文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年12月5日】私は教師です。江沢民が1999年、法輪功と法輪功修煉者に対し残忍な迫害を開始しました。私は自分の信仰を放棄しないという理由で、一票の拒否権によって教師の資格をはく奪され、何の説明もなく、学校から追い出されました。仕方なく、私は自分の専門知識を生かして、放課後の宿題の補講クラスを立ち上げ生計を立てることにしました。
ある友人が私に小学2年生になったばかりの9歳の女の子の美美を紹介してくれ、美美が補講クラスに参加することになりました。美美の両親は離婚していました。そのため美美は特に反抗的で、短気で、話を聞かず、特に宿題をやりたがらず、クラス担任が運営する放課後の補講クラスにも受け入れられず、祖父母は美美をコントロールできませんでした。
美美の父親が初日に美美を連れてきた時、私に「美美のクラスには54人の生徒がおり、1年目の期末試験で美美は下から3番目の低い成績で、算数は60数点しか取れませんでした」と言い、毎日あなたは美美の宿題を完成させるように指導してくれればそれでいい、と言いました。
私はもともと「一般の子どもにとって、その日のうちに宿題を終わらせることは難しくない」と思っていましたが、美美にとってはまさかそれが本当に難しいとは思いませんでした。美美の語学の学習は悪くはなく、できないことは多くはなく、問題は美美が書くことが好きでないということで、最初はうまく書くのですが、字を少したくさん書くと、書くことに疲れ、うまく書けなくなり、文字が曲がってしまうのでした。美美に消して書き直すように言うと、美美は涙をぬぐいました。算数の宿題はさらに難しかったのでした。
2年生の算数の問題はほとんどが応用問題で、自分で式を立てて計算する必要がありました。美美は問題の意味を十分理解できず、数字を見たら数字を足すだけという美美に「間違っています、問題で問われていることが何であれ、直接に引き算に変えればいいのです」と伝えました。私は問題を一字一句読んであげるしかなかったのですが、私が答えをすぐに言わないと美美はすぐに怒りました。やっとのことで式が完成し、計算が終わっても、応用問題なので、その答えは長い言葉を書かなければならず、美美は猛烈に腹を立て、まだたくさんの問題が残っているのを見て、宿題をやめ、泣き出し、泣きながら絶えず「この宿題を出さなくたって先生は死なないでしょう!」とまくしたてました。
時々美美は宿題をやりたがらず、私が最後まで宿題はやるように言うと、美美は私に大声で喚き、荷物をまとめて家に帰ってしまい「もうここで勉強したくない」と言いました。ある友人が私の家に来てちょうど美美が怒っているところにぶつかり「子供に、なぜ彼女を殺すかのように宿題をさせているのですか?」と言いました。
私は美美の父親と相談し、私は「この子を急がせて、無理強いしてはならず、少しずつ彼女に道理を説いて、少しずつ立ち戻らせなければなりません」と言いました。子供は間違っていますが、叩いたり叱ったりすれば、美美は何が悪いのか分からず、良くならないということを私は大法の法理から知っており、何が正しくて何が間違っているかを子供に教えれば、子供は心の中で正しいことをしたいと思うようになるはずです。学校の先生が何か美美に質問した時に美美の足が震える、ということを美美はいつも私に話していたので、美美は明らかに自信のない子なのだ、とわかりました。そこで美美を励ます必要がありました。子どもたちは先生に褒められたい、認められたいと思っているので、少しでも上達したことに気づくと美美を褒めて励ましました。美美は少しずつ改善して、頑張ろうという気持ちになりました。
美美の父親は私が大法の法理に基づいて子供を教育することを認めており、私が伝えた法輪大法の真相を聞いて理解した後、加入していた共産党の組織を脱退しました。
美美に対する私の学習法は強制的な方法をとらず、美美が勉強に疲れた時には、美美を休ませ、美美に「法輪大法はすばらしい」こと、また中国の神伝文化の話を伝え「三退すれば平安が保たれる」ことを伝え、美美も赤いスカーフを巻く(訳注:少年先鋒隊に加入する)ことは良くないことだとわかり、少年先鋒隊を脱退しました。私は美美に「真・善・忍」に基づいて必ず良い子になるようにと伝えると、美美は私に、いい子になる、と約束しました。美美の態度が悪い時には、私はいつも美美に「美美、あなたはいい子になると約束したでしょう」と美美に注意しました。
よい子になるように常に自分に問いかける過程で、美美は変わり、宿題をすることへの恐怖心を克服し、学業成績も向上しました。1カ月後の中間試験で、美美はクラスで33位でした。美美は自分に自信が持てるようになり「勉強してもっといい子供になりたい」と言いました。期末テストではクラスで25番目でした!
