師父の経文『目覚めよ』を読んで
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文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2023年2月20日】師父の経文『目覚めよ』を読んで、残された時間が本当にわずかしかないことに気づきました。師父は法から外れている幾つかのことを述べられましたが、これは実際に私たち大法弟子一人一人に対してのお言葉でもあります。

 一、情を重んじる問題

 情は人間社会の至る所にしみ込んでいます。常に自分自身を見直し、内に向けて自分を探して取り除かなければなりません。

 師父は「すべてのことには因縁関係があります。人間はどうして人間でありうるのでしょうか? それは人間には情があり、人間は情のために生きているからです。肉親同士の情、男女の情、親の情、感情、友情など、何をするにしても情が重んじられ、情を切り離しては何ごともできません。やる気があるかどうか、気分が良いかどうか、愛しているのかそれとも憎んでいるのか、とにかく人類社会のすべてのことが情から出ています。この情を断ち切らなければ、修煉することはできません」[1]と説かれました。

 何かをしたいと思うことも情なのです! この問題についてこれまで深く考えませんでした。時間があるときに学法しようとしたものの、結局はスマートフォンを手にしていじり始めるのです。これは本当の私ではなく、情につられての行動であり、理性的ではないのです。

 最近の出来事ですが、妻(同修)が同僚からプレゼントをもらい、そのお返しとしてネット上で商品を注文しました。私も特に間違ってはいないと思いました。しかし、何日経っても商品が発送されず、問い合わせたところ、私たちの地区へは発送できないとのことでした。仕方がないので注文をキャンセルしました。しかし、これまでこのようなことは一度もありませんでした。どこがいけなかったのでしょう? ちょうどその時、師父の説法で「何をするにしても情が重んじられ」の一節を思い出したのです。

 「男女の情」において、最も目立った表れが「色」です。「色」も情であり、変異した「情」であると悟りました。

 「色」が及ぼす危害は非常に甚大なものです。時には修煉にも支障が出ます。なぜこれほどの支障が出るのかというと、「色」は人間の「精血の気」であり、「精華」です。どんどんなくなるにつれてその人も次第に元気がなくなるです。

 「色」を取り除くためには正念を強めなければなりません。正しい道を歩み、正しいことをするという決心を堅持するのです。「色」は本当の自分ではありません。

 師父は「情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」[1]と説かれました。情から抜け出せば、何を見ても、何に遭っても動揺しなくなるのです。多く学法し、勇猛邁進することです。それは法が私たちに要求しているのです。

 二、極端に走る問題

 なぜ極端に走るのでしょうか? 私が思うに、自分の立場から他人や物事を見たり考えたりしているからです。

 ある出来事に遭遇した時、人心を持てば、その本質に気づかなくなります。人は業力と観念を持っています。例えば、ある人が誰かに何かを話しているとき、その人の口から出た言葉は多くの個人的要素や観念を伴います。聞く側も業力と観念を持っているので、自分なりにその話を処理するでしょう。ほとんどの場合、その人の理解と本当の情況に大きな差が生じます。私たち修煉者は執着せず、相手を指摘せずにできる限り迅速に内に向けて探すことが重要なのです。

 何かを聞いたとき、そのことを鏡として自分と照らし合わせてみましょう。すぐにできないときや、忘れてしまうときもありますが、できる限り努力しましょう。私たちは大法弟子なのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/2/9/438696.html)
 
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