政法委書記が「三退」リストを持参
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 【明慧日本2022年8月1日】サハラ砂漠は「死の海」とも呼ばれました。ひとたび砂漠に入れば、生きて戻れるか分かりませんが、ほとんどの場合は戻ることができません。しかし1814年、ある考古学チームが初めてこの死の呪いを破ったのです。

 当時、砂漠には骸骨があちこちにありました。隊長はいつも皆に協力してもらい、立ち止まって高台を選び、穴を掘って骸骨を埋め、枝や石で簡単な墓標を建てました。隊員たちは「私たちは考古学をしに来たのであって、遺体を埋葬するために来たのではありません」と文句を言いましたが、隊長は「どの白骨もかつては私たちの同道者だった。荒野に晒されるのは見ていられないのだ」と自分の意見を主張しました。それから約1週間後、考古学チームは砂漠で世界に衝撃を与えるほどの多くの古代遺跡と文物を発見しました。

 しかし、戻ろうとすると突然嵐が吹き荒れ、空も太陽も見えない日が数日続きました。その上、磁気コンパスが機能しなくなり、考古学チームは完全に方向を見失い、食料と水が不足しはじめました。こうした危機に隊長が突然、「絶望するな、来た時に途中で道標を残してあるのだ!」と言いました。彼らは、骸骨を埋めたときに建てた墓標をたどり、やがて死の海を抜け出しました。

 タイムズ紙の取材を受けた時、考古学チームの隊員たちは「善良こそが、自分たちが残した道標です!」と感慨深く話したそうです。

 善良は人間の本来の性質ですが、中国共産党(以下、中共)体制内の一部の者は、名利に駆られ、中共の虚言に騙されて、法輪功学習者(以下、学習者)への迫害に積極的あるいは受動的に参加しました。これは実際に自分の命を砂漠に置いたのと同じであり、極めて危険です。

 学習者たちは、中共の嘘に騙された人々の命を救うために、迫害の実態を伝え続けています。善と悪の間で、迫害の真相を理解した多くの法曹部門の関係者が、中共から独立した考えを持つようになり、中共の迫害命令に従わず、素晴らしい未来を選択しました。

 検査でがんと診断された公安副局長

 50代の建明(仮名)は、ある公安局の副局長を務めています。彼の主な仕事はいわゆる「秩序の維持」で、中共が法輪功を迫害して以来、上からの命令に従って不本意に多くの悪事を働いてきたのです。

 当初、建明は法輪功のことをよく知らず、上から決められた仕事はすべて率先して行いました。地元の学習者は何度も彼に迫害の実態を伝えましたが、彼は聞こうとしませんでした。そこで国内の学習者は明慧ネットで彼の悪行を暴露し、海外の学習者は遠くから電話をかけて、彼に過ちを改めて善を選択することを忠告したので、それが一定の抑止作用を果たしました。

 ある日、建明は親戚の子供の結婚式に出席しました。そこで、彼はある学習者と出会いました。その学習者は、「学習者は真・善・忍を遵守し、この世界で一番良い人です。法輪功は佛法修煉です。佛を修める人を迫害するのは自分自身に良くありません。邪悪な中共の組織から脱退して下さい」と伝え、学習者への迫害に参加しないように心から忠告しました。しかし建明は「仕事があるし、党からは脱退しない」と答えました。

 党員を辞めてはいませんが、建明は何といっても迫害の真相を耳にしました。長年来、多くの学習者と接する中で、彼は学習者がとても善良だとも感じました。

 2018年、建明は学習者に対する不当な裁判を傍聴しました。弁護士の根拠に基づいた弁護を聞いた後、建明は「中国の法律では、法輪功は本当に違法ではないのだ! 長年来、自分は法律に違反して学習者を迫害してきたのだ」とショックを受け、ようやく夢から目が覚めました。しかし、彼は心の中で「今は中国共産党の政権だ。違法だからといってどうなると言うのだ? 無罪だと主張しても、共産党に有罪だと言われたら、どうしようもないのではないか? 裁判所が有罪判決を下したら、相変わらず刑務所に入れられるではないか!」と考えました。

 しかし、ちょうどその頃、建明の身体に異変が起きました。病院で検査をしたところ、がんであることが判明しました。すぐに命に別状はないのですが、大変な打撃を受けたのは言うまでもありません。

