文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年10月26日】師父の新しい経文『猛喝』を読んで衝撃を受けました。「大法徒が自分自身の使命を果たしているかどうか、その最後の時はそう遠くはありません。どこに向かうのか、自分自身でしっかり考えてください! 大法弟子がこの世に生きているのは、自分をしっかり修煉させ、師父に手伝って人を救う歴史的使命を全うすることにほかなりません。現在の人類社会がまだ存続しているのは、ほかでもなく大法が人を救えるようにするためであり、まだ目覚めないのですか!?」[1]
師父の法に照らして私は内に向かって探し始めます。夫が亡くなってから1年ほどは、年末年始になるといつも夫のことが頭から離れず、食卓に夫の姿だけ消えているのを見て子供たちに隠れて涙を流したり、夫の命日には心が痛み、お墓にお参りに行きたくなったり(法理が分かってからは行きませんでした)、特に曇りや雨で外に出られない時には、夫が生きていた頃、こんな天気の時には一緒に学法したり煉功したりしていたことを思い出し、ため息が出て悲しくなることがよくありました。
また、「50年以上の夫婦愛を一度に放下することはない、ゆっくりと消去すればいい」という常識的なことも言い訳にしました。この時期は、法を学び、煉功することはもちろん、法輪功迫害の真実を語り、人を救うことも困難でした。当時の私は「夫への愛は海のように深く」、自分が大法の弟子であることを完全に忘れていました。
師父は弟子たちにこう説かれました。
「親族の情に執着するならば、必ずそのために疲れ、まとわり付かれ、魔がさし、情の糸をつかんで一生をかき乱されるのですが、年を取って、悔いてももう遅いのです」[2]
しかし、私は情に陥り、大法に対して誓約を守らず、常人の理を使って自分の執着を覆い隠し、自分が損をするだけでなく、他の人を救うこともできません。このような状態では、どうやって師父について真の家に帰ることができますか? 神々は私を許してくださるだろうか? とても怖かったのです。
その日、私は『猛喝』という経文を暗記しました。師父の法に基づいて情のしがらみを断ち切り、真の大法弟子となり、三つのことをしっかりと行い、師父について正々堂々と真の家に帰ろうと思っています。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『猛喝』
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「修める者の忌」