法に同化して、素晴らしさを実感
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 【明慧日本2021年9月14日】夫は、スイカの真ん中の甘い部分だけを切り取って、自分で食べていました。私は黙っていましたが、心の中では「夫は利己的だ」と思いました。しかしその後「なぜ私が見たのか。師父は私に何を修めてほしいのか?」と考えました。怨恨、情、私、外に向け、自分の標準で他人を判断しています。このような夫を見るたびに、自分を修めるチャンスなのです。

 ある日、私はキッチンのベランダで学法をしているとき、夫が相談したいことがあると言って、キッチンに来ました。夫は話をしながらテーブルに置いていたスイカを切りました。また真ん中の部分を切り取る場面を目の当たりにしました。瞬間、頭の中で「私心は要りません。彼が美味しい部分を食べても悪くないです」と思いました。すると身体が震動して、心の中は無限に広がり、海や空のように広々とした感じがしました。心の底から熱いものがこみ上げて来て、目には熱い涙があふれて来ました。

 また、それから私は美味しい部分を切り取って、夫に食べさせましたが、自分が良くできたと思いましたが、しかしそれは純粋に夫のためではないことに気づかされました。やはり、情と私心の中で自分が良いことを実証しているのです。

 私はこの時、他空間の利己的な生命が夫の行動として現れ、私を確かめていると気づきました。常人の私心で考えればそれにつきまとわれ、邪魔されてしまいます。もし内に向けて探し、それに伴う色んな考えを取り除いたなら、私の心は動じることがないのです。

 ある日の午前8時、私は正念を発して、8時半に同修と一緒に真相を伝えに出かけようとしました。夫は私に「午前中、業者が家の窓のゴムを取り換えに来るので、一緒に窓を拭いてほしい」と言われました。私は渋々自分の部屋の窓を拭いて、出かけようとしました。夫は「今日は家で用事があるから、外出を止めたら」と言いました。私は何も言わずに家を出ました。心の中では「これぐらいのことは私がいなくてもいいじゃないか」と怒っていました。「このことをどう対処したらいいでしょうか」歩きながら考えました。私は怒ってはいけないのです、夫には私が一番正しいことをしていて、同修も待っていることを伝えればきっと理解してくれるはずです。しかし私はそうしませんでした。夫は優しい人であり、私はそのまま真相を伝えに行って、戻ってからもきっと何も言わないですが、しかし、心の中では憂うつだと思います。夫は私が真相を伝えることを最も大切にしていることを知っていて、それを止められないからです。普段は言わなくてもお酒を飲むと私が利己的であることを指摘されます。これまでそうしてきましたが、今回はやはり心の中で「夫の気持ちを考えないのは良くない」と思いました。

 同修に会って、彼女に真相伝えに行くのを午後にしてもいいですかと相談しました。同修は気持ちよく同意してくれました。私はすぐに家に戻り、作業後の地面を片付け、またその業者さんに真相を伝え、三退も同意してくれました。お昼ご飯も作り、主人はとても喜んでいました。午後、私と同修の真相伝えの効果も良かったです。

 大法は圓容なので、私たちは内に向けて探し、他人のことを考え、自我を放下すれば、もっと多くの人々が救われるでしょう。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/9/9/430611.html)
 
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