文/遼寧省の大法弟子・小慧
【明慧日本2022年6月10日】私が法輪大法を学ぶ前はどんな人間だったのしょうか? 正に師父が、「常人の社会では、名誉や利益のために、人と奪い合い、争い合ったりして、睡眠も食事もろくに取れず、身体をひどく傷めており、他の空間から見ると、あなたの身体は骨まで黒くなっています」[1]とおっしゃったような人でした。
私はとても気が強く、何事にも完璧を求め、社会でも職場でも決して自己の利益に対して損をするようなことはありませんでした。家でも全てにおいても絶対的な決定権を握っていたのです。そのため、生きていくだけで心身ともに疲れ果てており、30代で多種の病気を患っていました。しかし1996年、幸運にも法輪大法に出会い、学んでから暫くするとすべての病気が治りました。
幼稚園を開く
私はかつて、幼稚園に勤めていたのですが、幼稚園が破産してしまい、全員が解雇され、幼稚園は個人経営になりました。私は、家を借りて幼稚園を開園し、1人を雇いました。当初は、借りた家の近くにすでに二つの幼稚園ができていたため、園児の募集ができるかどうか不安でした。
その後、法輪大法を学んでいるという理由で、夫が労働教養所に拘禁されている女性同修の話を聞きました。同修は1人で子供を育てており、収入がなかったのです。それを聞いて、私は同修親子をうちの幼稚園に迎えました。同修はとても優しくて明るく頑張り屋さんで、幼稚園をまるで自分の家のようにしてよく仕事をやってくれました。同修はまだ若いので、子供たちからは、「お姉さん」と呼ばれていました。
大法は私の世界観を変えた
私と同修は大法の修煉者なので、厳しく自分を要求し、大法を学んで修めてできた慈悲の心を持って、子供たちに接しました。入園したばかりの子供はとても扱いがむつかしく、泣いてばかりで、ほかの子供たちの昼寝に影響しました。そのため、私と同修は交代で泣き止まない子を抱っこしたり背負ったり、屋外へ連れて行ったりしました。食事をあまり食べない子には、時間をかけて少しづつあげました。
また同修は残りものを捨てず、それを食べていました。私は「残り物を食べないで、新しいものを食べてくださいね」と言うと、同修は「大法弟子は食料を浪費してはいけません。浪費すると罪になるからです。以前、拘置所に拘禁されたとき、私はトイレのすぐそばで食事をさせられました。しかも、与えられた食事の量はとても足りたものではありませんでした」と言いました。彼女は法輪大法を学んでいることで、かつて、中国共産党当局に労働教養処分を科されたことがあったのです。
年少の子供はよく便を漏らします。私はそのたびに悩みましたが、同修はいつも明るい顔をして、「大丈夫です。私がやります」と言ってくれるのです。同修は、袖をまくり上げ便を漏らした子をあやしながらズボンを脱がせるので、私はすぐにお湯を持って行きます。同修はその子を抱っこして手で洗ってきれいにします。手が汚れたりしますが、彼女は嫌な顔は全くしません。
ある日、1歳半の女の子を連れて、入園したいという女性がやって来ました。うちの幼稚園は原則として、2歳以上の子を受け入れています。その子はチーちゃんという名前で、保護者は両親ではなく祖母でした。学校の先生をしているという祖母は、「この子が生まれる前に両親が離婚してしまいました。うちの娘がこの子の母親なのですが、ほかの地方で働いているため私が面倒を見ています。私も仕事をしていますし、1人でこの子を育てているので、どの幼稚園に入園できたとしても心配なのですが、あなたたちは法輪功を学んでおり心が優しいと聞きました。入園しても安心できます」と言いました。困っている私の顔を見た女性は、「保育費を多く出しますから、この子を預かってもらえませんか?」と言いました。
こんな小さい子を受け入れてしまうと、精力をより多く使わなくてはなりません。しかし、私は大法弟子であり、師父から人のためになることをするように、教えられていると思うと、チーちゃんを引き受けることに同意しました。私は「保育費はほかの子と同じでいいです」と言うと、チーちゃんの祖母はとても喜んでくれたのですが、「この子は私以外の人には会わせないようにお願いします」と何度も言いました。チーちゃんの祖母はいつもお迎えが遅れていました。時々、電話で「今日、迎えに行けません」と告げると、本当に迎えには来ませんでした。同修は文句一つ言わず、自分の子供のようにチーちゃんを扱いました。
ある日突然チーちゃんの父親が、チーちゃんを迎えに来ました。私は彼に温かく接しました。チーちゃんの祖母が、「自分以外の人に会わせないように」と言ったことを父親に説明し、理解してくれるようにと話しました。すると、父親はがっかりして、良くない言葉を口にしました。チーちゃんの祖母と父親は、深い恨みを抱いているのが分かりました。私は「チーちゃんの父親がここに来たのも偶然ではない」と考えました。私は椅子を持ってきて父親を座らせ、お茶を入れ、「 あなたが子供に会いたい気持ちはよくわかります。私たちは法輪功修煉者で、真・善・忍を基準としているので、子供さんのことは安心してください」と話しました。
