私を見捨てなかった師父に感謝しています
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2021年8月22日】私には2人の子供がいます。息子はもうすぐ20歳になりますが脳性麻痺で自分のことはまったくできません。娘は小学校を卒業したばかりです。私は毎日この2人の子供の世話と家事に追われていて、将来に希望を見い出せない生活を送っていました。

 1、再び仏縁に恵まれ、大法の修煉を始める

 私の母は1996年に修煉を始めた大法弟子です。それまで母は胃下垂、胃潰瘍、糜爛性胃炎に苦しんでいて健康状態が悪く、食べると胃が痛くなり、食べなければ胃がもっと痛くなって、どこの医療機関を受診しても治りませんでした。一度、母の風邪の症状が1カ月間も長引いてしまい、注射しても薬を飲んでもまったく改善が見られませんでした。それを見た近所の人が母に、一緒に法輪功煉功をしてみてはと提案してきました。不思議なことに、翌朝の4~5時頃に煉功場に行った母は、ただ立って皆の煉功の様子を眺めていただけで、帰宅直後に風邪の症状がなくなり、大盛りのご飯を食べました。こうして母は修煉を始めて、それからはすべての病気がなくなりました。

 その後、私も母から功法を教わり、大法の本も少し読みましたが、1998年、私は大法とは何かよく分かっていないうちに、江沢民グループは法輪功に対しての弾圧を始めました。こうして私は大法とすれ違ってしまいました。当時見た夢は、20年経った今でも鮮明に記憶に残っています。師父は長春市のご自宅の窓の前に立って遠くから私を見ておられ、私は師父の姿を見ながら悲しい涙を流していました(後に真相資料から、長春市の師父のご自宅の建物が、夢に出てきた建物と同じだと知りました)。

 数年来、母はずっと私に真相を言い聞かせ、大法の良さも伝え続けてきましたが、私は心に留めないだけでなく、わが家に来る度に法輪功の話しかしない母に対してしつこいと思い、彼女の言葉には苛立ちを覚えていました。

 こうして2014年10月のある日、私は突然母に「お母さん、私も法輪功を学びたい」と言い出し、三日坊主の修煉を始めました。修煉し始めた当初は興奮の中で、母から法輪功の話を聞く度に嫌がっていたのに、どうして急に修煉しようと思ったのかと、困惑する部分もありました。煉功を始めて数日しか経っていないうち、私の頸椎ヘルニア、椎間板ヘルニアと五十肩が全部治りました。後に、師父が私の身体を浄化して妨害を取り除き、修煉に入れる環境を整えて下さったので、私はやっと修煉し始めることができたのだと、学法を通じて分かりました。

 夫は共産党党員で、村委員会の幹部でもあります。彼は私の修煉に強く反対し、殴ったり罵ったりしただけでなく、しばしば離婚を迫ってきましたが、私は動揺しませんでした。息子の世話をしなければならない関係で長時間の外出ができなかったため、長い間私は1人で修煉し、皆と一緒に学法できる環境がありませんでした。

 近所に共に修煉している夫婦がいて、夫が留守の時、私はたまに彼らの家に行って交流したり、真相資料をもらって配りに行ったりしました。ある日、真相資料を持ってあるコミュニティに行ったところ、入り口に監視カメラがあり、建物の入り口やエレベーターの中にも監視カメラがあるのを見て、階段を上りながら資料を配ろうと考えました。資料を配り終えて初めて気づいたのですが、いつの間にか私は24階まで来ていて、まったく疲れを感じていませんでした。降りながら数えてみたところ、各フロアの間に18階段もあって、普段なら3階までしか上れない私は師父による加持を頂いたと分かりました。

 2、不動産争いの中、利益心と恨む心を取り除く

 夫には3人の腹違いの兄がいます。私たちが結婚する前に、義父母は自分たちが住んでいる3階建ての建物を私たちに譲ると言い、4人兄弟間の不動産分与を行いました。しかし、私が娘を妊娠中に義母は建物の再分配を言い出し、半分を私たちに、残り半分を3兄弟に与えると勝手に決めただけでなく、私たちの知らないところで義父に財産の公証まで行わせました。「すでに障害児の長男がいて、妊娠中のショックで2番目の子にも問題が生じたらどうしょう?」と、私の心配をまったく考慮せず、私の妊娠中に不動産の再分与を強行した義母に対して、私は深く恨みを持つようになりました。また、家の半分の所有権を失うことは、200万元近くのお金が消えることに等しく、それは私たちにとって決して小さな額ではありませんでした。そこで、今まで義母にされてきた嫌な思い出も一気に頭に浮かんできて、それ以来、義母を見る度に私は気分を悪くし、相手にしようとしませんでした。

 大法を学んだ後、私は失と得の関係が分かり、理由無きことが起こらないと理解し、失うことは必ずしも悪いこととは限らず、そろそろ利益を重んじる心を放下すべきだと考えました。また、私は義母の立場に立って、彼女の考えや苦難に満ちた人生を考えてみました。生まれてすぐに養子にされた義母は養父母に殴られて眼病の治療もしてもらえず、結果的に片方の目が見えなくなってしまいました。結婚後、2人の子供を若くして亡くし、30歳前後に夫を失った彼女は、生きていくために3人の子供を連れて義父と新しい家庭を築き、私の夫を生みました。当時の田舎は生活環境が悪く、男の子たちはよく食べるので、義母は多くの苦労を嘗めていました。家を再分与したきっかけは、夫がよく義母と口論するので、義母は私たちより寧ろ、自分の老後を上の息子たちに託した方がいいと思ったからだそうです。それを知ってから、私は彼女を恨まなくなりました。大法を学んでいなければ、そんな大金を手放せないだけでなく、私もきっと夫と同じく、考えただけで顔が真っ赤になってしまうほどの怒りを感じていたでしょう。大法を学ぶことができて本当に幸いだと思います。この件は一陣の風のように通り過ぎ、もう私にとって何でもないことになりました。

