山東省招遠市、法輪功迫害に加担したことによる悪報の実例(一)
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 【明慧日本2021年10月26日】中国共産党(以下、中共)の江沢民集団が国家機関全体をコントロールして法輪功を迫害してきた22年間、山東省招遠市の各層の公安人員、司法関係者、警官、各部門の責任者は、上の命令に盲従し、道徳的良心を無視して法輪功学習者(以下、学習者)の迫害に加担し、大きな罪を犯した。

 明慧ネットが2017年に報道した「山東省招遠市における過去18年間の法輪功学習者への迫害状況のまとめ」によると、少なくとも6人の学習者が現地の派出所、洗脳班労働教養所で迫害により死亡し、104人が迫害により自宅で死亡し、45人が不当な判決を言い渡され、134人が労働教養を強いられ、29人が公職を奪われ、5人が大学から除名されたことが分かった。さらにまた、洗脳班や留置場などに連行されて拷問を受ける、給料を差し引かれ金銭をゆすり取られる、家宅捜索を受けて家財を押収された学習者もいた。巻き添えにされた家族は仕事を失い、学校を中退させられ、電話監視やドアのノックによる嫌がらせを受けるなど、ほとんどの学習者が迫害に遭遇したことがある。

 しかし、悪事に加担した加害者も病死、免職、投獄、家族を巻き添えにするなど、一連の悪報を受けている。本文では、山東省招遠市で法輪功迫害に加担した法曹部門の関係者、政府官員、各会社の責任者が受けた悪報の実例を公開し、江沢民の犯罪集団に追随して法輪功迫害に加担している関係者に警告するためである。

 一、招遠市公安部門の林涛が悪報に遭い、がんで死亡

 1999年以前、林涛は金嶺鎮派出所の副所長であったが、1999年7月20日、江沢民集団による法輪功への迫害が始まった後、もっぱら法輪功を迫害する特別チームに異動した。その後、林涛は迫害の手段が悪辣であるため、昇進し金持ちになった。招遠公安局の「610弁公室」の責任者となり、法輪功を迫害する「特別チーム」の所長を務めていた。彼の犯罪事実は明慧ネットに記録されている。

 林涛は、「私が資料を書けば、招遠市の学習者を誰でも簡単に労働教養させることができる。私の指示により労働教養を科された学習者は100人近くいる」と自賛したことがある。林涛は、中共による法輪功への迫害の初期(1999年~2005年)に、江沢民集団に積極的に追随し、最も残酷な迫害の加担者の1人である。招遠市の考福泉さん、孫傑英さん、曹蘭花さん、隋松嬌さんなど多くの学習者が、林涛とその仲間に残虐に殴られたことがある。林涛は、迫害により死亡した趙金華さんの加害者の1人でもある。

 悪事の限りを尽くした林涛は、がんを患い、2021年前半に激痛の中で罪悪な人生を終えた。

 二、元招遠市政法委書記、610弁公室のリーダー・姜忠勤は、悪報に遭い懲役13年の判決を受けた

 悪人リストのE000006359番の姜忠勤は、中共と江沢民の犯罪グループによる法輪功迫害の重要な共犯者の1人である。

 姜忠勤は、以前山東省煙台市610弁公室の主任を務めていた。2005年以降、招遠市党副書記、政法委副書記を務めていた。姜忠勤は、中共と江沢民の犯罪集団の法輪功に対する迫害政策を積極的に実行し、林涛と同じく、招遠市の学習者に対して深い罪を犯し、趙金華さんを殺害する直接の責任者の1人でもある。

 2003年後半から、姜忠勤は上層部の機嫌を取り迫害を維持するために、当時の招遠市党書記・劉為群の指示の下で、政法委書記・徐林宏と一緒に、市内の各部門の責任者会議を開き、法輪功への迫害を展開し、甚大な罪を犯した。

 姜忠勤は在任中、多くの学習者を致死させた。また、招遠市の洗脳班を全国の拷問手本基地にして、全国から招遠市に責任者を集めて、その拷問方法を学んだ。そのため、姜忠勤は煙台610弁公室のリーダーに昇進し、煙台市全域の学習者を迫害する責任者となった。

 招遠市の趙金華さん、孫紹美さん、姜麗英さん、張林さん、隋松嬌さん、傅希彬さんの6人が迫害により死亡した。20人が不当な判決を下され、120人以上が労働教養を強いられた。招遠市で不当に拘束され、公職を除名され、洗脳による迫害を受け、家宅捜索を繰り返され、多額の罰金を科され、放浪生活を余儀なくされ、殺害され、判決を宣告された学習者は1千人に達している。一つ一つの案件は、衝撃的で心を痛めるものであり、姜忠勤はその責任を免れない。

 善悪には必ず報いがある。2015年12月17日、姜忠勤は収賄容疑で正式に逮捕され、2018年4月28日に懲役13年の判決が下された。妻の張進華も逮捕され、英国でマネーロンダリングを行った息子はネットで指名手配されている。

 三、招遠市委員会副書記、政治協商会議主席だった張桂芬は、悪報に遭い懲役7年の判決を受けた

 張桂芬は、悪人リストの番号E000006357である。中共による法輪功への迫害が始まった頃、張桂芬は招遠市党副書記として、法輪功への迫害を担当していた。彼女は招遠市で法輪功への迫害を指導した責任者であり、県級市で法輪功への迫害を推進した江沢民集団の共犯者の1人である。

 張桂芬は会議を開くたびに法輪功への迫害事項を作成した。かつて傅希彬さん一家を指名して迫害の対象とした結果、傅希彬さん父子ともに迫害されて死亡し、孤児と未亡人が残される悲劇が起きた。

 張桂芬が指揮している「610弁公室」は、公然と学習者を連行し、出勤、退勤の途中あるいは尾行、騙すなどの手段で連行していた。連行された学習者の家族に「金を支払えば釈放する」と言っているが、実際は、金を手に入れた後も労働教養所に送った。強要した金額は、数万元のものもあれば、4000〜5000元のものもあった。警官らは「学習者を捕まえるのは、金のためだ」と公言した。招遠市で起きた学習者を負傷させ、致死させた悲劇に対し、張桂芬には逃れられない責任がある。

 張桂芬は、2015年に懲役7年の実刑を言い渡された。官界で一世を風靡した女性幹部が、悪報に遭い囚人になった。

 四、中国の鉱金業の社長・王永選は悪報に遭い、妻と娘が巻き添えにされた

 悪人リストのE000083913番の王永選は、招遠市中鉱金業の元社長で、現地ではとても有名で、金持ちで権力もあり、その妻と娘も派手な生活をしていた。1999年7月20日以降、王永選は江沢民の迫害命令に積極的に協力し、社内の学習者への迫害に参加した。王永選は学習者の劉振波さんを解雇し、他の学習者を独房に監禁して睡眠を奪い、昼間は炎天下に晒していた。

 王永選が在任中の2002年に、学習者を迫害する玲南洗脳班は鉱金業の社宅に移転した。そこでは、多くの学習者が残酷な迫害を受け、死に至った。王永選は深い罪業を作った。

 2009年、王永選は骨癌を患い、片足を切断した。 2010年6月2日、王永選は激痛の中で亡くなった。50歳だった。

 王永選の死後、妻も胃がんで亡くなった。その後、王の一人娘が夫に捨てられ、全財産を騙し取られた。江沢民の迫害命令に従い、善良な学習者への迫害に加担したため、幸せな家族が最終的に崩壊した。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/17/432610.html)
 
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