明慧ラジオを聞きながら自分を磨く
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文/カナダの大法弟子

 【明慧日本2021年11月22日】私は最近、明慧ラジオを聴く機会がありました。「師恩を偲ぶ」、「法を正す修煉経験の共有」、「明慧法会」、「法輪大法デー特別版」などです。これらの番組を聴きながら、私は大きな恩恵を受け、また多くの間違いを修正しました。

 一、師と法を敬い、自分の言動を正す

 「師父を偲ぶ」を聞いている時、師父の慈悲の心に触れ、大法の無限の光に包まれているように感じました。この感覚を言葉で表現することはできません。修煉者たちの思い出話を聞いていると、師父が法を広めていた頃の大切な時期に戻り、修煉者たちと一緒に師父の講義を聞いているような気分になりました。

 修煉者たちは、師父が法を広めておられた時経験した多くの奇跡を思い出しました。師父は人のために無私で無欲の状態で、黙ってただ見守るだけで、見返りを求めず、大きな善行を成し遂げられたことを思い出していました。師父の慈悲深さを適切に表現する言葉はありません。また、私は、法と道を求めるため、師父の講義を受けるために多くの困難を乗り越えてきた修煉者たちに大きな敬意を表します。その心意気にも感銘を受けました。

 「師父を偲ぶ」のお話は、私の次元場にある法に合わない退化した物質を浄化してくれました。師と法を尊重していなかった自分の行動がだんだん見えてきました。

 数年前、ある修煉者が白い手袋をして法を学んでいるのを見ました。大法の本を汚さないようにしているのだと説明していました。その時は、あまり気にせず、少し非論理的だとさえ思いました。今になって考えると、私はこの稀有な法を大切にしていなかったことに気がつきました。私は、修煉の表面的な意味しか理解していませんでした。そのため、師や法を敬うことができない行為がありました。

 例えば、パジャマを着て法を学び、学法することは悪いことではないと考えたり、法を学んでいるときに集中力を欠いたり、法を検証する活動に参加するときに熱心でなかったり、グループでの学法によく遅刻したりすることは悪いことではないと考えたりしていました。実は、これらはすべて後天的に形成する観念により私達の行為が礼儀作法に合わなくなることを招くのです。

 大法の活動中、師父はいつも私たちのそばにおられるので、私たちは不適切な行動をとってはいけません。大法修煉者は、適切な服装で、礼儀正しく、遅刻せず、早く来て遅く帰るようにして、師父の講義を熱心に聞くべきだと思います。

 人間の物理的な目が神の考えを妨げることがあります。実際、師父の法身は毎日本当に私たちのそばにおられます。古代の人々は天と神を敬い、神々や祖先に敬意を払う前に、風呂に入り、きれいな服に着替えていました。この宇宙大法を前にして、私たちはより一層そのようにしなければなりません。師父は慈悲深くこの宇宙大法を私たちにもたらし、私たちに提供してくださいました。私たちがこの原理を理解するのを待っておられるのです。

 師父はこう説かれました。

 「慣れてしまい、どれも大したことがないと思っています。修煉に漏れがないとはどういうことでしょうか? 小さいことはありません」[1]

 「一部の学習者は病業の関を乗り越えられません。重大な過ちばかり考えないでください。大きな過ちがなく、法に対して確固たる信念を持っているとあなたは思っています。しかし、あなたはそれらの小さいことを軽視しないでください。邪悪は隙に乗じてくるのです。多くの学習者は小さい過ちのせいで命まで失いました。本当に非常に小さいことが原因だったのです。修煉は厳粛であり、漏れがあってはならないからです。あなたはそれらのことを長い間修めていません。小さいことですが、あなたは長い間重視していません。これで大ごとになりました。多くの人がこれで命を失いました」[1]

 この数年間は、煉功をやってもうまくいきませんでした。昼間は仕事、夜は勉強と、時間が限られていたからです。修煉とは潮の流れに逆らい、進まなければ、遅れてしまうのです。30分座禅しただけで足が痛くなり、1時間も座禅できない状態がずっと続いていました。「師父を偲ぶ」を聞いて、30分座禅しただけで足が痛くなるという状況を打破しました。突然、1時間の座禅が風のように感じられ、最初の修煉の状態に戻ったように感じ、煉功の素晴らしさを味わいました。執着を捨てさることができれば、修煉は難しいことではありません。

 二、真面目に修煉して法を正しく理解する - 学んだことを前向きに思い出す

 師父はこう説かれました。

 「しかし、私のこの言葉をしっかり覚えてください。二人の間にトラブルがあり、第三者がそれを見たら、この第三者まで自分のどこに間違いがあるのか、なぜ私がこれを見たのか考えるべきです。ましてトラブルの当事者はなおさら自分をみるべきです。内に向けて修めなければならないからです。このことが間違いだと感じた時、この出来事はあなたの観念に合っていないのか、それとも大法に符合していないのでしょうか? あなたはみてみるべきです」[2]

