文/中国の大法弟子
【日本明慧2021年9月11日】数年前、勤務していた会社が新しく設立されることになりました。 新会社が設立されて間もなく、私は部長から主任に昇進しました。 これは、会社全体のマネジメントを経験していない私にとっては挑戦でした。 しかし、私は法輪大法で培った知恵を使って、ただ堅苦しく教えるのではなく、善の心をもって人に接してきました。
最初の頃は、部下の仕事を分配する時に、部下は言い訳が多かったり、協力してくれなかったりしましたので「仕事は会社のためであり、自分のためでもあり、家族のためでもあるんだよ」と伝え、部下の善の一面を喚起しようと思いました。「それは、自分自身への責任、家族への責任、会社への責任、そして社会への責任でもあります。 安定した仕事がなければ、誰が子供を養うのか、誰が家族を養うのか、お年寄りはどうするのか」と部下を諭しました。
同僚の間で、あれはこうだ、これはこうだと対立し、少人数で結託してしまうこともあります。「自分のモラルに気を配り、人の陰口を言わないように、社会人であることの意識を高めるように」と教え、また「同僚同士の絆を大切にして、お互いに理解し合い、寛容になって、協力して良い仕事ができるように頑張りましょう」と伝えました。
私が新入社員を採用したとき、彼は別の会社で働いていたのですが、取引の一部の利益は経営者のものにして、会社に渡さなくてもよいことになっていました。 そのような新規の取引を一つ受けて、彼はすぐに私に一部の利益を回してくれましたが、私は会社の収益として会社に渡しました。 最初は、私が仮面をかぶっていると思っていたようです。 時間が経つにつれて彼は、私のことを知るようになり、私に尊敬の念を抱くようになりました。
個人的な仕事を引き受けないだけでなく、仕入れした商品のリベートが入ってきたときにも計上しています。 例えば、私が取引先から直に仕入れをした時にはおまけで商品のプレゼントをしてくれるだけでなく、直接キャッシュバックしてくれることもあります。 私は常にそのキャッシュバックされた現金は会社の帳簿に入れます。 おまけの商品は、仕入れた商品と一緒に戻し、そうすることによって、仕入れた商品の単価が安くなり、会社のコスト削減にもつながります。
また、会社には社用車で通い、社用車のメンテナンスや修理の際には、自分の車で会社の用事を済ませるという事もあります。 妻は「自分の車を使うのはいいけど、燃料代は払ってもらえるの?」と聞きました。 自分の車を数日使った後、妻に「ガソリンを入れたよ」と言いました。 彼女は笑顔で「またガソリン代を払ったの?」と聞いてきました。 私は「誰がお金を出したかなんてどうでもいい、どうせ満タンなんだから」と笑って答えました。
妻からは「人はいつも会社の物を家に持ち帰りますが、あなたは逆に家の物を会社に持っていきますね」と笑われました。 そうですね。 会社の電気ケトルが壊れたとき、家にあった予備のケトルを持って行ったり、 妻がショッピングモールで日用品を買うときには、ゴミ袋やペーパータオル、紙コップなどを買い足してもらい、私が会社に持って行きます。 家の椅子も会社に持って行きました。 それを見たスタッフは、私が寛大で無欲だと言いました。
私はよく外出して買い物をするので、比較的大きな金額が必要になります。 以前は、他の人が会社から運転資金を借りて使っていて、自分でお金を立て替えることはありませんでした。 私はいつも自分でお金を立て替えて買い物をし、会社に戻ってから精算していますが、決して経費を出し過ぎないように心掛けています。
近年の市場の低迷により、コスト削減のために人員削減を余儀なくされていました。 結局、私はマネージャーであり、責任者であり、財務担当者でもあったので、監督はなく、自分の良心だけで仕事をしていたと言えます。 このような状況では、普通の人が利益の誘惑に勝つことは難しいと思います。 そして、長年にわたって一度も過ちを犯したことがありません。私の考えでは、これらの利益は、修煉者にとって、試練になるほどのものではありません。なぜなら、真・善・忍を実践するために必要なことは、まず「真」でいることです。
私は同僚たちを率いて努力した結果、会社は赤字から黒字へと転換しました。 会社の社長やスタッフからも認められています。
法輪大法を教えてくださった師父に感謝しています。法輪大法のおかげで、私は利己的にならず、率直に生き、働くことができました。 私の周りの人たちが大法弟子の風貌を見て、法輪大法を理解し、共感し、ご縁のある人々が法輪大法の修煉に加わるように、私は粘り強く努力して行きたいと思います。