私は父親に法輪大法を紹介し、「あなたはチーちゃんのママと祖母に運命的な出会いで知り合ったので、互いに理解し合うべきです。祖母が1人でチーちゃんを育てるのは本当に大変だと思いますが、元気で可愛く育っています。あなたの子供なのに、あなたは長い間面倒を見ていないし、養育費も払っていません。チーちゃんの祖母の気持ちになって考えてみてください。私の師父は『われわれは、トラブルに直面した時、一歩引き下がれば世界が広々と開けると言っています』[1]と説かれました。ですから、一歩引き下がって、互いに話し合って、敵意や恨みを解消しましょう」と話すと、彼は納得してうなずき、「ありがとう」と言いました。
私はチーちゃんの祖母に電話して、チーちゃんを迎えに来るように伝えました。しばらくすると、祖母がやってきました。その時、チーちゃんの父親は、「お義母さん、ごめんなさい!」と謝りました。しかし、祖母はチーちゃんの父親の顔を見ずに顔を背けました。その時、同修がチーちゃんを連れてきました。チーちゃんの祖母は目に涙を浮かべながらチーちゃんを抱き上げ、「チーちゃん、パパだよ。パパと呼んであげて」と言いました。それを聞いて、私も涙が流れました。チーちゃんの祖母と父親との対立が解消されたのです。そして2人はチーちゃんを連れて帰りました。2人の後ろ姿を見て、「2人の間のわだかまりを解消したのは大法の力だ」と思いました。
「もうほかのところに行かない」
年長クラスに宇新ちゃんという子がいますが、私の保育園に、やめたりまた戻って来たりすることを3回繰り返していました。ある日、宇新ちゃんの母親は、宇新ちゃんを幼稚園の庭まで送ってきましたが、私と目を合わさずに直ぐに帰って行きました。
宇新ちゃんの姿を見た私はすぐに迎えに行くと、宇新ちゃんはすぐ私に飛びつきました。私の腰に抱きつき、小さな顔を私の腕に押し付けて「先生にとても会いたかったの。ママはもうほかのところへ行かなくていいと言ったよ」と言いました。 私は「先生も宇新ちゃんに会いたかったのよ」と言いました。
退園する時間に、宇新ちゃんのママが迎えに来ましたが、母親は恥ずかしそうに「またこの幼稚園に戻ってきました。先生の教え方が上手だからです! 以前、先生たちが法輪功を学んでいるのを知って、子供に悪いことを教えるのではないかと心配していました。しかし、数回の転園で比べてみると、やはりここがしっかり教えているとわかりました。うちの子はここで多くのことを学びました。算数は特によくできて、足し算引き算は本当によくでき、指を折りながら数える必要はありません。『三字経』や詩など、私も学んだことのないものもできます」と話しました。私は「詩は大法師父の『洪吟」です。あなたがいつも子供さんを迎えに来られた時はいつも急がれているようだったので、大法の真実を伝えようとしても伝えられませんでした」と話しました。
そして、私は宇新ちゃんのママに法輪大法を紹介し、真・善・忍の素晴らしさを伝え、三退を勧めました。彼女は「先生の優しさを感じるのです。二度とここから離れません」と言いました。
またある日、牛ちゃんという子の祖母が牛ちゃんを迎えに来ました。幼稚園の庭に入って笑顔で私に朝の出来事を話しました。朝、祖母は夫と喧嘩して、夫のことを怒りました。それを目の当たりにした牛ちゃんが、「婆ちゃん、幼稚園の先生は殴られても殴り返さず、罵られても、我慢するように教えてもらったよ。婆ちゃん、爺ちゃんと仲直りして、法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしいと唱えてね」と祖母に言ったのです。それを聞いた祖父母は笑い、牛ちゃんのいう通り仲直りしました。牛ちゃんの祖母はまた、「牛ちゃんが悪いことをしたら、すぐ『ごめんなさい』と謝るのです。この子は、この幼稚園に入って、かなり成長しました」と話しました。
同じ日、リンちゃんという子の母親もリンちゃんを迎えに来ました。リンちゃんのママは、「うちのリンは病院で点滴を受けたとき、両足を組んですぐに、法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしいと唱えました。ここの幼稚園の子供たちは皆法輪大法は素晴らしいことを知っていますね」と言いました。その後、リンちゃんのママは声を押さえて、「先生たちも気をつけてくださいね。子供たちにあちこちで言わないようにさせないといけませんね」と話したのです。私は「わかりました。ありがとうございます」と言いました。
(続く)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』