師父の新経文を拝読した感想
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年12月6日】師父の新経文「目覚めよ」を拝読したあと、複雑で重い気持ちになりました。私のわずかな認識を、同修の皆さんと交流したいと思います。私の次元は限られており、間違って悟ったところがあれば、ご指摘下さい。

 師父は新経文の中で、「大部分の大法弟子は師父とともに法がこの世を正すことを行います」[1]とおっしゃいました。短い言葉ではありますが、大きな衝撃を受けました。私たちは皆、師父の各地での説法の中で知ったのですが、法を正すことを二段階に分けて行われ、第一段階が法を正す時期で、第二段階は法がこの世を正す時期になっています。法を正す時期の大法弟子は、法を正すことが終了すれば、修煉がどうであれ、修煉を打ち切られるのです。

 私の悟りでは、一方では、私たちが救うべき数の衆生が足りず、私たちの修煉は円満成就に達しておらず、さらには当初、自分が立てた誓約を果たしていません。そのために、師父は終了時期を再三にわたって引き伸ばされ、第一段階の修煉で終わるべき大法弟子を残し、法がこの世を正す事を行うようにされたのです。もう一方では、師父の新経文からは、一部の同修はただ単に自分がすべき事をしていないだけでなく、多くの執着心があり、もし今の時点で終わらせると、救われるべき衆生を多く失うだけでなく、本来なら円満成就すべき大法弟子が、円満成就できなくなり、先史の誓約を果たすことができなくなります。

 もちろん、これは私の個人的な理解に過ぎず、師父には私たちに理解できない、多くの取り決めがあるはずです。しかし、一つだけ確かなことは、一部の同修は大法を大切にせず、自分の使命を果たさず、自分が精進していないがために、救うべき衆生を救えなかったということです。

 師父が1992年に法を伝え出されてから30年近くになりますが、一人の人間に30年は何回あるでしょうか? 世界には70億人の人がいますが、この万古の機縁でこの偉大な大法を得た人は、果たして何人いるでしょうか? または何人の人が大法と擦れ違ったのでしょうか? 大法に出会えたのに、様々な理由でそれを大切にしていなかった人がどれだけいるでしょうか?

 私たちは本当に大法を「大法は天地を開闢し、宇宙を造化する根本であり」[2]とみなしているのでしょうか?  大法を本来の位置に置いたのだでしょうか?  私たちは皆、大法から多く恩恵を受けており、数え切れないほどの奇跡が大法の不思議な力を証明しています!  修煉が深まるにつれ、私たちは皆、大法が真実であり絶対に虚妄でないこと、実在していて、さらには本当の真理だと分かりました。しかし、私たちは本当に真理を守っていただでしょうか? 名・利・情が衝撃を受けたとき、私たちの最初の一念は自分を修煉者として問題を見ていたでしょうか? それとも事後に悟り、または事後にも自分がすでに常人に陥ったことを気づかないのです。ある人は、この乱れた世で楽しい生活を送っていて、修煉者としての使命を忘れています。

 人を救うことは難しいと考えますが、実はそれほど難しいことでもありません。師父はこのようにおっしゃいました。「真相を伝え、衆生を救い、これはすなわちあなたが行うべきことです。これ以外に、あなたが行うべきことはなく、この世界であなたが行うべきことはありません」[3]人を救うことは、師父が私たちに命じておられることですので、当然、師父のご加護や正の神々の加持があります。 私には身をもって多くの感受があり、自分に本当にその願望があれば、師父が私たちを手助けてして下さいます。 実際には、多くのことは師父によって按排されており、私たちがそれを行うのを待っているのですが、しかし、私たちは様々な執着で、すべきことを行なっていないのです。

 多くの同修は様々な理由で、人を救うことをよく行なっていません。実は、人を救う形式がたくさんあり、毎日出かけて真相を伝えることができれば、それに越したことはないのですが、もしこのような機会がなく、あるいは条件のない同修でも、できることが多くあります。例えば、仕事をしている人は、それほど自由な時間がないので、公共交通機関を利用する際、乗車や下車を利用して真相資料を配ることができ、多くなくてもよく、毎回1、2部を配るだけでも良いのです。若い同修は年配同修のように外に出て真相を伝える時間が取れませんが、インターネットを使ってメッセージを送るなど、多くの真相のプロジェクトに参加することができます。技術担当の同修は、私たちのために技術的なサポートをしてくれており、私たちはそれに従って行い、安全性の問題がありません。

 さらに、文章を書ける同修は、現地の迫害を暴く記事を書いたり、自分の修煉に対する理解や認識を書いたりすることで、迷いの中にいる同修を手助けして、迷いから抜け出させることができます。これらのことができないとしたら、発正念の時間を長めにして、人を救って同修を加持して、これも全体に円融したことになります。更にこれらの事もできない人は、もっとたくさんの電話番号を集めて「明慧ネット」に送ることができます。もしかすると、海外の同修からの電話で一人の衆生が救われるかもしれず、その一人の衆生は背後にある無数の世界を代表しているのです。

 たとえこれらができないとしても、師父は私たちに、「この世ですれ違って、話ができなかった人にも慈悲を与えなければなりません。済度されるべき人、更に縁のある人を失わないでください」[4]と教えて下さいました。私たちは大法弟子の風貌を現し、おそらく多くの世人の心に大法の善縁の種を植え付けることになるでしょう!

 私は2012年に正式に大法の修煉を始めた弟子ですが、修煉の中で大法は多くのことを現して下さいました。 私は見たのですが、多くの同修や多くの世人が幾世も、この最後の一世のために、ある同修は幾世も修煉してきて、多くの苦を嘗めましたが、すべて最後の一世に大法を得るためです。ある世人は前世に多くの苦を嘗めて、今生に大法弟子と一度会える縁にしか換えられません。これは私たちがこの世に下るとき、神の位を放棄したことは含まれず、誓約を立てたことで今生の聖なる縁に換えられたのです。1999年以降、嵐を乗り越えてきた古い同修を羨ましく思うと同時に、尊敬しています。私から見れば一般の人が乗り越えられるものではなく、彼らが乗り越えたすべてがすでに常人を超えており、もし最後に自分自身の緩みや、長期にわたる執着を放下しないことによって、これまでの修煉が台無しになってしまえば、それこそ得るものよりも失うものが多いのです。

 最後に、師父が残して下さった最後の時間を利用して、自分をより良く修め、より多くの人を救いましょう。 一つの執着から放下することから始め、プロジェクトの同修に少しでも理解と寛容を与えることから始め、世人に一つの善意と笑顔を贈ることから始め、修煉や人を救う面において小さな一歩を踏み出し、すべてがこの最後の悪がはびこる乱れた世での大法の証であり、現れなのです!

 次元が限られており、不適切なところがあれば、慈悲をもってご指摘して下さい。

 注:
 [1]李洪志師父の経文:『目覚めよ』 
 [2]李洪志師父の著作:『精進要旨』「論語」
 [3]李洪志師父の経文:『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』

 [4]李洪志師父の著作:『各地での講法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/12/1/434240.html)
 
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