彼女は再び起き上がれるようになった
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2024年12月19日】同修Aさんは学校に通ったことがありませんが、生まれながらに善良な性格で、ひたすら衆生を救おうと心がけてきました。真相資料を手渡しで配布する際にも、その心は非常に純粋で、人が多ければ多いほど積極的にその場に足を運びました。バスターミナル、野菜市場、集会、街道、学校など、あらゆる場所で彼女の姿を見ることができます。

 そんな素晴らしいAさんは、中国共産党(以下、中共)による迫害を何度も受け、最後は不当に懲役4年の判決を受けました。女子刑務所での迫害により全身が麻痺し、刑務所から解放される時には担架に乗せられて出たほどでした。

 毒針を打たれたのか、または食事に毒を混ぜられたのか、全身に激しい痛みがありました。彼女を見舞いに来た親戚や友人たちは、「これでは2カ月も持たないかもしれない」と口々に言い、彼女の夫でさえ「こんな状態で、もしお前が生き延びられたら、俺はお前にひれ伏すよ」と言ったほどでした。

 地元の協調役の同修が真っ先に同修Aさんを訪ね、師父の説法が収録された『広州での説法』のプレイヤーを渡し、「必ず信念を堅持し、正念を強く持つように」と励ましました。地元の他の多くの同修たちも次々とAさんを訪れては、Aさんを励ましました。

 Aさんは毎日説法を聴き続け、自ら内に向かって問題を探し、立ち上がれない状態でも、ベッドに横になったまま功法を煉りました。Aさんは師父に「師父、私はまだ真相資料を配りに行って人々を救うお手伝いをしたいのです」と祈りました。

 師父の慈悲深いご加護と、同修たちの正念での支援を受け、自身の心臓をえぐり身を削るような己に厳しい執着心を見つけ出す修煉の結果、ほどなくして、Aさんは70歳にして再び立ち上がることができたのです。

 同修Aさんに起きたこの出来事に、Aさんの親族みなが驚愕し、Aさんを知る世の人々までもが衝撃を受けました。その後、Aさんは警察に真相を伝えるために派出所まで出向くこともできました。

 Aさんは何度も私と会い、家に来るようにと誘ってくれました。これは偶然ではないと感じた私は、頻繁にAさんの家を訪れ、法に関する交流を持つようにしました。

 私は「邪悪による迫害があまりにも深刻です。まずは法をたくさん学び、内に向けて探し、どのような心が旧勢力に隙を与え、迫害を招いたのかを見つけるべきです。真相を伝えたり資料を配布することに急ぐ必要はありません」と、Aさんに言いました。

 Aさんは「内に向けて探しました。そして、自分が夫に対する情を手放せず、夫に対して怨みの心があることを見つけました。夫が浮気をし、多くの借金を抱えていることを怨んでいたのです。また私が迫害を受けたときに、夫が救助に動いてくれなかったせいで、冤罪で不当判決を受けるはめになったことにも怨みを抱いていました」と答えました。Aさんは、これらがすべて人心であり、情であると理解し、それらをすべて放下すべきだと認識したのでした。

 2023年の年末になると、真相カレンダーが完成しました。私はそのカレンダーをAさんの家まで運びました。ときには1箱、多い時には2箱を運ぶこともありました。1箱にはカレンダーが通常60冊入っています。私はAさんと一緒にカレンダーを1冊ずつカラフルな手提げ袋に入れ、それをさらに彼女の買い物用のキャリーカートに載せました。

 何度も交流を重ねた結果、Aさんは私の意見も聞いてくれるようになり、前よりも理性的になりました。そんな彼女は、「毎日法を学び、正念を発して、師父にご加持をお願いしてからカートを引いてカレンダーを配りに行っています。心の状態が不安定だったり、正念が足りないと感じたときは外には出ず、家で法を学んでいます」と話してくれました。

 Aさんはまた、「人を救うのために活動をしていると、師父が自分を加持してくださっているのをはっきりと感じます。坂道を上るときは、誰かがカートを引くのを手伝ってくれているかのように、まったく疲れを感じません」と言いました。

 まだ完全に体が回復していないAさんは、一方の手でカートを引き、もう一方の手でカレンダーを持ちながら、人が多い場所を選んで配布していました。すると、世間の人々は我先にと争うように、Aさんからカレンダーを受け取るだけでなく、彼女を手伝って配布までしてくれるのです。

 少なくとも10人以上の人が手伝ってくれ、その中には八百屋さん、肉屋さん、露店商の人など、老若男女さまざまな人がいました。ある人などはカレンダーを受け取った後また戻ってきて、「自分の親戚や友人、近所の人に配りたい」と言いました。Aさんは、その場面を非常に感動的な光景として覚えています。

 それまでの私は、Aさんが真相カレンダーを配布する際に、ただ協力をしていただけでした。しかし今や、私自身も積極的に外に出て配布しようと思うようになりました。そして、師父に加持をお願いし、智慧を授けていただけるよう祈りました。

 師父は「心の中で本当に恐れておらず、堂々と行うべきことを行い、堂々と神の道を歩み、恐れる心を無くすべきです。警官も救うことを待っている生命であり、会えば真相を伝えてあげます」。(『各地での説法十二』「二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法」)と説かれました。

 その言葉を思い出し、師父の法を暗唱しながら、私は電動自転車に乗り、マスクと手袋を着けて出発しました。カレンダーを配りながら真相を伝えていました。

 すると途中で、Aさんがカートを引きながらカレンダーを配布しているのに出会いました。Aさんはなんて凄いのだろう、と私は思いました。こんなに寒い日でも70歳を超えるAさんは家で休むのではなく、寒さを恐れずに外で活動していました。その姿に感動した私もマスクと手袋を外し、精力的に真相を伝え、カレンダーを配布しました。

 その日は多くの人に三退を勧めることができ、以前は何度伝えても三退しなかった人も、その日には説得することができました。これはすべて師父のご加持と、同修たちの励ましのおかげです。あの日は、私がこれまでで最も多くの真相カレンダーを配布した日となり、40冊以上を配布することができました。

 私たちはこのように協力しながら、同修たちが心を込めて作った美しいカレンダーをすべて配り終えました。そして年が明ける前に、私はさらに2箱分の対聯(ついれん)をAさんに渡し、配布をお願いしました。

(訳注 対聯とは対句を記した紙で、門や建物入り口の左右などに貼る。中国の伝統的な建物の装飾のひとつでもあるが、慶弔時に一時的に貼るものと、恒常的に掲示するものがあり、この場合はお正月用の対聯)

  この過程で私たちは、互いに注意を促し合い、顕示心や歓喜心のようないかなる人心も生じないように心がけました。どんな人心も、師父の功績を自分の功績として欲することになるからです。実際、これらはすべて師父がなさっていることであり、私たちはただ体を動かしてるだけで、私たちは口を使って人々に話しているに過ぎないのです。

 私たちが互いに協力し、全体的な向上とともにこのような活動を推進していく中で、Aさんの体調は徐々に最良の状態へと回復していきました。一方で私自身も、邪悪な迫害を恐れる心や、人から何かを言われることを恐れる心を取り除きました。私たちはいずれも、三つのことを行う中で、心性を向上させています。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/11/27/485456.html
 
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