文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年9月28日】功績を自分の鼻にかける人の多くは、利己的な動機で動いています。利己的な動機で動いているため、努力がこの世で自分が思うように報われないと、不公平だと感じ、恨み、妬むようになります。 実際、この世に生を受けた者は皆、自分の使命と責任を持っており、その使命を果たす過程で因縁を片付け、怨念も片付け、業力を返し、自らを清め、自らを修めなければなりません。
道徳水準が比較的高かった古代、人々は自分の本分を守り、運命を信じ、因縁に従っていました。 男性は外に、女性は内に責任を持ち、男性は家族を養うために金を稼ぎ、女性は夫を敬い子供を教え、それぞれが本分の仕事を守り、家庭は比較的安定し、調和がとれていました。 しかし、現代社会は規則や礼儀作法をめちゃくちゃにし、運命を信じず、因縁を大切にしていません。 誰もが利己的で、他人から求めたいばかりで、感謝することを知らないだけでなく、自分が満たされなければ恨みが生じます。 真心で他人のために尽くす気持ちを持てません。たとえ尽くしていても、何らかの目的を帯びているのです。これが現代社会に多くの問題がある原因です。
究極の善良さは水のようなもので、万物に恩恵を与えますが、争うことはありません。新しい宇宙の生命は無私で利他的であり、真善忍にを同化しているのです。これこそが本来生命のあるべき姿なのです。 功績を鼻にかける必要があるのですか?
師父は宇宙天体、大穹を危機から救って下さいました。その過程で耐えた苦労は私たちの想像を絶するほどです。私たちは師父に感謝し、謙虚な心を持ち続けることで、自分自身を修め、師父のご恩に応えるしかありません。
時代を超えて、志士(高い志を持ち、国や社会に貢献した人)たちは何の報いの約束もされずに他人のため、国のために、この世で大義と責任を引き受けていました。 彼らの多くは、その人生において困難な境遇にありましたが、自分の使命と責任を全うしました。 モンゴルの民話では、心のやさしい狩人ハイリブは人を救うために石になりました。 法を正す時期の大法弟子として、私たちは旧宇宙から抜け出し、完全に他人のための生命になれるかどうか、自分に問い直さなければなりません。
次元に限りがありますので、不適切なところがあれば同修の慈悲なるご叱正をお願いします。