――法輪大法の病気治療と健康維持の奇跡的効果
文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年9月25日】世界保健機関(WHO)の国際がん研究機関(IARC)が2021年に発表した「世界の最新がん負荷データ(2020年)」によると、がんと診断された新規患者数は世界で1,929万人。中でも顕著だったのは、乳がんが226万人となったことでした。女性の悪性腫瘍による死亡者数は443万人で、乳がんはそのうち68万人で1位でした。
乳がん患者の中には、様々な事情で法輪大法を修煉して生き返ることができた人もいます。病気で絶体絶命の危機に瀕している方々が、こうした実体験を知ることで、新たな希望の扉を開くことができるよう願っています。
(前文に続く)
一、貿易会社の社員 法輪功で乳がんを克服
林雪さんは、中国の貿易会社の社員でした。2011年、バンクーバーからトロントに引っ越して間もない頃、次男が生まれました。2012年末、彼女の左乳房に大きなしこりが見つかり、検査で早期の乳がんと診断されました。そこで手術で切除し、化学療法を行いました。
大きなショックを受けた林さんは、不安と恐怖に苛まれ、毎日ネットで乳がんと合併症について調べていました。
すると彼女が乳がんを患っていることを知ったバンクーバーの親戚が、電話で法輪大法の修煉を薦めました。林さんは当初、「体にいいからやってみる」と考えて煉功を始めましたが、三日坊主で真剣に学びませんでした。しかし不思議なことに、それでも煉功すると、頭上のエネルギーが強く感じられ、体の健康状態が著しく改善されました。
長い間、病弱だった林さんは、わずか5カ月でまるで別人のように明るく元気になりました。林さんの親戚や友人は、法輪大法の奇跡を目の当たりにして、次々と法輪大法の修煉を始めました。
健康になった林雪さん |
二、英語教師 法輪功の修煉で乳がんが治癒
鄭金蓮さんは、台湾の高校の英語教師でした。退職後はのんびりと、国内旅行したり悠々自適な生活を送っていました。しかし、定期健康診断で乳がんが見つかりました。
約1カ月後に再診したところ、腫瘍はすでにステージ2期に入っており、まず最初に化学療法を勧められました。鄭さんは「化学療法を受けた時、体が弱くなり痛みも強く、死ぬより辛い思いをした」と振り返ります。
3週間後に2回目の化学療法を受けた時には、体の調子がさらに悪化し、体重は10数キロ以上減り、髪の毛も全部抜けました。医師は鄭さんの体の状態から、化学療法が続けられないと予想していました。6回目の時、白血球が減りすぎて免疫力が著しく低下し、命の危険があったため、化学療法を中止しました。
そんな時、鄭さんはふと、教え子の親から送ってもらった2冊の本を思い出しました。1冊は『轉法輪』で、もう1冊は『法輪大法 大圓満法』でした。鄭さんは家で本を読んで法を学び、それから本の動作の写真と説明を見ながら煉功も習い始めました。鄭さんは自分の身体の調子が段々と良くなっているのを感じました。
定期検診では、すべて正常値に戻りました。医師から「今後は定期的に検診を受けるだけで十分です」と言われました。鄭さんは、法輪大法は本当に素晴らしいと感心しました。
退職した高校英語教師の鄭金蓮さん |
三、メルボルンの朱さん 法輪功の修煉で元気いっぱい
今年90歳の朱さんは、メルボルンの法輪功学習者です。穏やかに話す小柄な女性で、今も元気です。
朱さんは、法輪大法の修煉を始めた当初を振り返り、感慨深げに語りました。「1984年、私は乳がんを患い、片側の乳房の切除手術を受けました。1988年、胃の調子が悪く、食事をしても張ったり痛かったりして、とても辛かったです。検査したところ、12指腸潰瘍と胆嚢炎も患っていました。仕方なく手術をして、胃と胆をそれぞれ三分の二切除しました。手術後も思ったように回復できず、体が弱く、体重が20キロ以上落ちてしまい、毎日薬を飲まなければなりませんでした。精神的なダメージも大きくて元気がなく、とても苦しんでいました」