現在(訳注:2019年5月)、美美はもうすぐ小学校を卒業します。勉強の習慣が身につき、学業成績も安定し、算数では満点を取ることもありました。美美が満点の賞状をもらった時、今まで感じたことのない幸せが美美の幼い顔に広がり、自信に満ちた子供になっていました。美美は私たち2人が何年も前からの友人だと思っている節がありました。美美の父親はいつも私に感謝し、「もう美美の勉強で悩む必要はなくなりました」と言いました。
美美が小学3年生の時、祖母が肺がんを患い、入院中に何度も昏睡状態になり、家族はすでに祖母のための葬式の準備をしていました。美美は祖母に育てられたので、祖母を失うことをとても恐れていました。美美の悲しそうな様子を見て、私は果物を買って病院に行き美美の祖母を見舞い、「法輪大法はすばらしい」というお守りを持って行き、「心から『法輪大法はすばらしい』と念じれば体に奇跡が起きます」と伝えました。
美美の祖父母は2人とも中国共産党(以下、中共)の党員で、私は美美の祖父母に「法輪大法は佛法であり、中共は大法を迫害しており、天は中共を滅ぼし『三退』すれば平安が保たれます」と伝えました。祖父母は、それまで入っていた中共の組織を脱退することに同意しました。数日後、美美の祖母は退院し、その後は美美を学校に迎えに行ったり、家族のために料理をしたりできるようになり、これまで3年が経過しましたが、ずっと健康に過ごしています。
2017年、美美の父親は再婚しました。美美の義母は麗麗といいました。麗麗には毛豆という10歳の男の子がいました。美美の変化を見たので、麗麗も毛豆を私のところに来させ放課後の宿題クラスに参加させました。
毛豆はしっかり学びたいと思っていましたが、言うは易く行うは難しでした。最初のうちはとても真面目にひたむきに書いており、字も比較的きれいで、字の書き方が工夫されているのがわかりましたが、しばらく書いているうちにうまく書けない字があると、思わず大声を出したり、大きな叫び声をあげ、息を切らし、その後せっかく書いた字を破り捨てました。数枚引き裂いても気分は晴れず、さらに本全体を引き裂き、最後には怒りと不満で床に横たわり大声で「もう書かない!」と叫びました。私は「床は汚いから」と言い、毛豆を立ち上がらせると、毛豆はさらに地面をどんどん転がって行き「僕は『床磨き』をしているんだ」と言いました。
このような生徒に会うのは初めてだったので、私は少し圧倒されました。夕方、毛豆の母親が迎えに来た時、私が不安を口にすると、母親は、子供の学習には何の期待もしておらず家では一文字も書かないので子供をコントロールできない、と言いました。子供の父親が不倫し、毛豆の母親は大きなダメージを受け、更に子供が言うことを聞かないことで今全身が病んでいて、自分で子供の面倒を見ていたら体が崩壊してしまう、ということでした。「子供を見てくれる人がいればいいのですが」と麗麗(訳注:毛豆の母親)は涙を流しながら話しました。
私も結婚生活で同じような経験をしたので、私が法輪大法の恩恵を深く受けていることを麗麗に伝えました。麗麗に大法の真相を伝えた後に麗麗は中共の組織から脱退することを選びました。
毎回私はいつも新しい生徒に法輪大法の「真・善・忍」を紹介し、なぜ少年先鋒隊を脱退するのかを話しました。
私は毛豆に対して「ある生徒がもし『真・善・忍』という三文字に基づくことができれば、私が理解する『真』とは真か偽かという真であり、真に学ばなければならず、そして態度がまじめでなければならず、勉強中に心が雑念で妨害されてはならず、みんなここに学びに来ており、心の中で他のことを考えているのなら、それは本当の学習ではないのです。私の『善』に対する理解は人に親切にすることであり、相手を思いやり、母親の努力に応え母親の期待に応えたいと思わなければならず、先生の努力に対して良い学業成績で報いる必要があります。『忍』に対する理解は、勉強は難しくて疲れるものであり、学びたいことだけを学ぶのではなく、簡単に言うと、勉強している時に、遊びたくても我慢しなければならず、疲れても我慢しなければならず、何か食べたくても我慢しなければならず、勉強をするのが面倒くさいと思った時に我慢しなければならいなどです」と言いました。もし生徒がこの三文字を行えば、その生徒は良い生徒であり、ですから「真・善・忍」という言葉はすばらしいのでした。毛豆はその時少年先鋒隊を脱退し、本を手にして猛勉強しました。
