文/清源
【明慧日本2021年12月21日】明慧ネットに師父の新しい経文『目覚めよ』が2021年11月19日に掲載されました。私は何度も読み返し、心が重くなりました。
今回の最新の経文は、非常に深刻な問題に触れていると感じています。大法弟子の修煉が不十分で、救われた衆生の数が足りず、時間が足りないのです。
師父は予防接種の問題についても説かれました。中国では、大法修煉者の大半が予防接種を受けていないのではないでしょうか。師父の新しい経文を読んで、私はこの問題を見直す必要があると思いました。
師父の新しい記事を何度も読んで理解したのは、重要な問題は、予防接種を受けるかどうかではなく、人々を救うという観点から予防接種の問題を見ることができるかどうかだということです。私たちの行動が非修煉者の誤解を招いたり、大法を知る機会を奪ったりすることがあってはなりません。また、私たちは修煉者の視点で物事を見るべきです、後天的な概念に影響されてはなりません。
師父はこう説かれました。
「感染を恐れている人もいれば、ワクチン接種を頑なに拒む人もいます。この時、あなたはまだ大法弟子の称号に相応しいのですか?」[1]
師父のこの言葉を読んだとき、なぜこんなにも重い気持ちになったのでしょうか? 自分を振り返ってみると、私は師父の説かれた「大法弟子」の称号に値しない者の一人だと感じました。私も自分に問いかけました。「神の目から見て、私は常に大法弟子の称号に値するのだろうか?」と、自分はそう思いません。
私の人心が刺激された時、感情に流された時、自分の執着を手放せない時、修煉者の視点で物事を評価しない時、怠惰のために修煉をサボった時、私はそのような時に大法弟子の称号を得るに値するでしょうか? いいえ、自分はそうは思いません。
大法弟子に相応しくないという不安が私の心を重くしているので、法に基づいて自分を修正し、大法弟子がすべきことをし、自分に厳しく、常に大法弟子の基準を満たすようにしなければなりません。
師父は私たちにこう説かれました。
「長い間、法会を開いていませんが、皆さんが修煉の道を正しく歩み、最終的に先史の誓約を果たすことができるよう、指摘したのです。困難に満ちた道を歩んで来ることができたのですが、最後の道のりで足をすくわれないようにしてください。一部の人が時々、愚かなことをやっていますが、大法弟子という称号は神も羨ましく思っています」[1]
師父は私たちに法を正す時期の大法弟子の栄光を与えてくださいました。私たちは歴史的な誓いを果たし、常に法を正し、心を修め、修煉者の視点で物事を見るし、より多くの人々を救うために時を捉えなければなりません。それが私たちのすべきことです。それができていれば、私たちは本当に大法弟子の称号にふさわしく、師父の慈悲深い救済にふさわしいのです。
以上が私のレベルでの理解ですが、適当でない所があれば、同修のご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『目覚めよ』