1998年、朱さんは故郷の上海に里帰りしました。「当時、私は骨粗しょう症のため歩けず、さらに尿路感染症に罹り、とても痛くて緊急外来治療を受けていました」と語ります。
そんな時、知り合いの乳がん患者から、法輪功を紹介されました。朱さんは「どんな功でもいいから、私が歩けさえすれば」と思い、翌朝から煉功に行きました。不思議なことに、煉功を数日しかしていないのに、歩けるようになっただけでなく、痛みも消えました。治療も薬もやめましたが、再発することもなく回復しました。それ以降、朱さんは薬を飲まず、全ての病気が治りました。
重い病気で衰弱していた命が、法輪功の修煉で蘇り、すっかり元気になりました。現在、朱さんはメルボルンで、毎日のように人々に法輪大法の素晴らしさを伝えています。
2012年、「7.20」13周年の際、メルボルンの中央広場で |
四、余命1年の乳がん患者 法輪功の修煉で奇跡的に回復
楊秀貞さんは今年72歳です。1996年、楊さんは乳がんと診断され、右乳房を切除しました。手術と2回の化学療法を経て、身体に大きなダメージを受けました。そして頻繁に受けた免疫治療の副作用により非常に衰弱し、腕を上げることもできませんでした。楊さんは、生きる希望すら失っていました。
楊さんの夫は、オーストラリアの友人の紹介で法輪功のことを知り、楊さんに「試してみて」と薦めました。こうして楊さんは法輪功の修煉を始めました。1カ月が経つと、手術の傷口の痛みがなくなり、右腕を上げて、まっすぐに伸ばすことができました。そこで楊さんは、薬と化学療法をやめることにしました。楊さんはますます元気になり、食欲が増え、顔色に血色が戻ってきました。
その頃、楊さんの夫が仕事の関係でアフリカに行きました。戦争で彼は家族と連絡が取れなくなりました。「がん細胞は必ず転移します。余命1年でしょう」という医師の言葉を思い出すと、彼は故郷に帰れないことでとても焦っていました。しかし、戦火が絶えない現実の中で、なかなか帰ることはできませんでした。結局、5年後にようやく家に戻って来ました。夫は元気になった妻を見て「まだ生きているのですね?」と驚きました。妻が本当に生まれ変わったように感じました。以来、楊さんの一家は、法輪功が楊さんの命を救ってくださったと人々に伝えています。
その後、楊さんは中国共産党による法輪功迫害を逃れるために、数々の困難を乗り越え、アメリカにいる夫のところに行き、一緒に生活することができました。
現在の楊さんはとても健康で、人々に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と伝えています。
五、退職の数学教師 大法の修煉で死の淵から生還
山東省寿光市の湯瑞琴さんは、かつて中学校の数学教師でした。教育熱心で真面目に取り組む湯さんは、学校の責任者や同僚からの信頼が深く、学生からも愛されていました。毎年のように県や公社(町)の優秀教師に選ばれ、県の数学教育の達人になりました。
1987年の春、湯さんに乳がんが発見され、省都で手術を受けました。1994年には、子宮摘出術を受けました。度重なる手術で体が衰弱し、ついにはがんが広がってしまいました。湯さんは、情熱を注いだ職場や愛する学生から離れざるを得なくなりました。その時の精神的、身体的苦痛は、想像するに余りあります。
湯さんは、このように語りました。「1996年、新年が始まったばかりの頃、私は死を待つしかありませんでした。そこへ法輪功学習者が、師父の済南での説法ビデオを持って来てくれました。当時、私はどこから湧いてきた気力か分かりませんでしたが、一気に4本のビデオを全部見ました。すると、その場で奇跡が現れました。脇の下の腫瘍がなくなりました。たった数日で生まれ変わったように、心身ともに元気になりました。私はまた普通の人と同じように、仕事ができるようになりました」
湯さんは「大法の本は私の命であり、師父は命を救ってくださった恩人なのです」と感激しました。
法輪功の奇跡が湯さんの体に現れ、周囲に大きな影響を与えました。そのことをきっかけに、たくさんの人々が大法の修煉を始めたのです。
(続く)