障害を持つ新米学習者の体験談
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文/中国の大法弟子が口述 同修が整理

 【明慧日本2022年2月8日】私は障害者ですが、子どもの頃、家庭が貧しくて病気になっても満足に治療が出来なかったため、左足が不自由になりました。しかし、私は気が強くて、身体に障害があっても、苦労に耐えることができます。家の内外のすべてが整然と整理されています。

 20年ほど前、私はとてもはっきりとした夢を見ました。夢の中で、大仏が天空に現れ、その体は千の金色の光線を放ち、この上なく荘厳で神聖でした。それ以来、私は仏教を信じ始め、観音菩薩などの仏像を家に祀るために寺院から招きました。旅先でお寺を見かけると、必ず入ってお香を焚いて仏様を拝むようになりました。不思議なことに、私が仏教を信仰するようになってから、家族経営の軽食店が非常に繁栄し、すごく儲かっています。

 しかし、5年ほど前に店で忙しくしているとき、突然頭が棒に叩かれたような感じがしました。お寺の梵鐘(ぼんしょう)が鳴る音が聞こえ、金の星が目に浮かび、そして、ぼんやりと数え切れないほどの巨大な金元宝(馬蹄銀-過去に通貨として用いられる)が頭から出てきたのが見えました。あまり時間が経たないうちに、また頭を叩かれ、西遊記で三蔵がかぶっていた高い僧帽が目に浮かびました。その後、吐き気と嘔吐が始まり、気を失ってしまいました。家族は急いで病院に運び、頭の血管に問題があることに気づき、その後、大手術を行いました。それ以来、私は店内のすべての事を息子夫婦に任せ、自宅で一人で休養しました。

 2年前のある日、隣家に遊びに行き、別の近所の女性も隣人の家に居ました。彼女の足は私と同じようにすこし不自由なのです。私は一緒にお寺に行って参拝するように提案しました。しかし、この近所の女性は微笑んで首を横に振り「30歳になる前に仏教を信じ始め、何十年信仰しても、まったく役に立たない」と言っていました。今、彼女は別の信仰に改宗し、世界中のどんな信仰よりも優れていると言います。私は気になって、彼女に「何を信じているのか?」と尋ねました。すると彼女は「法輪功を信じている」と言いました。これを聞いたとき、私はショックを受けました。この功法をする人は逮捕されると聞いたからです。そして、彼女はこの功法の良さを延々と語ってくれました。私は話に惹きつけられ、そのとき、やりたいという強い思いが湧いてきました。

 私は自分の考えを彼女に話した後、師父の説法の録音を持ってきてくれました。それ以来、毎日ラジオのそばで謹んで師父の説法を聞いていました。ラジオの電源が切れるまで聴き続け、その後急いで充電し、聴き続けることにしていました。私は読み書きができず、大法に触れるのも初めてですが、師父の説法はすべて理解しています。聞けば聞くほど好きになり、師父が説かれた法理は全部心の中に刻んでいるように、以前仏教の信者だったころの疑問がここですべて解けました。その後、近隣のあの女性同修と交流するとき、私が師父の説法を聞いて、悟った法理を話したら、同修は唖然としました。大法を得たばかりの私がこんなに悟っているとは思わなかったと、私の根基がとても良いと褒めてくれました。

 師父は、法輪大法は生命双修の功法であり、心性も修め、同時に煉功もしなければならないとおっしゃったので、私は近隣同修に、自分も煉功したいと言いました。しかし、それを聞いた同修は、私が身体障害者で普段の歩行でも困難であることを知り、煉功することは不可能と思い、困惑の表情を浮かべたのです。しかし、私はどんな困難も乗り越えようと決意しました。同修は私が強く決意したのをみて、煉功の補導を若い同修にお願いしました。嬉しさと興奮で、しっかり勉強してやらなければと思いました。しかし、身体はついていかず、同修に教えてもらった第一式の最初の動作をするだけで足が震えてきました。渾身の力を振り絞ってバランスを取り、顔は真っ赤になり、汗がしたたり落ちてきます。第二式の動作を教えてもらったあと、私はもう耐えられず、椅子の上に崩れ落ちました。幸い、若い同修は優しく忍耐強く、そんな私を見て、練習前に一息つかせてくれたのです。

