【明慧日本2021年10月28日】(前文に続く)
五、毛文東は調査を受け、両親が嫁を殺害した後、父親が自殺
毛文東は泉山街党工作委員会の書記で、法律と規律において重大な違反の疑いがあり、規律検査委員会の審査と監察調査を受けている。毛文東が逮捕された後、捜査チームが親族を調査する件を巡って、毛の両親と嫁が口論となり、結果的に毛の妻が死亡した。母親が公安局に行って「嫁の首を絞めて殺した」と自首したが、不思議なことにその直後に毛の父親が自殺した。かつて繁栄していた家族は、一夜にして崩壊した。
2019年5月に阜山鎮から泉山街弁公室に異動した毛は、党工作委員会の書記に就任した。それ以前は、黄金の産地である阜山鎮の鎮長、党書記を務め、名声と富を手に入れた。毛が管轄する地域の関係者は、長年にわたって学習者の迫害に積極的に参加してきた。この件について、明慧ネットで確認できる。毛には、リーダーとしての免れられない責任がある。
六、迫害の初期、明慧ネットで報道された山東省招遠市の法輪功迫害で、悪報に遭った実例
◇招遠市留置場の所長であった林楽慶は、警官を召集して学習者を殴り、手錠や足枷をかけ、トイレに行くことを許可せず、ライターやタバコの火で学習者に火傷をさせた。2001年3月、林楽慶は高級浴場に行った時、浴場で急死した。
◇金嶺派出所の警官・孫国全は、招遠市石対頭の出身である。孫国全は学習者の連行に加担した直後の2001年初め頃、バイク事故で足を4カ所、骨折した。1回目の手術が失敗したため、2回目の手術をした。彼自身「私がひどい目に遭ったのは悪の報いだ。あの時に死んでしまった方が楽だった」と言っている。
◇学習者を何度も連行した辛荘鎮公安局の元副局長・丁国山は、2002年末に胃がんを患い、苦しい日々を送った。
◇招遠市金嶺鎮の司法部門の職員である段国防は、手を緩めずに学習者を迫害したため、脳に腫瘍ができ、手術が失敗して植物人間になった。
◇留置場で学習者を迫害した警官の張忠強は、悪業を重ね、今では心身喪失になり、よく「誰かが自分を殺そうとしている」と独り言を言っている。
◇学習者への迫害に積極的に関わっていた元招遠市人民代表大会秘書長・戴徳彬は、2000年に済青高速道路で交通事故に遭い死亡した。
◇公安局政治保安課の元課長である史才徳は、警官に指示して学習者を残酷に迫害したため、汚職 と贈収賄の罪で2000年秋に判決を受けた。そして、妻と離婚した。
◇蚕庄鎮政府の武装部門の責任者だった李英生は、チンピラを雇って学習者を殴った。2000年の夏、李英生は急病を患い、入院して1週間後に死亡した。
◇学習者への迫害に参加した宋家鎮の元党書記・楊少良は、2002年秋に突然の心臓発作で死亡した。
◇大秦家鎮政府官員・楊克松は2000年の春、学習者の秦さんを会議室に呼び出し、1時間近く殴り続けた。 2004年1月、楊克松は杜家溝橋を通りかかったとき、車と一緒に転落し、数本の肋骨を折った。
◇夏甸鎮溝下店村に住む曹士貴は、よく法輪功の掲示物を剥がしたり、大法を罵ったりした。2003年の春、曹士貴はトラクターから落ちて死亡した。
◇招遠市庄鎮幹部・王成傑は、学習者を迫害したため、がんを患い死亡した。
◇招遠市夏甸鎮出身の董桂福は生前、阜山鎮土地管理局に勤務していた。7.20以降、董桂福は率先して村に入り、法輪功の書籍を押収したうえに、法輪功の掲示物を見かけたら、すぐ剥がすようにと村の幹部に命令した。そしてまた、信念を貫く学習者を知ると警官に学習者を連行させて、拷問を加えたりした。2003年10月14日、董桂福はバイクの事故に遭い、その場で死亡した。
上記の悪報に遭った実例は、小さな県レベルの都市で起きたことだが、充分に人を驚かせる出来事である。明慧ネットで報道された悪報事例に基づいて分析すると、「610弁公室」のリーダーの悪報に遭う状況は、最も悲惨で衝撃的なものであることがわかった。刑務所に拘禁されたケース、急死したケース、自殺したケース、交通事故で死亡したケース、身内を巻き込んだケースなど、悪報に遭った者は中央から地方にまで及んでいる。さらに、法輪功への迫害が深刻であればあるほど、悪報の程度も惨烈で、頻繁に起きている。
(完)