大法は超常的 修煉中に体験した不思議な事例
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年3月27日】私は1997年の冬、病気治療と健康保持を得るために大法の修煉を始めました。 大法が超常的で素晴らしいことを実証するために、私自身の修煉の中でのいくつかの出来事を皆さんと交流したいと思います。

 2011年の年末から翌12年の年始にかけてのある日、同修の家に行ったとき、突然両方の鼻の穴から同時に鼻血が流れ出ました。 翌日の朝食後、立ち上がったところ、突然また鼻血が出て、あわてて洗面所に行き、血を流しました。 今回は、1回目よりもさらに激しく、夫はその様子を見て怯え、大きな湯飲みを渡してくれ、病院に行くよう促しました。「 鼻血はすぐに止まるよ」と言ったのですが、鼻血は止まらず、流れ続け、あっという間に湯飲みの半分以上になりました。

「私は李洪志師父の弟子であり、旧勢力の按排を全て拒否し、師父が按排してくださった道を歩むだけで、誰も私を左右することはできません!」。「私の体の中の純粋な血液は流れ出ることはできません。それは私が命を修めるためのもので、流れ出るのは汚い血、汚い血、無駄な血……」と、心の中で師父のご加持を願いながら、そのままずっと正念を発し続けました。しかし、5、6回湯飲みがいっぱいになっても、血は止まることはありませんでした。

 その時、私は自分が生死の関に遭遇していることに気付きました。そして「私の命は大法のためにあり、大法のために存在しているのです。そして生死は師父にお任せし、師父が把握されており、師父が最高の按排をしてくださいます」と再び正念を発しました。

 最後の湯飲み1杯の血を捨てた時、体の力が抜け、目の前が真っ暗になり、転倒するのが怖くて立てなくなり、慌てて壁の隅に寄りかかり、そして滑り落ち、気を失いました。その後すぐに気がつき、鼻血が出なくなったのを確認、そこにはもう夫の姿はありませんでした。夫は私を病院に連れて行ってくれる人を探しに行ったのだとわかりました。そこで私は急いで立ち上がり、北側の部屋に行ってドアを閉め、ソファーに横になりました。

 やがて、十数人がやって来て、「120」号車も到着したとき、次に何が起きるか私にはよくわかっていました。彼らは窓やドアをノックしてドアを開けるように言いましたが、開けませんでした。誰かが椅子を踏み台にして天窓を開け、中に入ってドアの掛け金を外しました。十数人が殺到し、すぐに私を「120」号車で病院に運ぼうとしたのです。私は「運ばないで、病院には行かない。大丈夫、休めば治るから」と言いました。私が動かないのを見ると「連れて行け!」と夫が呼ばれました。夫が私を引きずり出そうとしたのですが、そのとき私は「こんなにたくさんの人が来ているのに、同修は一人もいない!」と私は怒りがこみ上げ、夫を押しのけ「私に触らないで!」と言いました。

 この様子を見ていた人たちは一人の青年を除いて、皆諦めました。その青年だけが私を説得するために残っていました。青年も以前、『轉法輪』を読んだことがありましたが、とっくに修煉をやめていたのです。この青年に病院に行くよう勧められ、あれこれ言われましたが、彼の言うことを私は聞き入れなかったので、彼も去って行きました。

 2日後、私はその青年の職場に行き、真相を伝え、中国共産党から脱退するように勧めましたが、彼は同意しませんでした。私は「『共産党宣言』の冒頭の内容を見てください。共産主義は亡霊と書かれているのではありませんか?」と彼に教えました。彼はとても驚き、ついに理解し、その場で三退に同意しました。彼の背後にいた邪霊も崩壊し、彼は目覚め、救われたのです。そして、私が体験した鼻血の出たことを例として、大法の不思議さを伝え、大法を実証しました。

 夫はその一部始終を見て、私の体が無事であるのを確認し、それ以上何も言いませんでした。私は「私は大丈夫。この先どんな困難や難関があっても、同修のところへいくか、師父のご加護を求めるのが一番正しくて良いことだ」と夫に伝えました。彼はよく理解できたようです。それ以来、鼻血は出なくなりました。

 これが、まず同修と交流したい最初のことです。

 二つ目の出来事は、1999年の7.20以前に起きた事です。ある日、県内の協調人の会議に参加した帰り、自転車で国道101号線の交差点に差しかかったとき、一台の白い車に自転車ごと突き倒され、どういうわけか私は地面で坐禅をしていました。すぐ後ろから赤い車が走ってき来ているのが見え、誰かがやって来て、車の下から圧し潰された自転車を引っ張り出しました。私の体が押しつぶされていないかと尋ね、病院に急げと言っている人がいました。私は運転手に、自分は法輪功の修煉者だから大丈夫だと言い、お金を要求せず、法輪大法は非常に高徳な功法であり、私を守ってくれていると話しました。私はそう言い残して、自転車の修理へと急ぎました。

 座ろうとすると、座骨が突っ張って座れませんでした。「大丈夫、放っておけばいい」と考えました。3日後、その骨は元の位置に戻り、正常な状態になりました。

 三つ目の出来事は、修煉を始めてから1年が経った頃に起こりました。 修煉前、背中の両方の肩甲骨の縁に、ナツメほどの大きな筋肉のしこりがありました。夫は(※)カッサ(刮痧)用のスプーンを買ってきて、毎日こすってくれましたが、腱や皮膚が痛くなっただけで、何の効果もありませんでした。修煉後、薬と病業の関係を理解した私は、病気への恐怖心を放下して、師父にすべてを委ねました。私は自分の健康状態も気にせず、法を学び、法を広め、煉功に没頭しました。1年ほど経って、元気になり、ずいぶん若返った私を見た夫が、「背中の大きなしこりはもう治ったのか? 見せて」と私の背中に触れて見ると「なくなっている!」と言い、私が「本当に?」と聞くと、夫は「本当だ、すごい! どんな先進的な医療技術がしこりを取り除くことができるのか?」と驚いていました。

 もう一つの出来事は、4回目に不当に監禁され、帰ってきたある日の午前9時頃のことです。突然下腹部と尿道に針で刺されたような痛みを感じ、尿意を我慢できなくなり、あわててトイレに駆け込みました。排尿時に熱い痛みを感じ、とても時間がかかりました。排泄した尿は血液が混じった黒い色をしていました。私は今回取り除かれる病業は尿毒症だろうと心の中でわかっていました。

 その日、私は5分おきにトイレに行き、尿は必ず出ましたが、毎回ごく少量で、全部が真っ黒ではないのですが1日中続き、午後4時にようやく落ち着きました。大きな業が取り除かれ、すべてが元通りになりました。

 このような例は他にも挙げればきりがないほどあります。私はただ自分の身に起きたこれらの事実から、師父は偉大であり、大法は偉大であり、師父と法を本当に信じている限り、乗り越えられない関はないことを証明したいのです。修煉の過程で病業や磨難に何度あったかは覚えていませんが、師父の慈悲なるご加護の下で今日まで乗り越えてきたのです。残り少ない時間の中で、三つのことをしっかり行い、誓約を果たせるよう頑張りたいと思います。

 弟子たちは合掌し叩頭して、師父の慈悲深い救い済度に感謝いたします!

 (※)カッサ(刮痧)とは
 カッサは中国の民間療法の一つ。水牛の角・石などでできた専用の板や陶製のさじなどで、皮膚を刺激して新陳代謝を促進する。(デジタル大辞泉より)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/2/17/434434.html)
 
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