 このように、2つの動作を教えて休憩を取り、また2つの動作を教えて休憩を取るようにしています。同修の時間を半日も使い、やっと覚えました。それを学んだ後、私は法を得るのは簡単ではないことを深く自覚し、少しも怠ることなく、毎日煉功を続けました。

 最初のうちは、数分間の煉功でも座って休まなければならず、特に第二式の站椿では、足が立たず、手も上がらないので、全ての功法が終わるまで、何度座って休んだかわかりません。でもくじけず、煉功するたびに、1分や数十秒でも前回よりも長く持ちこたえようと頑張りました。今は、五式の功法を一通り、一度で出来るようになりました。世界中の大法弟子が参加する午前3時50分の煉功に参加するだけでなく、時間を見つけては自主的に煉功を重ねるのです。何か用事で出来なかった場合、翌日に必ず補って煉功することにしました。煉功が終わるたびに汗で服がビショビショになっていました。特に夏の暑い時期には、クーラーや扇風機をつけないことにこだわり、煉功が終わると自分の立っているところに小さな水たまりができるほどでした。

 相当な苦労をしましたが、師父はそれ以上のものを与えてくださいました。煉功して間もなくすると、身体を浄化してくださったのです。寝ていると耳から黄色い膿が出て、異臭がしました。数日間で膿の流れが止まり、元々はっきりせず、混沌とした脳が徐々にクリアになり、明晰になっていくのを感じました。師父が私の脳を整えてくださり、すべての悪いものを取り除いてくださったのだと分かります。さらに驚いたことは、手にとても大きな腫瘍があったのですが、煉功を始めると、指からも水が出るようになったのです。しばらくして、突然、腫瘍が消えていることに驚き、嬉しかったです。元々くすんでいた肌が徐々に滑らかに、柔らかくなり、顔のシワもなくなり、白い肌に赤みが差し、元気いっぱいの顔に変わりました。主人は冗談で、私がどんどん若返っていくと言っています。

 私は煉功に励む一方で、他の同修と同じように大法の本を読むことに憧れを抱いていました。私にとって、読法は煉功よりも難しいのです。家が貧しく、学校に行く余裕がないので、読み書きが全く出来ませんでした。私が初めて法を得た時「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という心からの九文字を覚えるために、何回隣人同修の家に行ったか分かりません。何度も聞き、なんとか覚えました。そのため、この分厚い『轉法輪』を全部読むと言うとき、同修らは首を横に振って、まったく信じられないような顔をしていました。

 とにかく、決めたことは全力でやろうと思い、さっそく『轉法輪』を一冊お願いし、家に持ち帰りました。「論語」から学び始め、知らない言葉があれば人に聞き、最初は主人に聞きました。知らない字が多く、聞いた時点では覚えていても、しばらくすると忘れてしまい、また聞く羽目になるため、主人はすぐに我慢できなくなり、私を叱りました。そこで、同修に聞いたところ、根気よく教えてくれました。このような一節を覚えるには、何十回と繰り返す必要があります。一度覚えると、朝、昼、晩、時間があるたびに読み、本のページは擦り切れ、破れました。努力すれば鉄の棒を針に挽くことができると信じています。

 努力は本当に報われ、数カ月後には『論語』の全文を暗記することができました。 自信がついたので、第一講を読み続け、現在30ページほどまで読んでいます。 本の全体のごく一部ですが、当初希望していたことが実現できそうだと確信しました。なぜなら「修は己にありて、功は師にあり」 [1]そのためです。私が修煉の真心を持っていれば、師父は私を助けてくださいます。師父は創世主であり、全能であり、私が師と法を信じる限り、私もまた全能であります。

 2022年元宵節は、疫病が深刻にもかかわらず、幸運にも神韻の新年晩会を見ることができました。特に最後のプログラムは、人類に大きな災難が降り注いだとき、師父がすべての衆生を救うというものがたりです。師父は金色の大仏に姿を変え、背後には虹のような壮大な光を映し出していました。私は思わず大声で叫びそうになり、それは夢の中で見た大仏ではありませんか? まさに師父でした。あまりの感激で涙を流しました。この二十数年、名声を求め、利益を求め、愛の絆の中で、迷い、沈み、懸命に探した結果、今ようやく、私を導いてくださる真の仏様に出会えたのです。こんなに遅く法を得るのは悔しいのですが、もう何も考えずに残り少ない時間で必死に追い上げて、師父と一緒に帰れるようにと願うばかりです。

 注:
 [1] 李洪志师父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/1/12/434555.html)
 
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