【明慧日本2022年4月10日】ある同修は、保釈中に恐怖のあまり身を隠してしまいました。しかし携帯のセキュリティを疎かにしていた為、派出所に所在を知られて連行されました。表面上は、同修の正念が足りず、携帯のセキュリティ対策をしなかったからだと思います。しかし実はもう一つの原因があります。その同修は、子供のことで家庭のトラブルが起きる時、ストレスの為によく「こんなに辛いなら、刑務所にでも入って苦しんだ方がいい」と言っていたのです。このことで他の同修が彼女と数回交流したことがありましたが、彼女は気にしません。そしてその後、本当に懲役3年の不当判決を受けました。
ある若い同修の妹が学校で連行され、圧力で転向させられました。同修が妹に面会に行くと、妹は同修の前で師父と大法を誹謗中傷するようなことを言いました。同修はとても悲しくて、他の同修に「もう生きていけない」と泣きながら話したそうです。2、3回も話したことがあります。しばらくしてこの同修は交通事故に遭い、亡くなりました。
こうした無意識の考えやマイナス思考は、往々にして旧勢力に付け込まれやすく、大きなダメージを受けてしまいます。似たような考えとして「生きても意味がない」等々、これらの法に沿ってない考えのことは疎かにせず、必ず取り除かないといけません。
また病気の関門に直面する時、その一念も往々にしてとても重要です。
例を上げましょう。ある年配の同修が他の同修の家で煉功している時、突然腕の感覚がなくなり、半身が痺れ、口も歪んでしまいました。同修はすぐソファーに座り発正念して邪魔を取り除き、師父に助けをお願いしました。内心でも他の空間での生命とコミュニケーションを取り、善の方法で解決しようとしました。1時間後、同修はトイレに行きたくなりました。他の同修が助けようとしましたが、その同修は断りました。同修は正念が強く、自分の力で何とかトイレに行きました。トイレから戻る時、同修は少しずつ前へ進み、その過程で半身の感覚が戻りました。前後2時間半くらいでこの関を乗り越えたのです。
病気の関門はとても複雑であり、同修一人一人の状況も違います。強い正念を持つことがとても重要ですが、内に向け探すことも大事です。
ある同修の病気の関門が酷く、自分がもう長くないと思い、最期に子供たちを呼び出しました。義理の息子(同修)が彼女に「迫害は主に3つの方面に原因があり、師父や大法を尊敬する方面、色欲心方面、または大法の資源の方面です。どれか方面で漏れがありませんか」と聞きました。同修はじっくり内に向け探し、ようやく思い出しました。1999年の迫害の当初、圧力を受けて大法の書籍を薪の中に隠しましたが、しばらくして腐ってしまいました。自分の過ちを見つけた同修は、師父の法像まで這いつくばり、師父に過ちを認めました。その後、同修はすぐ回復しました。こうして一念を変えることで、生死を分けるような試練に立ち向かうのです。
また、同修が連行して迫害される時、一念の違いによって異なる結果がもたらされます。
ある同修はコミュニティに真相資料を配布する時、管理人に事務所でサインしてほしいと止められました。同修はその場から離れようと思えば離れられたのに、管理人について事務所に行きました。しかし事務所に入った途端にドアを閉められ、警察に通報されました。そして同修は連行され、懲役数年の実刑判決を受けました。
ある同修はバスで真相資料を配布する時に通報され、数台のパトカーにバスを取り囲まれました。同修は「師父と正神、加持してください、資料を見えないようにしてください」と心の中でお願いしました。すると警察たちがバスの乗客のカバンを全て調べたのに、同修のバックに入った真相資料は見つかりませんでした。同修は、無事その場を離れることができました。
師父は「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある、とわれわれは言います。」[1]と説かれています。
迫害に直面した時、邪悪に従ってはいけません。そして恐怖心や、迫害されるという考えを抱いてもいけません。肝心な時の一念が、自分が迫害されるか正念で乗り越えられるかを決めています。
修煉はとても厳粛であり、一見すると単純な一念の違いも、その結果に雲泥の差をもたらします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:「轉法輪」