 また、同修による修煉体験の共有記事を聞くことで、特に上記のような問題に関する多くの執着を取り除くことができました。

 修煉者の分かち合いを聞いているとき、私は同時に自分を修めていました。修煉者たちが、どのようにして心性を修め、執着を捨てたか、また、家族や友人、同修との間に起きた争いについて話しているとき、私は同修たちに同情することがありました。彼らも不当な扱いを受けているのではないか、どうしてこの世にはこんな理不尽な人たちがいるのだろうかと思っていました。それに、この人たちは救われる価値がないと思いました。

 私は時々、修煉者たちの寛大さと忍耐強い修煉の姿勢に感心することがありました。彼らの修煉のレベルは非常に高く、本当に師父の法に従って修煉していました。時々、彼らのトラブルを取り除くのはとても簡単なのに、なぜこんなに時間がかかるのだろうと思うことがありました。このような考えが私の心に現れたのは、私の観念のせいです。

 師父はこう説かれました。

 「なぜならば、神の境地から見れば、人間、人類社会は極まりなく恐ろしいところで、特に彼らには人類の最も良くない時期の様子が見えるので、それでも下りて来る勇気があるのは、彼らが大法に対する揺るぎない信念を持っており、法を正すことが必ず成功し、法が必ず彼らを済度することができ、大法が必ず成功し(熱烈な拍手)、法を正すことが必ず成功すると信じているからです。ですから、彼らは大胆にも人類社会にやってきました。ここで言っているのは大法弟子のことではなく、異なる時期に法を得た学習者のことでもなく、現在人類の全体的な状態のことです。人類社会の多くの生命、多くの事情には変化が生じました。このような生命を前に、私たちは行なうべきであり、救うべきです」[3]

 もし私が天界に戻って、自分を不遇にしたあの人が地上に降りてくる前の状態を見ることができたら、その人を救いたいと思わないほど邪悪ではないだろうと思うのです。それは、自分はその人に十分な慈悲の心がなく、神の境地にまで修煉していなかったからです。

 師父は嫉妬心の問題を教えているときに、ある例を挙げました。

 師父はこう説かれました。

 「気功師が講習会を開いても、そこに坐って聞いている人の中には、「なにが気功師だ。言っているのは俺が聞きたくもないことばかりだ」と認めようとしない人もいます。気功師は確かにこの人より講演が下手かも知れませんが、しかしその気功師が言っているのは自分の門派のものです」[4]

 「例えば、人と人との間にトラブルがあって、あなたが良いとか、彼が良くないとか、あなたは修煉が良くできたとか、彼は修煉が良くできていないとかして、これらのこと自体が摩擦です」[4]

 明慧ラジオを聞いていると、無意識のうちに同修の修煉状況を判断してしまいます。そうすると、実は修煉者の間に対立や壁を作っていたのです。そして、業を発生させていたのです。

 自分の考えを振り返るとき、それが大法の要求に合致しているかどうかを確認しなければなりません。そうしてこそ、自分を修正し、本当の意味での修煉をすることができるのです。

 モーセがイスラエルの民をエジプトから脱出させたとき、神は彼に11日間の神事と使命を与えました。しかし、モーセは40年かかりました。その間、常に彼の正しい信念が試されていました。もしモーセが正しい考えを持ち続けることができれば、神の使命を果たすためにこれほど長い時間をかけることはなかったと思います。

 師父はこう説かれました。

 「皆さんにはっきりと教えますが、師父は当初、今年迫害を終わらせると決めていたのです。(皆が熱烈に拍手する)前期と後期を合わせて20年です。結局、旧勢力が手を出していくつかのことを変えてしまったのですが、熔錬炉の石炭が底をつき、火力も弱まり、このことも間もなく終わろうとしています。ですから、皆さんは今まで以上にしっかり取り組むべきです」[5]

 大法の修煉者は、時間に執着してはいけません。私たちはこれらの教訓から前向きに学ばなければなりません。そうすれば、師父は心配が減り、ホッとすることができるでしょう。また、私たちは熱心に修煉し、日常生活の中で大法の原理を実践し、法を正す時期の進展に追いつくように、より多くの衆生を救うことができるでしょう。

 師父、ありがとうございます。修煉者の皆さん、ありがとうございます。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一五年米国西部法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『米国東部法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での讲法八』「米国首都での説法」
 [4] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [5] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/5/432213.html)
 
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