文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年11月4日】私は、1998年末に法輪大法を修煉し始めた60代の女性弟子です。修煉の過程でつまずいたり、多くの困難や苦難を経験したりしましたが、師父の慈悲に見守られる中で今日まで歩んできました。自分の修煉を振り返って、修煉中のあらゆる悩みや困難がすべて家に帰る道を切り開くためのものであり、師父と法を信じて正しく行えば、すべてが修煉を向上させるための段階になると悟りました。
一、病業の魔難
2018年の春から、修煉して以来ずっと元気だった私は、両足のしびれや脱力感を感じることが多く、10分以上立つと早く座りたくなり、横になると楽になります。坐禅をする時、両足が茄子のような紫色になりました。ふくらはぎや足首の静脈瘤がとても痒くて、どうしても我慢できないので、毎日掻いていました。その後、かゆいところには湿疹や潰瘍、皮膚の傷が現れ、粘り気のある黄色い水や膿が出てきました。また、患部の皮膚は真っ黒になり、どんどん広がっていきました。
長い間、家族は私の状況に気づいていませんでしたが、ある日、私がずっと手で足を掻き、腫れている足の皮膚が破れているのを発見しました。家族からは何度も病院に行くように勧められました。息子は、「お母さんを病院に行かせずに放っておくなんて、息子として、本当に親孝行しているのか、親不孝なのか分からなくなった。お母さんを見ていると、すごく心配になるし、心が苦しくなるよ!」と言いました。私は息子に「修煉は私の人生の最大の願いであり、好きなように修煉をさせてね、それが本当の親孝行だよ。私は大丈夫。子供の頃、お母さんがあれほど重病を患いながらも修煉を通して回復したのを見たでしょう。今回も、修煉を通して必ず回復するよ」と言いました。その日以来、息子は二度と私に病院に行くことを強要しませんでした。
しかし、心配している息子はある大きな病院に行き、医師に相談しました。 医師によると、その状態は明らかに静脈血栓症で、血管が詰まって全身が弱っている状態であり、足の異様な痒みや潰瘍も、血管が詰まって酸素が不足していることが原因で、これは非常に深刻な状態で、早く入院して手術をしないと、血栓が破れて肺塞栓症になり、死ぬことがあるとのことでした。
その時、家族は皆、私に入院するよう説得しました。姪の話によると、義母の村では治療が遅れた人がおり、両足を切断した後に死んでしまったり、治療が遅れて半身不随になってしまった人もいるそうです。私は「自分は大法の修煉者だから、彼らと違って、一時的に修煉状態が悪くなっているだけで、調整して必ず良くなる」と説明しました。
姉や甥っ子たちは、私がお金を出したくないと思っていたようで、治療費を負担すると言いました。私は彼らに、「治療費を出すのは構わないが、病院に行ったら、いろいろな苦痛に耐えなければならないでしょう? 以前、あれほどの重病でも修煉を通して治ったし、今回も必ず元気になる。証明してみせるから」と言いました。
このような状態が現れたのは、自分の修煉に何か問題があると感じました。師父は、内に向けて探すようにおっしゃいました。現れた症状は、表面から見ると、バイトで頑張りすぎて長時間立ちっぱなしだったことのように見えますが、本当の原因はもっと深いところにあるかもしれません。
内に向けて探してみると、嫉妬、強気、不平不満、顕示心、自我への執着、そして普段、内に向けて探さないことも多かったなどの人心が見つかりました。また、家を買うためにお金を稼ぐことへの強い執着があり、身体を金稼ぎのための道具として扱い、師父が浄化して下さった体を大切にしていなかったことも、深刻な病業をもたらす原因になりました。これらの問題を直視した上で、今後は良くない心を修正して、執着心を取り除こうと思いました。
二、観念を変え 正念を持って正しく行う
病業を抱えている私は、生活のためのお金が必要とは言え、気に入っている仕事を諦めなければなりませんでした。上司は私の仕事を非常に高く評価しており、何度も引き留めてくれましたが、私はやめざるを得なくなりました。私はすでにその仕事ができなくなったからです。
その時、私たちの市では『共産党についての九つの論評』と『共産主義の究極の目的』を作る時期でした。しばらくの間、本作りプロジェクトの同修のあとを引き継いで作っていたのですが、長時間動かずに座っていたため、体が弱ってしまい、帰りはふらふらになって歩いていました。帰宅後、数日は起き上がれず、全く動けない状態でずっとベッドに横たわっていました。
何度か作っているうちに、限界だと感じて、協調の同修に「どうしても無理なので代わってください」と話しました。実はそれ以前に、2人の協調の同修は私の健康状態を知っていました。しかし、数日後、協調人は本作りのプロジェクトをいくつかの小チームに分け、私を別の小チームに所属させ、引き続き本を作らせました。しかも、私の了承を得ずに、勝手に決めました。
