常人の言動を見て大法に照らして自分を修める
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2024年3月6日】ここ最近、私が家を出ると私の家の近くに住む村のある男性をよく見かけていました。その男性は、暗くて誰かを怨んでいるような顔をしていました。

 彼は、人によく両親の悪口を言っていました。「両親がひどく扱ったとか、2人の弟に家の財産を全部あげて、自分には何もない」とか、不平不満ばかりを言っていました。考えてみると、70年代と80年代には田舎の家庭に財産などあるはずもなく、お腹いっぱい食べられるだけでもいいと思っていました。実際、周りの人たちは皆知っていますが、彼は理不尽な人で、親に対して少しも親孝行をせず、親の面倒を見ることもしておらず、子供としての義務を果たしていません。それなのに、彼は両親をずっと憎んでおり、両親の話になると、歯ぎしりをして悔しい表情になり、不平不満を吐いていました。彼のあの姿を見るたびに、私は心の底から彼を嫌悪していました。

 彼は、特に女性の前では、自分はいかに頭がいいか、いかに農作業ができるか、いかに家事ができるかを自慢していました。実際、彼は小学校卒業で、一年生だけでも何年も留年し、知識もなければ、特別な技能もありません。それなのに、自分がどれほどの腕前なのかをまだ分かっていないのに、人前で見せびらかしています。また、彼は人とのつきあいの中で、人を見下すような目つきをして、自分が上だと勘違いをしている姿もよく見られました。彼は、心の中でどう思っているのかは、私にははっきり見えており、「本当におかしい」と思っていました。

 なぜ、私はいつもこのようなことに遭うのでしょうか? 修煉者には偶然なことはないのです。

 私は真剣に自分の問題を探してみました。「自分にもそのような心があるのではないか? 内に向けて探すべきではないか?」と思うようになりました。

 私はびっくりして目が覚めました。「その人のような言動は、私自身にもよく表れている!」ということに気づいたのです。

 私は長い間心の中で、いつも自分が子供のころに誰かにいじめられたことを思い出していました。小さい時から今まで、不公平に扱われたことや、親の自分に対する誤解などを時々思い出していました。また、ある年、トマトを売った1216元を、私は受け取っていませんでしたが、ある人に私が受け取ったと言われ、その恨みは、長い間捨てることができていまません。それ以降、その人に会うと私は怒りで息が荒くなりました。私は、法輪大法を修煉していなかったら、「必ず彼に復讐するだろう」と思っていました。時には、自分がいじめられたり、他人と争ったりする夢を見て、目が覚めても怒りが頭から離れず、腹が立ちました。

 そこで私は、心を落ち着けて探しました。「自分には強い怨恨心があるのではないか? 夢の中でさえも恨んでいる。27年も修煉しているのに、まだこんなに強い恨みがあって、これまで修めて取り除いていない。肝心なのは、自分ではまったく意識していないし、内に向けて探したこともない。師父は繰り返して常人の言動を通じて、ついに私にこの良くない心を意識させ、見つけさせてくださった。その良くない心は本当の私ではない。私はそれは要らない!」と、その怨恨心を取り除こうと決意しました。心から悟らせてくださった師父に感謝いたします。

 その人の言動を通して、私は自分の強い顕示心も見つけました。私はよく同修の前で、自分が一日にどのぐらい法を学んだか、どのように毎朝の煉功を続けたか、毎週どれだけの大法の資料を配ったか、『轉法輪』を何回暗唱したかなど、とにかく自分がどのように立派であるかを示していました。これこそ強い顕示心ではありませんか?

 また、時には同修を見下す心も持っており、「彼らは自分よりよく修めていない、自分よりたくさん法を学んでいない、大法弟子のやるべき三つのことも自分よりしっかり行っていない」などと思っているのです。私のこれらの言動は、その人と比べて何の違いがありますか? また、同修が私の不足を指摘した時、私は内に向かって自分を修めるのではなく、まず考えたのは「言い訳」であり、これらはすべて私が自我に対する執着心の現れです。

 常人の言動を通じて、私は大法に照らして内に向けて探したことで、やっと自分のこれらの良くない執着心を見つけることができました。そして、修煉の厳粛さと自分の修煉の差を認識することもできました。これからは、師父の要求通りにしっかり自分を修め、大法の中でこれらの執着心を取り除かなければならないと思いました。

 私が大法に従って修めるようになると、彼は、以前のような言動はなくなっていました。私も彼を見ても、彼を嫌うことはなくなりました。実は、それは私が怨恨心や顕示心などを取り除いた必然の結果なのです。私は本当に彼がかわいそうに思いました。そして、中国共産党の噓偽りの宣伝に騙され、大法の良さと法輪功迫害の実態の真実を拒否する人々の哀れを感じました。このように思った私は、慈悲の心が生まれ、更に衆生を救う緊迫性を認識しました。まだ多くの真実を知らない衆生がいるのです。私は、私たちが彼らを救う必要があることを認識しました!

 このことから、私たちの修煉の中で出会ったすべての人、事柄は、みな原因があり、縁もゆかりもないことはなく、すべて私たちの修煉と関係があることが分かりました。内に向けて探せば、必ず修煉者として取り除くべき執着心が見つかります。私は、法に照らしてそれを見つけ、それを修めて、師父の本当に修煉する弟子になりたいです!

 以上は個人の認識に過ぎません。正しくないところがあれば、ご指摘をお願いします。

 (責任者編集者:李明)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/1/473741.html)
 
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