文/河北省の学習者
【明慧日本2022年7月13日】1999年、中国共産党による法輪大法への弾圧が始まって間もなく、地元派出所の警官らは法輪功学習者の家を回り、多くの大法書籍を持ち去りました。
その頃、たまたま用事で派出所に行った夫が、この事件に出くわしました。
夫の姉はもともと病気があって、病院で治療を受けてもよくなりませんでしたが、法輪大法を修煉してから奇跡的に健康を取り戻しました。そこで、夫は法輪大法が良いものであることを知りました。こんなに大量の大法書籍が没収されているのを見て、夫には善の念が芽生え、何としても方法を考えてこれらの書籍を守らなければと思いました。
彼はタイミングを見計らって、こっそりとそれらの大法書籍を全部麻袋に入れて、義姉の家に届けました。義姉はまた次々と本を同修たちにあげました。
その後、義姉と他の同修たちは、夫が大きな危険を冒しながら大変素晴らしいことをしたと賛辞をし、「大法による祝福を受けることになるでしょう!」と言いました。夫は「当時、他には何も考えませんでした。ただ、その時の私にはそうする機会があると思ったので、本を持ち出しただけでした」と言いました。
義姉と同修たちが言った通り、夫の善行によって私は大きな福報を得て、二度も癌から回復しました!
1回目は、私が子宮頸がんを患ったときであり、手術を受けた後、すぐに良くなりました。
義姉が修煉してから何度も私に大法を勧め、本までくれましたが、大法の良さを知りつつ、家の仕事を手放せないでいる私は修煉しませんでした。時々、私も大法の書籍や義姉からもらった『明慧週刊』を読んでいましたが、修煉の意欲が湧かず、苦を嘗める決心もつきませんでした。
それから20年以上が経ち、今年(2022年)の1月に、私は突然体調を崩しました。娘に連れられて市立病院に行って検査を受けた結果、私は肺がんになっていて、肺全体ががん細胞でいっぱいなので、手術もできないと医師に言われました。それに、私は以前、子宮頸がんの大手術を受けたこともあって、医師は娘に「あなたのお母さんにこの手術を施すことはできません」と言いました。子供は納得できず、夫に電話しました。
夫が電話で、「手術ができないなら退院しょう。家で保存療法を試してみよう。漢方薬を飲むのも一つの手だ」と言いました。
そのとき、私の頭にはこのような一念が過りました。「家に帰ってから薬も飲まず、どこの病院にも行かず、法輪大法の修煉に専心しよう。仕事に囚われて修煉のチャンスを逃してきて、病院でも治せない病気に罹った今、そろそろ目を覚まさなければならない」と思いました。
子供は泣き崩れていましたが、私は泣いておらず、子供にこう言いました。「泣かなくてもいいよ。家に帰ってからあなたのおばさんのように法輪大法を学ぶよ。そうすればきっと大丈夫」。
家に帰ってから、私は以前義姉からもらった大法の書籍を取り出して、時間がある度に読むようにしました。
また、私は他の末期がん患者のように、毎日ベッドに横たわることをせず、いつもの通り家事をこなしていました。私が病院に断られて、自宅で死を待っていると知った友人や親族はみな、見舞いに来てくれましたが、末期がん患者の様子がまったく伺えない私を見て、びっくりしました!
私は皆にこう言いました。「大法を学んでいなければ、私はとっくに横になって起きられなくなっています!」
現在の医学界は末期肺がん患者に対して、打つ手なしの状況です。しかし、私は日に日に良くなっています。これは法輪大法による福報であり、師父があまりにも多くの苦痛と業力を引き受けて下さった結果なのです。
跪き、師父に感謝を申し上げます!