このことを知ったときの私の最初の反応は、自分の体の痛みを無視し、自分の意見を尊重せずに勝手に決めることに対して、同修を恨んでいました。家に帰ってもイライラして、どうしたらいいか分からなくなりました。それに、私が住んでいる部屋は、釘を落としただけでも隣に聞こえてしまうような小さな家ですし、同じチームの同修の家族もみんな常人なのに、「どうして場所を考えてくれないのだろうか」と思いました。
何といっても長年修煉してきたので、心が穏やかでないことは間違っていると気づきました。師父は「恨みの心ですが、つまり褒められたい心、良いことがあれば嬉しいという心が養われたのです。さもなければ、恨んでしまいます。皆さん、考えてみてください。これではいけません。このように修煉してはいけません。私はいつも言っていますが、修煉者は問題を逆の角度から見るべきです。遭った良くない出来事を良いこと、あなたを向上させる機会として捉えるべきです。この道をしっかり歩み、関門と修煉の機会がやってきたと考えるべきです」[1]と説かれました。師父の教えを思い出すと、自分の観念が変わり、2人の協調の同修に対する怨恨心をすぐに捨てました。逆に考えてみれば、同修は私の病業の仮相を否定しているのではありませんか? 本を作る場所については、もう心配しなくなり、きっと解決する方法があると思うようになりました。
どうやって本を作るのかを考えていた時、ある同修が場所を提供してくれて、一緒に作ることにしました。数年間、同修の支払った努力と無私の協力に感動し、心が暖かくなりました。全ては師父が按排して下さったものであり、心性が向上すれば、全てが整ったのです。
昨年、新唐人は広範囲のHDセットトップボックスを交換する必要があったので、私は1週間以上も毎日走り回り、100個以上のセットトップボックスを交換しました。家に帰ってからは、疲れてベッドの上でしっかりと休まないと起き上がれませんでした。
当時、私はちょっと仕事をすると大変疲れていて、心の中では非常に悩んでいました。何度も新唐人の取り付け方を学ぶ同修を探したのですが、熱心に引き受けてくれる同修はほとんどいませんでした。その後、同修から「同修の間で新唐人を取り付けるのは、ちょっと道が外れているので、社会に普及すべきです」と指摘されました。私もこの問題に気づきました。確かに、同修の家族は新唐人を見ることで反対から理解に変わり、真相を理解した人がいたのも事実ですが、しかし、新唐人に執着する同修もおり、気持ちが常人社会の変化に従って動じてしまいます。自分の足の病業は、修煉の道を正しく歩んでいないことが原因かもしれません。私は同修たちに「新唐人のことで他人に頼らないで、それぞれの地域は各自で解決すべきであり、解決できなければ見なくても大丈夫です。新唐人が見えなくても修煉に影響しません」と伝えました。
病業の仮相が現れてから1年後、さらに合併症が出て、腕やお腹に湿疹ができ、全身が痒くなりました。皮膚は薄くなり、触ると破れてしまい、なかなか治りません。血液の循環が悪いため、目がかすれて耳鳴りもひどく、髪の毛は白くなって抜け落ち、指の腹はへこんで血色がなく、顔も真っ青になりました。以前は2段ずつ階段を上っていましたが、今は1段ずつでも疲れてしまいます。春や夏になっても、足や手は冷えて不快です。
1時間の第二式の功法(站椿)は私にとってとても大変でしたが、疲れていても、何度も足を動かしたりして我慢しました。関を乗り越えることを諦めて病院に行こうと何回も思いましたが、すぐに打ち消しました。病院に行くことは、修煉者にとって苦痛の決断であり、まるで神が人間の中に落ちて行くようなもので、20年以上も病院に行ったことがないので、師父が浄化して下さった身体が常人に汚染され、めちゃくちゃにされることは、とても恐ろしいことでした。
師父はこのように説かれています。「人間に最も乗り越え難い関、修煉の際必ず乗り越えなければならない関は、他でもなく生死を放下する関です。もちろん、誰もが生死の前に試練を受けなければならないということではありませんが、それが必ずしもないとも限りません。自分にとって最大の難関と最大の執着を前にし、それを放棄できるかどうかは、実はこの一歩を踏み出すことができるかどうかを試練しています。生死を放下できれば、あなたは神ですが、それができなければ、あなたは人間にほかなりません」 [2]
私は生死を放下し、自分を師父にお任せしました。ただひたすら毎日やるべきことをやり、体があまりにも苦しくなったときには、落ち込む考えが出てくることもありますが、私はその考えを長く続けさせません。師父にご加持をお願いして、正念を持って良くない考えを取り除くと、状況はすぐに改善しました。
(続く)