90歳すぎの老人の長寿の秘訣
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文/中国の大法弟子口述 同修が整理

 【明慧日本2022年1月7日】私は今年92歳で、身体はとても健康です。私の部屋は6階にあります。毎日歩いて階段を上ったり下りたりしても、途中で休むこともなく、息切れもせず、ぜんぜん疲れを感じません。腕も足も痛いところはなく、全身がとても軽い感じがします! 私の年齢を尋ねる人に、私はいつも「何歳に見えますか?」と当てさせます。「60歳か、70歳ぐらいに見えます」とよく言われます。私が「もう90歳を過ぎましたよ!」と答えると、みんな驚いてしまいます。

 そんな時、私はいつも誇らしく「私は法輪大法を修煉しているからです。大法を学んでから、私は健康になり、性格も明るく、人に対してやさしく、人を手助けするようになりました。私の家族は4世代で、曾孫も16歳になりました。子供や孫たちは元気な私を見て、みな私の修煉を支持してくれています」と伝えます。私の話を聞き、誰もが笑顔でうなずきます。

 私は学校に通ったことがありませんが、師父は私の知恵を開いてくださり、私は奇跡的に字が読めるようになりました。現在は大法の書籍『轉法輪』を読むことができ、理解することもできます。私は佛光を浴びながら、毎日学法煉功をしています。夫は早く亡くなり、仕事のない私は末っ子の息子と一緒に暮らしています。息子は国家公務員で、収入も少なくありません。息子も大法を修煉しており、私たち親子はとても幸せでした。

 しかし、1999年7.20以降、中国共産党(以下、中共)は天地を覆い隠さんばかりに法輪功への迫害を開始しました。息子は法輪功の無実を訴えるため北京に行きましたが、中共当局に連行され、拘束され、不当に労働教養処分を科されました。同時に、勤務先に給料の支払いを停止されました。収入がなくなり、当時70歳を過ぎの私は、ほかの子供たちに負担をかけないように、働いてお金を稼ぐことにしました。絶食して迫害に抗議している息子にお金を送る必要もありました。しかし年齢のため、なかなか仕事が見つからず、ボトルのキャップを外すなど若い人がしたがらない仕事しかありませんでした。単純な作業ですが、力も必要だし、指も痛くなり、大変でした。朝から晩まで働きましたが、7日間でわずか35元しか稼げませんでした。

 私はその仕事をやめて、自分で赤ちゃん用の腹当てを作って売ることにしました。布の生地に、龍や鳳凰(ほうおう)、花、桃などを刺繡した手作りで、とても良く売れました。そのほか、手作りの虎模様の子供の靴も人気でした。自分と息子の生活費が間に合えば十分だと思い、お金に貪欲にならず、残りの時間は学法と煉功をするほか、息子を連行した公安局と派出所に行き、息子の解放を訴えていました。

 息子は労働教養所から戻って来た後、勤務先の幹部に法輪功の真相を伝え、息子は出勤を許可されました。中共により法輪功が迫害されるこの二十数年間、息子は人々を救うために、法輪功の実態を伝え、中共の各組織から「三退」するよう促しました。そのため、前後9回連行、監禁されました。その度に、息子は絶食して迫害に反対し、正念をもって出てきました。2011年、息子は当局に不当に連行され、秘かに実刑判決を下され、公職を解かれました。

 私は何年間も公安局を頻繁に訪れ、迫害の実態を伝え、無条件に息子を解放するよう訴え続けました。

 ある時、私は公安局に行き、受付の警官に「要件は何か?」と尋ねられました。「副局長に面会したいのです」と言うと、「予約をしていたのか?」と聞かれ、していなかったので許可されませんでした。しばらくして、何人かの人が来て、副局長に面会の予約をしていると伝えると、二階に案内されました。私はすぐにその人たちについて2階に行きました。彼らが副局長室に入ると、私はドアの外で待っていました。

 しばらく待っていると、さきの人たちが部屋から出て行き、私はノックをして入りました。副局長は私の来意を聞き、「法輪功を学んで何の役に立つのか?」と聞きました。「法輪功を修煉すれば病気が治り、健康維持にとても効果があります。また、大法は人々に良い人になるよう教え、人々の道徳を高めます。現在、大法を修煉する人は世界中に大勢います」と伝えました。副局長は「それはいいが、あなたたちがチラシや小冊子を配り、中共の各組織から脱退するよう促すことはよくない」と言いました。それに対して、私は「それは人々のためです。真実を伝え、善悪をはっきりさせることです」と言いました。副局長の態度はそれほど悪くありませんでした。私の話を聞いてくれた後、車で私を家まで送るように部下に指示しました。

 その後、私は何度も公安局に行きましたが、上層部には面会させず、役人に「何かあったら教えてくれれば伝える」と言われました。私は「ダメです。あなたは私のことをどう伝え、どう説明することができますか?」と断りました。中には態度が乱暴な役人もおり、「これからはここに来ないでくれ。局長はこれらのつまらないことに構う時間なんかない」と言われたこともありました。「それでは、何のために局長になったのですか? 息子がどこかに連行されれば、私はどこに行っても陳情します」と正々堂々と言いました。

 局長に会えなくても、私はその後も息子の解放を促し続けました。雨の日も、風の日も、寒さが厳しい日も、私は動揺することはありませんでした。「息子がすることは、最も偉大で最も神聖なことだ」と固く信じていました。「これくらいの困難は私にとって何でもない。人々が大法の真相を知り、救われることができれば、何よりもうれしい」と思っていました。

 息子は職を失いましたが、師父のご加護の下で、私たち親子は幸せに暮らしています。高齢の私は子供たちに負担をかけることなく、今でも料理ができます。80歳を過ぎたころ、曾孫を世話することもできました。私は人々に「長寿ですね!」とよく言われます。

 実は、私の長寿と健康は、法輪大法のお陰です! 慈悲で偉大な師父に感謝申し上げます!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/12/31/434741.html)
 
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