 近年、公安局の同僚や派出所の所長、一般の警官が相次いで何人も亡くなったのを見て、建明は「どうして死んだのは若い人ばかりなのだろう?」と思い心配しました。次第に恐怖心に支配され、学習者の「人が治めなければ、天が治めるのです」という言葉が頭から離れませんでした。

 建明は病気を患ったにもかかわらず、「悪報」と言われるのを恐れて、黙って出勤するしかありません。

 その時、友人の妻(学習者)が再び脱退を勧めたので、建明は躊躇せずに中共の組織から脱退することに同意しました。

 ある日、国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官が、年配の学習者を留置場に送ろうとしたとき、建明は偶然にもその場に居合わました。建明は不機嫌な顔で「形式的に手続きを済ませたらいいじゃない」と言いました。国保の隊長は「副局長はもう学習者を拘束して欲しくないのだ」と、すぐ理解しました。

 長年、国保の警官らもある程度の真相を理解しましたが、上からの圧力でどうすることもできず、やらざるを得ません。副局長がそう言ったので、ちょうどよいタイミングだと手続きを済ませて、年配学習者を帰宅させました。

 2019年秋、用事で外出した建明は、部下から「上から『ドアノック』の指示がありました。サインを拒否した学習者はどうしますか? 逮捕するのでしょうか?」という電話を受けました。それを聞いた建明は、「そんなことにかかずらっているのか! 今の時期になってもまだ騒ぐのか?」と少し怒ったそうです。部下はすぐに理解し、学習者の家の玄関の周りを一周してすぐ帰りました。

 武漢肺炎が発生して以来、建明は、学習者が話したことはすべて真実であり、「天は中共を滅ぼそうとしており、中共から遠ざかってこそ、安全なのだ」と確信するようになりました。

 局長「上層部が何と言おうとしても、とにかく逮捕しない」

 法輪功を支持するある警官は、学習者に出会った時、局内で起きたことをこう話してくれました。

 上層部からあなた達を連行する命令が伝達された時、局長は私たちがこのような仕事をしたくないのを知っているので、外から3人を雇ってあなた達を連行させたのです。この3人は長く仕事を続けたいから一生懸命にやり、数日おきにそれぞれ1人の学習者を連行して来て、それから尋問を行いました。学習者が何も言わないと、殴ったり蹴ったりしました。

 私たちはそれを見て、直接言えないので横から「あんな風に人を殴ったらダメだよ。彼らはみんな年寄りだから、あんな風に叩いたら自分たちにとっても良くないのだ」と言ってあげました。

 しかし、3人はまったく聞く耳を持たず、それでも殴っていました。しばらくして、3人とも諸々の事情で亡くなりました。

 それ以来、誰もあなた達を連行しに行かなくなり、みんな避けていました。この状況を目にした局長は「今後、二度と学習者を捕まえない、誰も雇わない。上層部が何と言おうと、ともかく逮捕しない」と言いました。この話を聞いて、局内で明慧ネットを見る人が増え、局長でさえ毎日読んでいるほどです。

 政法委書記が「三退」リストを持って来た

 私の夫は中共体制の幹部なので、私は体制内の人たちと接触することが多いのです。

 ある日、夫が友人と山登りに行った時、私も一緒に行きました。政法委員会(以下、政法委。治安・司法などを統括する機関)書記を兼任する県の副書記から、「どうやってそんなに早く登るのですか?」と聞かれました。私は「私は法輪功を学んでいるからです。修煉して体が軽やかで健康になりました。以前の私は半身不随で、半年近くも寝たきりの生活を過ごしていました。体調も悪く、性格も良くありませんでした。法輪功の師父が私を救ってくださいました。師父は私に健康な体を与えて下さっただけでなく、人間としての心構えや人生の意義を分からせて下さいました」と答えました。

 彼は「そうだったのですか、法輪功はこんなにも素晴らしいとわかりました!」と言いました。そこで、私は彼に迫害の実態を詳しく話し、『共産党についての九つの論評』とほかの資料を渡して、読み終わったら他の人にも読ませて下さいと言いました。その日、彼だけでなく運転手も「三退」しました。

 ある日、この県副書記から、折り畳んだ一枚の紙を渡されました。開いてみると、10数人の「三退」リストでした。『共産党についての九つの論評』や法輪功の資料を読んで徹底的に理解し、友人と親戚にも説明して三退させたのは明らかです。

 人が善良な心を持ち続けることは、幸せと健康への通行許可証なのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/7/15/445510.html)
 
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