予測ではなく、金剛の志のように使命を果たすべき
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文/小微

 【明慧日本2021年8月20日】最近の明慧ネットの記事、「法を正すことが終わる時期に対する考えと予言」について、私の考えを述べたいと思います。

 この記事は修煉者の間で大きな議論を巻き起こしました。予言についてはコメントしませんが、いくつかの問題について考えるべきだと感じています。

 私は2008年の北京オリンピックに感情移入した時の教訓から、今回のアメリカ大統領選挙には心が動かなかったのです。中国共産党のウイルス(コロナウイルス)が大流行して、すぐに法(正義)を正すことが終わると思っていました。そして、トランプ大統領が2期目に就任しなかったとき、私は法を正すことが再び延長されるのではないか、トランプ氏なら中国共産党を崩壊させるかもしれないと思いました。しかし、彼は再選しなかったので、中国共産党の延命を意味するかもしれないと思いました。

 私は20年以上にわたって法輪大法を修煉してきましたが、修煉が揺らいでいました。私にはまだ多くの執着があり、毎日煉功をしていませんでした。師父は私にいくつかのヒントを与えてくださいましたが、私にはまだしっかり行うことができませんでした。このような時、7、8年後に法を正すことが終了するという記事を見て、私は安心しました。しかし、自分の考えを検証してみると、罪悪感を感じました。人のモラルはどんどん低下しており、人々は毎秒大量の罪を生み出し、それによって師父は数え切れないほどの悩みや苦しみを抱えておられるからです。

 師父はとても慈悲深いのです。師父は多くのことに耐え、怠けている修煉者を決して見捨てることはないのです。何よりも師父は、私たちに重すぎる言葉は殆どおっしゃっていないのです。

 私たちは何千年、何万年という時間の中で、人間界に転生し、師や法を待つことを繰り返してきました。最も重要なのは、衆生を救うことに集中することです。しかし、私たち修煉者がしっかり行わなかったために、まだ救われていない人たちがたくさんいます。これで法を正すことが終わってしまったら、後悔することが多すぎるのです。

 私は去年、洗脳班に3カ月間拘禁されました。そこで、自分の欠点をたくさん見つけました。『洪吟』の詩を除いて、『論語』などの法を一つも暗記していませんでした。法を学ぶことも、煉功することもできない環境の中で、私の正念は消えていきました。

 この試練はとても大きなものでした。師父からのヒントを得て、前向きな心で一歩一歩突破していきました。師父は私を見捨てることなく、見守ってくださいました。私の修煉がダメになる姿を見たくなく、私が苦難を乗り越えられるように、たくさんのヒントを与えて下さいました。私は法を暗記することができなかったので、いつも「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と言って自分を励ましました。

 また、師の詩をよく思い出しました。「伝統に戻れば路(みち)は天に通じる」[1]

 古代中国の愛国心には、深い道徳的な意味合いがありました。そこで私は、歴史上の苦難に耐えた人々の物語を思い浮かべて自分を励ましました。

 私は、忠誠心と勇気で私を励ましてくれた文天祥(ぶんてんしょう)の物語を思い出しました。文天祥(西暦1236〜1283年)は、南宋末期の中国の詩人・政治家です。彼は愛国心と直情の象徴としてよく知られています。彼は宋を守り、元の皇帝クビライ・ハンに捕らえられても屈しなかったのです。文天祥は元の政府での地位を提供されたが、断固として拒否しました。彼は有名な詩、「死なない人間はいない。忠誠を尽くして歴史を光照らしているのだ」と書いています。

 羊飼いの蘇武の話は、私に苦難に耐えることの意味を思い出させてくれました。蘇武は、フン族の侵攻の際、人里離れた農場に連行されて投獄され、19年間雄ヤギの世話をさせられました。彼は多くの苦しみに耐えながらも、漢王朝の代表としての使命を諦めなかったのです。

 南宋の名軍師、岳飛(1103-1142)は、「忠」の代名詞です。彼は国を守るために部隊を率いて勇敢に戦い、126回の戦いで負けませんでした。不忠になるくらいなら死んだほうがましだ」と。

 これらの話を思い浮かべたとき、私は彼らのダイヤモンドのような意志を和らげるものは何かと考えました。もし、すべての修煉者がダイヤモンドのように強く、強固であれば、刑務所での拷問や迫害を恐れることはないでしょう。私たちは大法によって鍛えられた存在(生命)なのですから、もっとしっかりと修めるべきではないでしょうか。これらの歴史上の人物は普通の人でした。残念ながら、私たちの多くは様々な執着を手放すことができず、迫害に直面すると屈服してしまいます。このような歴史上の著名人や修行者に比べると、私たちの修煉はあまりにも簡単で快適だと感じるのです。

 明慧に掲載されていた、正義の神々と悪の神々の戦いの話を思い出しました。正義の神々は悪を倒すことができず、傷つき、さらには死んでしまいました。師は、正義の神々が全員死んでも戦いをやめませんでした。そして、師は一息吹いて、すべての正しき神々を蘇らせました。物語によると、師はその正義の神々に強大な徳を積ませました。

 この話を読んだ後、私は迫害の中でどれだけの修煉者が亡くなったのかを考えました。しかし、ほとんどの修煉者はまだここにいるのです。この記事を読んだすべての修煉者にとって、これは試練だと思います。自分のどの執着が露呈したのか、自分がどれだけ修煉してきたのかを自問自答すべきだと思います。

 法を正すことがいつ終わるのかは、師父だけが知っておられます。修煉の道は艱難辛苦の連続であり、ある修煉者は疲れてこれ以上耐えたくないと思っています。しかし、師父は法を正すことの必要に応じて毎日の生活を整えられていることを忘れてはいけません。世の中がどんなに変化しても、私たちはしっかりと修煉して、1人でも多くの人を救わなければなりません。そうすることで初めて、師父の説かれたとおりにすることができるのです。

 法輪大法の修煉者は何十万人もいます。私たち一人一人が大きな一歩を踏み出せば、環境は良くなります。どんなに長い道のりであっても、一瞬一瞬を大切にして、怠けないことが一番大切です。

  最後に、師父の『洪吟』から2つ抜粋をして紹介しますので、参考にしてください。

 『洪吟三』「煩わし」

 眼を閉じて 鼾をかけば思い悩みを断つ

 目覚めれば万事に煩わされてやまず

  天地をば法を正す道を阻み難し

 只、弟子の人心により遮る

 『洪吟二』「金剛の志」

 秋高く、気は段々と清らか

 靄靄たる陰霾  過ぎ

 指折りて時日を算え

 大穹去るは多からず

 衆を迷わせて各々乱れを示し

 巨大な危険されど緊迫を知らず

 崩壊の前に全力で挽回し 爛鬼の禍害をなぜ許す

 志の念は金剛を超え

 洪微は是我が做す

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟五』「再造」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/10/421863.html)
 
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