最初から最後まで熱心に一貫して修煉する
【明慧日本2021年12月13日】師父の新しい経文『目覚めよ』を読んだとき、「大部分の大法弟子は師父とともに法がこの世を正すことを行います」[1]という一文に衝撃を受けました。
私はこう考えました。「未来がどうなるかはわからないが、しっかりと修煉しておけば間違いはない。困難なことに直面したときは今まで通り、自分の内に向かって探し執着心をみつけていこう」
ここまで考えた瞬間、経文の中の一行に金色の短いトンネルが現れました。この黄金の道を、大法の弟子たちが自らの執着を乗り越えていく姿が目に浮かびました。最初から最後まで、障害や困難があっても、弟子たちは一生懸命内に向けて探し、修煉の向上に努めていたのです。トンネルの幅はそれほど広くないように見えましたが、勤勉な弟子たちにとっては、十分な広さでした。
師父が私たちに求めておられることは、常に真面目に修煉することなのだと思いました。外の環境がどう変わっても、私たちの修煉の原則は変わりません。私たちは常に自分の中にある執着を探し出し、それを排除しなければなりません。私たちは、より多くの衆生を救うために、師父を助けるべきです。これが私たちの道であり、常にそうでした。
師父はこう説かれました。「修煉は初志貫徹すれば、必ず成就する」[2]
最初から最後まで、一貫して真面目に修煉することが私達の道です。自分の理解を確認した後、私の心は穏やかになり、心も落ち着いてきました。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『目覚めよ』
[2] 李洪志師父の経文:『世界法輪大法デーの説法』
【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】