師と法を信じて初めて試練に合格できる
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2024年7月18日】最近、私はネット上で同修のチャットグループへの招待を受けました。 そのグループには60人がいて、全員がアメリカ在住の人たちでした。 チャットの内容は、少し前に起きた英語版大紀元時報の経営問題に関するものと、この出来事が主流社会に与えた影響について、そして現在および将来の米国の政治環境が大紀元の法的手続きに与える影響について議論するというものです。 一方では、同修の懸念は理解できますが、他方では、この時期に常人の考え方でこの問題を議論し、常人社会で得た経験で判断することは、同修の仕事がうまくいっていないことを非難し、プロジェクト自体を非難することで、他の同修は道連れにされ、さらには一部の同修が明慧ネットに関する噂を広めるまで、緊迫感に拍車をかけています。 このような交流は、人々を救うために使われるべきエネルギーを、特定の事件の是非に費やしています。

 大法弟子である私たちは一体であり、何か問題が起これば、力を合わせて問題を解決し、師父と法を信じ、損失を挽回するのです。これが、真の修煉者が衆生に対して責任を示す方法です。 愚痴を溢し、人を集めグループを作り、プロジェクトや同修への不満をぶちまけ、常人社会の経験や認識でこの出来事の是非と社会に与えた影響を議論し、このような否定的な理解や感情を増幅させることは、この時期の大法弟子の円滑に世人を救い済度することを妨害しているのではないでしょうか。

 このようなチャットグループは複数あるかもしれません。 神韻でさえ邪悪な勢力に迫害されている今、いつか本当に磨難が起きた時、私たち一人一人はどのように自分の立場を決めるのでしょうか? 私たちは、師父と法を信じているのでしょうか?

 師父が2つの経文(『法難』と『目覚めなさい』)を続けて発表されたことは、私たちへの最も厳しく、最も慈悲深い戒めです。 修煉者である私たちは、人々を救うという使命を担うにあたり、旧勢力による広範な破壊と妨害に直面しているという事実に目覚めなければなりません。 もし私たちがトラブルの兆候を感じた瞬間にプロジェクトを断念すれば、旧勢力は私たちの恐怖心に付け入って、何度も同じ手口を使って屈服させようとするでしょう。その結果、私たちは至る所で困難に遭遇して、そして前へ進めなくなるのです。これこそが、旧勢力が成し遂げようとしていることなのです。私たちがあらゆる場面で障碍に直面し、最終的には仕事を始めることができずに諦めざるを得なくなるように仕向けているのです。

 師父が私たちに求めているのは、共に障害に立ち向かい、それに耐え、絶えず欠陥を修正し、大法弟子一人一人が率先して法を用いて、私たちの成していることを完璧にさせることなのです。 トラブルの兆しが見えた途端、人心が揺れ動き、自分のやっていることに注意を怠り、あるいは逆の方向に行ってしまうようでは、まともな常人にも及びません、正々堂々、正念に満ちている大法弟子にはなお、足元にも及びません。

 修煉の最終段階になっても、試練は減っているわけではありません、修煉者への試練はそれぞれ一部の人々を脱落させるのです。まるで篩にかけられた鉱石のように、最後に残るのは本物の金なのです。私たちは皆、自分が最後の一塊の本物の金になることを望んでいます。だから、法の基準に照らし合わせ、修煉者の正念を常に保ち、師父と法を信じて、初めてすべての試練に合格し、最後の圓満を迎えるのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/6/26/479075.html)
 
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