。その後、姜さんは13回にわたって連行され、労働教養処分や実刑判決を受けた。拘禁されている間、姜さんはひどい拷問を加えられ、それを見た受刑者も「こんな酷い刑を受けた人を見たことがない」と言った。迫害された姜さんは、20数日間も排泄ができず、心身ともに苦痛の限界に達した。

 2000年10月、姜さんは労働教養処分3年を科され、昌楽労働教養所に入れられた。同年12月1日午前、教養所の警官・朱偉楽は教養所の医者を連れてきて、姜さんに強制的に点滴を受けさせた。朱は「この点滴を受けなければならない。反抗すると、お前を縛って殴ってやる」と脅迫した。点滴した薬物は中枢神経を破壊するものであった。2日間連続して点滴をされた姜さんは、目が腫れ、腎臓が痛み、思惟が混乱し、酷い疲労感があり、寝れなかった。

酷刑演示:打毒针(注射不明药物)

拷問の再現:詳細不明な薬物を注射される

 2005年11月2日、姜さんは昌楽教養所で4平米の暗い部屋に入れられ、再度、詳細不明な薬物を灌食された。その結果、姜さんはひどい頭痛がし、排泄もできず、高血圧、不整脈になり、死にそうだった。

 その後、出所した姜さんは公職を解かれ、生計のため、出稼ぎに行くしかなかった。

 2009年2月27日午前9時、姜さんはバイト先でイ坊市国家安全局とイ坊市公安局の警官に連行された。顔を隠した4人の私服警官は、黒い袋を姜さんの顔に被せ、姜さんを車に乗せると昌楽留置場に送った。

酷刑演示:死人床(呈“大”字型绑在抻床上)

拷問の再現:死人ベッド(「大」の字でベッドに縛られる)

 留置場で姜さんは死人ベッドで、手足をそれぞれ四つの方向へ「大」の字のように縛られ、動けなかった。ベッドの板には数カ所穴が開けてあり、下にトイレみたいなものが置かれていた。留置場で拘禁されている間、警官十数人が交代で姜さんに睡眠を許さず、自白を強要した。それで姜さんは高血圧症、食事を食べられないなどの症状が現れた。

 しかし、奎文区裁判所は2009年12月下旬、秘密裏に姜さんに対して不当に裁判を開廷し、懲役5年の判決を言い渡した。

 2013年、姜さんは山東省男子刑務所で約3カ月間、全身に力が入らず、目眩、嘔吐、血便などの病状が出た。以前に昌楽労働教養所で薬物迫害を受けた時の症状と似ていた。

 出所してからも、姜さんは、刑務所で詳細不明な薬物注射をされた時の症状が常に出るようになり、時々、意識不明の症状も現れた。

 中共当局の迫害を繰り返し受けた姜さんは、2021年4月29日に死亡したという。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/20/428407.html)
 
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