毛豆は大法にとても興味を持ち、もっと話してほしいと何度も私に頼み、私は師父の広州での説法を毛豆に聞かせました。それ以来、毎週土曜日と日曜日に勉強に来ると、毛豆は師父の説法の録音を10分間聞き続けました。
しばらくすると、毛豆は大きく変わり、毎週末に勉強に来た時はいつも、1週間の間に学校や家で起こったことを私と共有し、私に話してくれました。ある時、毛豆は「僕は今週悪いことをした」と言いました。私はその言葉を聞いてショックを受け、急いで「どうしたの?」と質問すると、毛豆は「僕のクラスの生徒がペンをなくしてしまい、僕は笑っちゃった」と言いました。それを聞いて、私は安心し、毎週毛豆は新しい話をし、来るたびに話し終えないほどの話がありました。
ある日突然、毛豆はとても悲しそうに、私に「どうしてあなたの街は良くて、私の街は悪いのですか?」と言いました。毛豆の天目が開き、毛豆は他の空間も私の空間も見えるようになったと私はわかりましたが、毛豆は空間の概念を理解しておらず「空間」を「街」と呼んでいました。毛豆は「先生の街には何千人もの人がいて、三つのテレビ局があり、人々はテレビで大法を学んでいますが、僕の街には人が少なく、みんな悪いものを見ています」と言いました。私は毛豆に、それは毛豆が普段見たり遊んだりしているものが良くないからだ、ということを伝えました。毛豆は怖い音楽を奏でる骸骨の付いた新しいおもちゃを壊しました。その後、銃で殺される人たちの写真がたくさん載ったルーズリーフを捨てました。
毛豆の家はとても裕福な家庭でしたが、毛豆の父親には愛人がいました。毛豆は自分と母親を捨てた父親を憎んでいました。毛豆には父と愛人を殺したいという心がありました。ある日、毛豆は、毛豆の天目には毛豆の街で戦争が起こり多くの人が死に、多くの人が命からがら逃げ出しているのが見えた、と私に伝えました。毛豆は、ある人が毛豆に「あなたはなぜ戦争を始めたのか?」と質問した、と言いました。私は毛豆に「どのように答えたの?」と尋ねると、毛豆は「僕は何も言わなかった」と言いました。その後、毛豆の街でまた地震があり、私は毛豆に「何が起こっているの?」と尋ねると、毛豆は、祖母に2元欲しいと頼んだが祖母は1元しかくれず毛豆はキレてしまい祖母と喧嘩をしてしまった、ということを言いました。
私たち2人は内に向けて探し、毛豆は、闘争心による癇癪が毛豆の街で戦争と地震を引き起こした、と言いました。その後、毛豆の街は再び地震で揺り動かされようとしていましたが揺り動かされることはなく、ただ揺れているだけで、今回毛豆はそれが自分の不安定な心態によるものだとわかりました。
その次の週末、毛豆は、叔父の家の兄と対立してる、と言いました。以前、毛豆は兄を憎んでおり、なぜなら叔父は自分よりも兄が好きだったからでした。今度は兄が毛豆の物を奪っても、毛豆は以前のように兄と喧嘩をせず、我慢し、さらに自分の物を兄と共有しました。毛豆は私に、現在毛豆の街の戦争が終わり人々は命からがら逃げなくなり80人が定住した、と言いました。毛豆の街はどんどん繁栄していきました。
毛豆の母親は毛豆の大きな変化に気づきました。毛豆は母親がどれだけ一生懸命働いているかを知り、母親を大切にすることを知りました。家ではごみをポイ捨てせず、義父(訳注:美美の父親)を下の名前で呼ぶのではなく「おじさん」と呼ぶようになり、毛豆の母親はそれ以来笑顔が戻りました。毛豆の母親はわざわざ電話をかけて子供の変化を私に伝え「担任の先生も子どもをよく褒めてくれます」と言い「子どもの学習は進み、生き生きしています」と言い、何度も私にお礼を言いました。私は子供の母親に「私に能力があるのではなく『法輪大法』が彼を道徳心の高い子供にし、彼の心にあった父への深い憎しみを解消したからだと言いました。「自分が美味しい料理を食べることができる時『私の父親は食べることができない』と考えられるようになったのです」と言いました。以前、毛豆は密かに大法を学んでいましたが、現在(訳注:2019年5月)は、母親が毛豆を支持しているので、家で堂々と大法を学んでいます。
美美と毛豆の2人の生き生きとした愛らしい子供たちが混沌とした世界に生まれ、伝統文化の教育を受けられず、加えて家庭の変化が、美美と毛豆の心と魂に大きなダメージを与え、イライラしてしまい、良い子供になれないでいたのでした。法輪大法を学ぶことを通じて、悪い習慣はすべて取り除かれ、大法の中で健全に成長し、善良で道徳的に優れたとびきりよい子になり、両親も心配しなくなり、美美と毛豆は先生を尊敬し、学習意欲が湧き、先生に褒められました。美美と毛豆の家族全員は広大な佛恩の中で心身ともに恩恵を受けたのでした!