中共による薬物迫害と人体実験 今なお続いている(三)
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——善良な人が毒殺され、精神病院に収監される時代は直ちに終わらせるべき

 【明慧日本2023年3月8日】(前文に続く)

 四、精神病院による薬物迫害の罪は広範囲で長く持続している

 1)典型的な事例

 ◎王冬梅さん(30代女性)は、河北省衡水市武邑県某鎮の教師であった。2001年に地元の洗脳班で迫害を受けた後、石家荘労働教養所の五大隊に送られた。そこで、王さんは縄できつく縛られ、電気棒で電気ショックを与えられ、眠ることを許されず、長期的に隔離するなどの残虐な拷問と精神的迫害を受けた。警官は各種の手段を使ったが、王さんの法輪功への信念を変えることはできなかったため、王さんを精神病院に送り込み、不明の薬物を注射した。王さんは仮釈放で帰宅した時、意識がぼんやりとして、動きが鈍く、多くのことを思い出せなかった。長引く錯乱状態の中、王さんは池に転落し、2004年3月12日に死亡した。 

 ◎広西省の林鉄梅さん(33歳女性)は北京医学院修士を卒業した。2005年12月8日、広西省女子労働教養所と退役軍病院(精神科病院)により殺害された。2005年11月25日、林さんの家族は精神病院に行き、面会を求めたが、拒否された。12月8日、林さんは病院で死亡した後、病院側が提示した死亡報告書には「突然死」と書かれていた。家族は火葬のサインを拒否した。事件の直後、病院は記者の取材に応じなかった。

 ◎蘇剛さん(32歳)は山東省斉魯石油化学の学習者で、コンピューターの技術者である。2000年5月23日、蘇さんは如何なる精神的な問題もない状況下で濰坊昌楽精神病院へ連行された。昌楽精神病院の関係者らは、毎日大量の中枢神経を破壊する薬物を蘇さんに注射した。9日後、蘇さんは父親の蘇徳安さんに引き渡された時、目はぼんやりして、表情もなく麻痺したように反応も鈍く、身体がこわばっていて、顔いろは悪く、極めて衰弱した様子であった。そして、帰宅した9日目の2000年6月10日朝に、蘇さんは死亡した。

 ◎湖北省黄岡市浠水県国税局洗馬鎮支局の元職員である郭敏さん(38歳、女性)は、2000年3月に杭州駅で法輪功の書籍を携帯しているとして、杭州公安局により連行された。20数日後、浠水県国税局労働組合主席の湯圓紅は、杭州に迎えに来て郭さんを湖北に連れて帰り、直接黄岡康泰精神病院に送り、精神病患者として扱い薬物迫害を行った。2年後の2002年、湯圓紅は当時の局長である湯圓明(姉妹)と一緒に、郭さんを浠水県精神病院に移送し、8年間監禁した。長年にわたり中枢神経を破壊する薬を飲まされた結果、郭さんは6年間無月経で、お腹が妊婦のように大きく腫れ上がった。2011年の旧暦7月5日、11年間も精神病院に拘禁された郭さんは亡くなった。

 ◎河北省秦皇島市海港区建設大通り派出所の警官4人が、2016年7月2日(または4日)、学習者の権五洲さんの自宅に乱入し、家宅捜索を行い、権さんを秦皇島市精神病院に連行した。権さんは毎日薬物注射や中枢神経を破壊する薬剤を強制服用させられ、電気ショックなどの残酷な拷問を受けた。たった10日間、面会に行った友人と親族は、権さんの記憶力が低下し、目はうつろで、聞いても多くのことを思い出せないという印象を強く持ったという。権さんの家族と友人はとても悲しくて泣いた。

 ◎安徽省合肥市の学習者・朱維英さん(60代女性)は、合肥梅山ホテルの元副マネージャーであった。1999年12月、朱さんは警官により合肥第四人民病院に強制連行された。朱さんには精神病歴が全くなく、中共の関係者は「法輪功を放棄すれば、退院できる」と明言した。結局、朱さんは合肥第四人民病院で60日以上迫害された。その間、朱さんは大量の不明な薬を飲まされ、薬を飲んだ後、朱さんの唇は震え、足元はふらつき、体は浮腫んで、顔は黄色になり、ぼんやりして動きと脳の反応は鈍くなった。朱さんが薬の服用を拒否すると、主治医は電気鍼や注射を強要し、その後、朱さんは地面に横たわったまま何も分からなくなった。

