ーー法輪大法の病気治療と健康保持の奇跡的効果
文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年10月6日】麻痺は、随意的な運動機能の低下または消失であり、神経系によく見られる症状です。麻痺は本人が苦しむだけでなく、ご家族の負担や苦しみも大きいものです。苦痛に耐えていくことを諦め、極端なケースでは自らの命を絶った人もいます。恐ろしい病気です。
法輪功を修煉する人の中には、修煉によって車椅子に別れを告げて再び立ち上がり、新しい人生を手に入れた半身不随の患者が数多くいるのです。
(前文に続く)
十一、苦境に陥った教師の一家を救った法輪功
黒龍江省大慶市の牟永霞さんは、もう退職していますが、もとは優秀な教師でした。かつては血液病と重度の筋力低下を患って1年余りも歩けず、その後に腎炎や心臓病、胃潰瘍、極度の神経衰弱にかかったこともあります。高齢で双子の息子を出産した後、体調はさらに悪くなり、失神することもしばしばありました。何回か危篤状態に陥ったこともあります。その後、精神錯乱状態となって建物から落ちて半身不随となり、2級障害者と認定されました。
彼女の長男は脳外麻痺、身体障害になるほどの筋肉萎縮および知的障害があり、ウイルス性心筋炎も患っていました。尿崩症がある次男は、父親に殴られて痙攣と高熱を出した後に眼底出血し、斜視になってしまいました。子どもの面倒を見ていた祖母はガス爆発でやけどを負い、実家に連れ戻されました。牟永霞さんは5歳の双子の息子を連れて夫と協議離婚し、死の瀬戸際に立たされていました。
1998年10月7日、彼女は『轉法輪』をもらって読み始めました。すると1カ月後には生活の自立ができるようになり、全身の難病が消えて健康になりました。その後、脳外麻痺を患っていた長男も病から解放され、足を引きずらなくなりました。学力が予想外に上がって四年制大学に入学し、気にいった仕事に就くことができました。
牟永霞さんは吉林省の実家に戻り、88歳の半身不随になった母親を自宅に連れてきて、一緒に学法と煉功を行いました。すると母親はまもなくベッドから降りて歩けるようになり、顔色もとても良くなりました。親友や隣人、同僚はみな驚き、「法輪功は本当にすごい! 素晴らしい! この苦難の一家を救った」と言い伝えました。多くの親友や隣人は、法輪功を学ぼうと彼女の家を訪れてきました。
十二、退職した女性社員:「死んだも同然の人」が再生
私はかつて、湖南省のある電化工場に女性社員として勤務していました。今は退職していますが、当時は「死んだも同然の人」でした。敗血症や喉頭炎、気管支炎、リューマチなどのさまざまな病気に苦しんでいた私にとって、健康に生きることは高望みだったのです。重い体を引きずって職員寮の周辺を移動していると、私はいつの間にか失神してしまいました。職場の同僚が地面に倒れている私を見て、家まで送ってくれることは日常茶飯事でした。
病院に助けを求めましたが医師もなす術がなく、「あなたの場合は薬も飲めないし、注射も打てません。運命を天に任せるしかありません」と言いました。ついに50歳の時、私は粉砕骨折になり、片方の足首の骨を折りました。半身不随になった私は自分の身の回りのことができなくなり、同僚の間では「死んだも同然の人」と呼ばれるようになりました。
人生の終わりを迎えたと思い絶望していたとき、ある偶然の機会が私の人生に転機をもたらしました。2007年8月頃、私の家のドアの隙間に法輪功の真実を伝えるパンフレットが入れられていました。手に取ってじっくりと読んでいくと、読めば読むほど信じられなくなりました。「お腹の大きな女性が『法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい!』と何回か唱えただけで病気が消えてしまうものでしょうか?!」と不信に思った私は、パンフレットを脇に投げ捨てました。
しかしその2日後、歯痛で眠れなくなった私は、パンフレットに「9文字真言(訳注:『法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい!』は中国語で9文字)を唱えれば命が助かる」と書かれていたのを思い出して、試しに念じてみました。すると、いつの間にか私は深い眠りにつきました。目が覚めた時は窓から太陽の光が差し込んでいて、まるで舞台のスポットライトのような眩しさでした。もう遅いと気づき、私はなんとか身体を起こして、ゆで麵を作りました。そしてふと気がつくと、歯痛がまるでなかったのでした。
歯痛だったことを思い出したとき、私は大きな衝撃を受けました。「法輪功は、本当にパンフレットが言っているように、不思議な力があるかもしれない」と思った私は、法輪功を行っている人を探しに行こうと決めました。
私は会社の寮で法輪功学習者を見つけ、『轉法輪』を貸してもらいました。本を読み始めて1週間後、私は顔色が良くなり、すべての病気が消えて心身ともに快適さを覚えました。
1ヵ月後、私を見た職場の同僚はみな、「うわー、『死んだも同然』のあなたが、生きれば生きるほど若くなりましたね。顔は白地に赤みがさして、まるで化粧をしたみたいです。とてもきれいです!」と、驚きの声をあげました。私がかつてベッドに横たわり、死を待っていた人だとは誰も思えませんでした。こうして私は1円もかけず、1錠の薬も飲まずして、病気の無い体を手に入れることができたのです。
十三、20年間使っていた杖を捨てた老父
私の父は内モンゴル自治区の大興安嶺の林業労働者で、クレーンで木材を吊り上げるのが仕事でした。ある時、ワイヤロープが切れて落ちてきた木材に父は倒されてしまい、それ以来、足の感覚を失いました。
1999年6月中旬、父が帰ってきて私の家に泊まりました。学法グループの同修は「あなたのお父さんに『轉法輪』を見せましょう。ご病気に役立ちますよ」と言い、翌日に本を持ってきました。父は「何を見ても無駄だ。もう20年近くになるし、全国の大きな病院で診てもらっても治らなかった。もうこんなもんだ」と言いましたが、私の勧めもあって、とりあえず『轉法輪』を一通り読みました。すると読み終えた父は「これは宝の本だ」と言い、その後に学法グループに行き、同修たちと一緒に師父の済南での説法ビデオを見ました。
ある夜、父は足が炭火に焼かれているように痛いと言い、ずっと叫んでいました。私は「痛いのは師父が体を浄化して下さっているからです」と説明しました。翌日、父は煉功場に行き、壁に寄りかかって30分ほどかけて2式目の功法を煉りました。その日の夜、母が父の服を着替えさせているとき、父の股間にペンで点描したような文字が見えて、私を呼びました。見てみると、それが卍符であることが分かりました。そして父は、何十年も吸っていたタバコをやめました。吸っても味が変だと言うのです。
ある日、仕事から帰ってきた私を見るや否や、玄関に座っていた父は私の幼名を呼び、「見て、見て」と言いながら、両手に持っていた杖を振り上げて独りで立ち上がり、さらに5~6歩も前に歩き出しました。私はびっくりして、その場で立ち竦んでしまいました。父は「歩けるようになった!」と言いました。私は駆け寄って父を支え、涙を流しながら何度も何度も心の中で師父に感謝しました。その感謝の気持ちは、言葉では表現しきれないものでした。
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法輪大法は不思議で殊勝であり、その法力は極めて洪大かつ細微に広がっています。本文で述べた事例は、世間における大法の威力のごくわずかな体現にすぎません。大法は人類に幸福をもたらすことができますが、その不思議さと殊勝さは、人々が返本帰真するためのものです。
(続く)