 3、靜功を煉る中で、師父による啓示を受ける

 私は静功を煉るのが好きです。最初は30分しかできませんでしたが、次第に40分、45分も座り続けることができるようになりました。しかし、さらに座っていくと脚が痛くなり、心も落ち着かなくなって、そこでやめてしまうのがほとんどでした。

 今から1年前に、なかなか突破できない私を見て、師父は私が静功を煉っている最中に、以下のような場面を見させて下さいました。私の胸の前には、高くて重厚な天安門広場の城門ほどの大きさをした鋼板が立っていて、同時に、長さ20cmほどの木製の柄のついた小さなハンマーで鋼板を叩いていました。脚が痛くなる度に心も痛くなり、ハンマーも鋼板を1回叩き、その叩く音が一つずつ耳に届いていました。鋼板を破らなければ45分を突破できず、その鋼板が阻んでいたものだと私は理解しました。しかし、よく見ると、その鋼板はまったく無傷で、何の痕跡も残っていません。絶対に突破しようと決心した私は、再び静功を煉るとき、どんなに脚が痛くても心が苛立っていても、音楽が終わるまで脚を下ろしませんでした。その状態を数日間続けると、脚がそれほど痛くなくなり、毎回1時間、坐禅ができるようになりました。私に突破する決心と実行動があったのを見られた師父が、その鋼板を外して下さったのだと分かっています(私は偶に天目を通じて少しばかりのものが見えます)。

 4、法を暗記し続ける

 2015年に私は法の暗記を始めました。同修の交流文章から法を暗記することの良さを知って私も始めたのですが、あまりにも難しいと感じていたため、途中、何回も中断し諦めようとも考えました。しかし、諦めようと思っているのは本当の自分ではないと分かっているので私はずっと諦めずに頑張りました。今はますます法の暗記が好きになっています。ただ進度が非常に遅く、まだ第8講までしか進んでいません。

 以前、あまりにも多くの小説や韓流ドラマを見ていて、美しい愛情に憧れていたため、私の頭には絶えず愛や恋に対する妄想が生じてきて、発正念のときでさえそれらを排除しようとしませんでした。苦悩の末、私は『轉法輪』にある「煉功して魔を招く」[1] の節を暗記することにしました。「なぜなら、人間には情があります。怒ることも、喜ぶことも、愛することも、恨むことも、喜んで何かをするのも、嫌でしたくないのも、ある人について好印象をもち、悪印象をもつのも、何かをやりたいと思い、やりたくないと思うのも、すべてが情によるもので、常人とは情のために生きているものです」[1]。この段落を暗記していた最中に、突然、胸の辺りから黒くて硬い小石が落ちたのを感じました。それがまさに情だと悟った時、私は唖然として固まってしまいました。後に、情も実在する物質だと気づきました。法を暗記している過程で、師父はこれらのよくないものを取り除いて下さっています。

 最近、法の転写も始めました。これはかなり時間がかかる作業で、一筆一筆丁寧に書かなければなりませんが、字を崩して書くことに慣れていた私は緊張しながら書いて、焦りも出ていました。初日の午後、2〜3時間ほど書いて発正念の時間に近づいていたとき、師父は不思議な一幕を私に見せて下さいました。発正念の5分前に、突然、遠くないところに、灰色の古い古代の服装を着て、顔や体に薄くほこりがかぶっている人たちが、まるで何かを祝っているかのように躍り上がって喜んでいるのが見えました。私を見た1人の女性が駆け寄ってきて、興奮しながら私に抱きつきました。私もその楽しげな雰囲気に染まりました。そのとき、他の人たちも私が見えて、皆が抱きつきに来ようとしましたが、私は「ダメだ。もう発正念の時間だよ」と思った瞬間、その場面が消えました。「これはきっと師父による励ましだ」と考えた私は、合掌しました!

 私はあまり精進しておらず、三つのこともよくできていません。主な理由は、恐れる心があってなかなか話す勇気がなく、どう話せば良いかも分からず、師父の要求からかなりかけ離れています。また、私は口にしにくい間違いも犯したことがあるにもかかわらず、慈悲深い師父はこの意気地のない弟子である私を見捨てませんでした。同修が臓器狩りされていることを知って私が悲しく泣いていたとき、夢の中で師父はずっと私のそばにおられて、慈父のような温かさを感じさせて下さいました。私が心性を保つことができずに夫と大声で喧嘩していたとき、師父の厳しい問いかけが耳元で響き、恥じ入る思いを覚えさせられました。頭に浮かんできた汚い考えに従って考えようとした時、師父は小さな木の棒で私の頭を優しく3回叩き、注意を促してくださいました。

 師父は常に私のそばにおられ、私に注意を促され、やる気を起こして下さり、励まして下さり、意気地のない私を見捨てませんでした。跪いて師父のご恩に感謝致します! 合掌!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/16/422268.html)
 
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