 ◎甘粛省白銀市の劭世祥さん(60)は2012年2月上旬、蘭州大沙坪刑務所の近くで法輪功迫害の実態を人々に伝えたとして、精神科病院に連行され薬物を8回注射された。劭さんは頭が混乱し、話すことができなくなった。自宅に戻された時、劭さんはすでに意識不明で動けなくなり、2月22日未明に死亡した。

 2) 迫害は今日まで続いている

 このような悲劇的な事件は中国人の身の回りで起きており、今も続いている。中共による20年以上にわたる法輪功への迫害は語り尽くせないほどあり、学習者への迫害手段は一般市民にも適用されている。

 安徽省金寨県の学習者・胡宏美さん(75歳女性)は、2022年2月25日に白雲精神病院に拘禁され、8カ月以上迫害を受け、月1回採血された。胡さんが薬の服用を拒否すると、看護婦は胡さんの首を無理やりねじり、ロープで縛ることもあり、胡さんの頭と顔はメチャクチャになった。病院の一つの部屋には人権活動家を含め9人が入っていた。管理方式は基本的に刑務所と同じで、食事も少量だった。

 湖北省武漢市江夏区の学習者・陳俊さん、田化珍さん、李春連さん、邱咏枝さん、張嬌娥さんは、2022年6月16日に警官により連行された。3人の年配学習者は留置場に収容され、陳俊さんと李春連さんは武漢市万済精神病院に送られた。10月上旬、李春連さんの家族が面会に行った時、李春連さんは家族のことさえ分からなくなり、非常に痩せていることがわかった。家族は精神病院に釈放を強く要求したが、「1週間後に二つの会議が終了したら釈放する」と告げられた。

 陝西省宝鶏市原宝平路五星村の学習者・張彩霞さんは2021年8月26日、勤務先で警官に連行された。また、市の精神病院(「リハビリセンター」の看板を掲げている)に拘禁され、「三書」を書くことを強要された。張さんの夫は張さんの解放を求めに行ったが、同じく「三書」を書くことを強要され、「書かないと逮捕するぞ」と脅された。

 3)薬物の強力投与後の反応

 明慧ネット2001年6月8日の報道によると、徐州市睢寧県の学習者は精神病院に拘禁された3カ月以上の間、ベッドに縛り付けられ注射や薬を注がれ、気を失って意識不明になった。その後、徐々に目が覚めてロープも解かれた。しかし、薬物の反応が出てくると、学習者たちは心臓が裂けるような痛みに襲われ、苦痛のあまり地面を転げ回ったり叫んだりして、壁に激しくぶつかったという。

 病院の医療スタッフは、「これらの薬を飲んでも死ぬことはないが、かなり苦しむだけだ。お前らが法輪功を放棄すると言えば、薬を停止させることができる。お前らは病院を飛び出してはいけない、薬を徐々にやめないと、気が狂って死んでしまうのだ。たとえ飛び出しても気が狂った精神病として扱われ精神病院へ戻されるぞ。薬に反応したときの痛みは想像を絶するもので、非常に恐ろしいのだ......」と言ったことがある。

 その後、これらの学習者は句東女子労働教養所に送られた。薬の反応が強すぎて、中の一人が突然発狂し、昼夜を問わず地面で暴れまくり、身体が激しく震え、目はうつろで鈍く、異常にいらだって眠れず、耐え難い痛みに襲われ、壁にぶつけて死のうとした。また、もう一人の学習者は痙攣を起こし縮こまり、夜になると胸焼けで口から血の泡を吐いた。数人の学習者は痛みやもがきが収まるまで約50日かかった。

 句東労働教養所はある学習者を鎮江市立病院に送り、精神科の法医学鑑定を受けさせた。鑑定書には、「患者の脳神経は正常で、深刻な障害は確かに薬を強力に使用した後の反応である」と書いてあった。

 以上は、ネットの封鎖を突破して送られた迫害の悲劇の氷山の一角であり、もっと多くの事実は中共の崩壊とともに明らかになるはずである。

 結び

 真・善・忍を守り、真実を伝える人々が、中共により精神病院に閉じ込められ信念を放棄させられ、人体実験や薬物迫害に苦しめられているのに、警官や医療従事者はそれに喜びを感じている。これが普通の社会だろうか? 社会全体が善悪の区別ができなくなると、社会の道徳は崩壊し、神は人間を人間としての資格がなくなったと見なすのだ。これは、中共が「天国への道を塞ぎ、地獄への扉を開けている」と言われる原因である。

 人類歴史の最後の肝心な時期に、人間の善良な本性が蘇り、伝統が回復することこそが、後世に正常、健康で安全な世界を残していくことができる。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/2/19/456860.html)
 
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