文/海外の大法弟子
【明慧日本2021年11月9日】私は2015年に本格的に修煉を始め、ほぼ同時に大紀元での仕事も始めました。大紀元の仕事は偉大であり誇りに思っています。毎日大紀元の仕事に浸ることは、修煉を始めたばかりの人にとって、法を正す進展についていくことができ、修煉の向上にとてもよい助けになっています。
2年後、大きな変動があったため、私は大紀元を離れて大法のプロジェクトでもある別の小さいメディア会社に移りました。最初は地元で新聞に関する業務に携わりました。その後その業務を離れて、本部の業務に移りました。その後、突然、本部と地元オフィスの間に対立が起きてしまい、かつて親しく協力し合ったチームメンバーが一夜にして宿敵になったようでした。事態がどんどん悪い方向へ発展して、映画のように次々と展開していきました。
何事も偶然ではないので、これが修煉者に対する試練だと分かっています。私は正義感があり、まっすぐな性格なので、不当なことが起きた時には、率直に意見を言います。しかし感情的になると冷静な交流ができず、この欠点はトラブルの解決に何の役にも立ちませんでした。
今回のトラブルにおいて私は自分の言動を記録しました。ある日、最初にいた大紀元社での出来事に関する当時の記録を偶然にめくりました。当時、私の感想と反応はちょうど今と同じで、時間は今と2年半離れています。驚きました。つまり、トラブルが起きた時に私の思ったことと反応は同じで、2年半、何も向上していません。
2回のトラブルとも、自分が正しい側を応援して、宇宙の中の正しい要素を守っている、大法を守るために自分の良心に申し分がないと思っています。2年前にそう悟ったのは間違いではないかもしれませんが、2年半経って再び起こると、その中に私の改善すべきもの、向上すべきものがあるのではないかと考えました。
では、改善すべきもの、向上すべきものは何でしょうか、連日考え続けても思い当たりません。本部に来てしばらく経ったら、本部では、さまざまな過去の葛藤によって、一つのチームの中が二大陣営に分かれていることに気づきました。前述の地元オフィスも対立の後、昨日まで親密だったチームメンバーは仲直りできない二つのグループに分かれました。地元の二つのメディア会社、同じく大法のプロジェクトではありますが、競争と人材の奪い合いがあるため、お互いに冷たく距離を保っています。
昨年8月、現地で真相を伝えるためのカーパレードを行いました。最初は全員参加しましたが、次第に一部の同修しか参加しないことになって、今は、現地の同修はカーパレード参加と不参加の二大陣営に分かれています。その中から私は「隔たり」が見えました。修煉者の中で、どこにも存在する隔たりでした。
誰が一番大法弟子の間の隔たりを見て嬉しくなりますか、間違いなく旧勢力が一番うれしいのです。大法弟子が一丸となった時の巨大な威力を私は自ら目の当たりにしたことがあって、その力は旧勢力が最も恐れています。師父はほとんど毎回の説法で、大法弟子の協調の問題に触れます。私はいつも協調を自分に対する一つの要求にしていますが、私が経験した2回のトラブルの中で、元々の考え方は良かったのですが、結末は依然として分裂と隔たりが見えました。私はその中から何を悟りますか、どうやってもっと良く行えますか。
いくつかの要因を思いつきました。第一に、私は人心に支配されやすくて、負の思考に制御されやすい人間です。師父は大法弟子の良いところだけを見て、弟子の悪いところを気にせず、転んだら起き上がれば良いといつも大法弟子を励ましてくださっています。私は心がを動じる時、マイナス思考にコントロールされて、同修の悪いところばかり見ています。修煉者として、トラブルの中に置かれていても、師父の教えを思い出し同修の良い一面を見ることができれば、それは仏性を以て問題を対処できる修煉者です。これからは慈悲の心を持って穏やかな心理状態を保ち、トラブルが起きた時には冷静さを保つよう注意したいと思いました。第二に、全体に円融する意識が欠けていることです。たとえ自分が正しいと思っていることでも、行ったら実は最後に発生する隔たりに助力するだけという可能性があります。これからトラブルが発生する時、私はもっと良く行えるようにしたいと思います。
同修の間に存在している隔たりを目にして、法理にかなうかどうかは別として、態度や口調も重要な要素であり、全体へ円融することを意識することは、大法弟子に対するより高い要求であると悟りました。邪悪は修煉者の業力と執着を利用し隔たりを作って、大法弟子の全体としての力を弱めています。これは旧勢力の一つの手法です。大法弟子が自分の意見が正しいと主張する時、それは邪悪の罠にはまることになるのです。
トラブルに陥って、互いに円融できない大法弟子は、表面上、誰が正しくて、誰が正しくないかなどとはまったく関係なく、実は全員、旧勢力の罠にはまったのだと思います。
最後に、師父の言葉を引用して同修の皆さんと共有したいと思います。「衆生を救うことは皆さんが行なわなければならず、行なうだけでなく、必ずしっかり行なうべきです。師父のために行なうのではありません。衆生を救い済度すると言っていますが、全部衆生のために行なうのではなく、皆さん自身のために行なっているのです」[1]
「どのプロジェクト、どのことも、行なわなければそれでいいのですが、行なった以上、しっかり行なうべきであり、最後までやり遂げなければなりません。でなければ、歴史であなたが浪費したこれらの時間をどのように記載すればよいのでしょうか? 成功できなかった事はすなわち失敗なのです」[1]
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二〇一〇年ニューヨーク法会での説法」
【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】