文/湖北の大法弟子
【明慧日本2021年11月14日】私が法輪大法の修煉を始めたのは二十数年前です。今回は、私が修煉を通して最近経験したことについて、同修のみなさんとお話ししたいと思います。
一、子供を救う決意
師父はこう説かれました。
「慈悲は天地の春を溶かし、正念は世中の人を救う可し」[1]
私の街は2020年3月15日にロックダウンし始めました。もう1人の学習者と私は、翌朝7時に人々に法輪功迫害の真実を伝えるために出かけました。バス停で10代の若者とその祖父母が待っていたので、彼らに法輪功迫害の真実を伝えました。
私たちは、現在のコロナウイルスについて話し始めましたが、祖父母は私たちの話を信じようとしませんでした。私は10代の少年を見て、そのおばあさんに「この子はあなたのお孫さんですよね?」と聞き、そのおばあさんは「はい」と答えました。私は「このパンデミックの間、このお孫さんをバスに乗せるのは充分気をつけてください」と言いました。
私はお守りを取り出し、おばあさんに「この法輪大法のお守りに書かれている心からの九文字を唱えれば、あなたは安全です。信じるか信じないかはあなた次第です。この少年はあなたの家族の宝であり、希望です。力になりたいと思っています」と言いました。私はそのお守りを少年に手渡しました。
祖父母は私の話を聞いた途端、一瞬、戸惑いました。しかし、急に態度が変わり、「ありがとうございます」と嬉しそうに言ってくれました。少年は嬉しそうに笑ってお守りを受け取りました。私は彼に共産党の組織から脱退するように説得し、彼はそれを承諾しました。
祖父母には、「この子が助かりましたから、あなたたちも助かるはずですよ」と言いました。私たちは彼らにもう一度、迫害の実態を話し、共産党の組織から脱退するように説得しました。今度は2人とも同意してくれて、何度もお礼を言ってくれました。
二、思いやりが人の善意を呼び覚ます
ある日、もう1人の同修と私は、地域で一番大きなスーパーマーケットの前で法輪功迫害の事実を伝えていました。私は18歳の女の子に共産党の組織からの脱退について話し、彼女は熱心に聞いてくれました。
その女の子の母親がスーパーから出てきて、「娘に話しかけるな!」と怒鳴られました。私は、すぐにその場を収められるとは思えなかったので、その場を立ち去っていこうと思いました。その女の子が母親に言っているのが聞こえました。「叫ぶのはやめなさいよ。騒がしいわ。叫ぶようなことは何もないわ」
私は振り返り、女の子の母親に微笑みかけて、「あなたの娘さんはとても心が優しいですね」と言いました。お母さんは笑顔で「そうなんですけど、私の言うことを聞かないだけなのです」と言いました。私は戻ってきて、「こんないい娘さんを持っていて、あなたは幸せですね」と言いました。お母さんは嬉しそうでした。
私はこの機会に、彼らに真実のことを話し、共産党組織を辞めるように説得しました。私は、何百万人もの中国人がすでに共産党の組織から脱退している理由を説明し、2人は脱退することに同意しました。
三、この子は法輪大法と縁がある
ある日の夜7時、私たちは真実を明らかにするために外出しました。店の前に3歳ぐらいの子供を連れた若い女性がいたので、法輪功迫害について伝えようとして近づきました。彼女は私の話を聞こうとせず、手を振って受け入れませんでした。
私が他の人にお守りをあげているのを見て、その男の子がお守りを欲しがっていました。未だ幼いからと思ってあげませんでした。男の子は母親に私に貰ってほしいと頼んでいましたが、母親は男の子を無視して他の売り場を見に行こうとしました。その子は私の後をついてきて、「一つください!」と言い続けました。
私はこの無邪気な子供を断り切れず、お守りをあげました。彼は喜びのあまり飛び跳ね、お守りを高く掲げて母親に見せるために走りました。私は彼の後を追い、母親にこう言いました。「あなたの息子さんは、お守りを手にするまで帰ろうとしませんでした。彼は法輪大法(法輪功)と運命的な関係にあり、祝福されるでしょう。あなたが彼のためにお守りを大切にすれば、あなたも良い未来が待っていますよ」と伝えました。
彼女は喜んでいました。私は彼女に、共産党の組織から脱退したことを話しました。彼女は私の言うことを受け入れ、脱退することに同意しました。彼女は何度も私に感謝しました。私が立ち去り振り返ったとき、彼女はまだ私に手を振って別れを告げていました。
四、人を救うチャンスを逃すな
私の住んでいた地域では、コロナウイルスの感染者が続出していました。湖北省から来た人を雇ってくれる人はいないので、仕事が見つかりませんでした。そのため、夜になると帰省して露天商で生計を立てるしかありませんでした。
毎晩、大きな露店がいくつも出て、人で溢れかえっていました。これは、法輪功迫害の実態を伝えるために、そして人々を救うための新たな場となりました。これを機に、朝の6時と夕方6時の2回、迫害の実態を伝えるために出かけるようになりました。
ある夜、道端で3人の子供が乗った農業用の耕運機が停まっているのを見ました。まだ数歳の末っ子が降りて道の真ん中に向かって歩いていくと、そこに1台のバイクが急接近してきました。おじいさんは子供のそばにいましたが、何が起こっているのか気が付かず、事態は緊迫していました。
私は数歩離れたところにいて、おじいさんに「早く子供を退けて!」と叫んでいました。おじいさんはすぐにその子をつかみ、通りの外に連れ出しました。次の瞬間、子どもが立っていた場所をバイクが猛スピードで走り抜けていきました。
おじいさんにお礼を言われたので、私は法輪功迫害の事実を話しました。おじいさんは私の言うことを喜んで受け入れ、中国共産党とその関連組織から脱退することに同意しました。上の2人の子供も脱退しました。
雨の日も風の日も、人々を目覚めさせるために街で法輪功迫害の実態を伝え始めてから13年が経ちました。多くの困難がありましたが、喜びもあります。警官に呼ばれたり、迫害されたりして苦しいことも経験しました。師父に守られて危機を脱した時には感動しました。どんな困難に遭遇しても、私は手を緩めませんでした。大法弟子としてやるべきことをやり続けました。
師父はこう教えてくださいました。
「迫害をされても、私は愚かにならない 正念は私に神の路を歩ませ、後へは引けない」[2]
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「法は乾坤を正す」
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「後へは引けず」