文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年8月27日】師は私が修煉中、何度も夢を使って私を啓発してくださいました。修煉状態が良い時は、夢の中で空を飛び、多くの素晴らしい体験をしました。
今日は、夢の中で遭遇した壁についてお話します。
夢の中で空を飛んだ後、思わず体が前に出てしまい、目の前のものがすべてはっきりと見えてしまい、壁や物に阻まれることもありました。
この時に何も考えず、気にせず前に飛び続けていると、まるで障害物がなかったかのように、簡単に壁を越えることができたのです。
しかし、一度心が動かされましたーー例えば、「私がぶつからないか」と心配していると、本当にその物体にぶつかって倒れてしまうのです。
この夢の国は、私たちの修煉の過程を思い起こさせます。壁は、私たちが修煉の過程で直面しなければならない障壁や苦難によく似ています。
心を動かさず、自分が修煉者だと自覚して、師の法に沿ってしっかりと進めば、簡単に困難を乗り越えることができます。ひとたび人間的な思考を使って正念を失ってしまうと、別な問題が派生したり、これを連想したり、心配や恐怖心を抱くようになります。そうなるとこの困難は、乗り越えられない本当の障害になってしまうかもしれません。
これはまさに師の言葉通りです。「万事執着無ければ 脚下に路、 自ら通ず」[1]
法の原則によれば、師と法を信じる純粋な心を持ち、本当に心が乱れないとき、私たちは法のあるレベルの要件を満たしています。
私たちはそのレベルに到達し、より微細な世界に入りました。私たちが肉眼で見ることのできるものは、私たちの次元では邪魔になるだけですが、より高い次元では邪魔にならず、単に距離が遠いために届かないのです。
ですから、自分の育成のレベルを上げることが困難を克服し、苦難を解決する方法なのです。人間から神になるための修煉とは、つまり、壁や苦難の中で自分を鍛え、人間的な概念や執着を常に取り除いていくことです。
従って、壁や苦難にぶつかったときこそ、神になるためのチャンスなのです。その中で自分の考えを動かさず、無条件に師や法を信じていれば向上しており、簡単に壁を乗り越えることができます。
しかし、人間的な考えにとらわれていると、その壁に阻まれ、人間的なレベルを超えることができなくなります。人間の概念を完全に取り除いたとき、私たちは神の状態になり、宇宙を自由に歩き回ることができるようになります。
常に自分を修煉者として扱い、しっかりと修煉し、後は師に任せれば、乗り越えられないハードルはありません。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「阻むことなし」
【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】