【明慧日本2022年10月11日】最近、学法をして悟ったことがあり、同修と交流したいと思います。
「真・善・忍は良い人か悪い人かを判断する唯一の基準」[1]を暗記して、急に悟りを開き、トラブルを起こす時、色々な人心に撹乱され、悲しくなり、混乱して、憤りすら生まれ、自分が不公平だと感じます。それは、嫉妬、報復、抵抗等の人心、またはずるい観念で対策を考え、常人の方法で解決した時、暴露されたこれらの行為、観念、人心が宇宙の特性である真・善・忍に合っていないことから生じます。
大法修煉者として、すでに最高の天機を洞察しており、「真・善・忍は良い人か悪い人かを判断する唯一の基準」、「この宇宙の最も根本的な特性は真・善・忍で、これこそが佛法の最高の体現であり、最も根本的な佛法なのです」[1]この法理を理解してから、トラブルを起こす時には真・善・忍の基準に従い、自分の全ての不正行動、思惟などを正すようにしました。
このようにすると物事は非常に簡単になることを気づきました。トラブルを起こし、人心が氾濫しますが、私の第一念は自分の行動や思惟が真・善・忍の基準に合っているかどうかなのです。そうすればその一念で、内に向けて探し、真・善・忍の基準に従い自分を律する正しい道に導き、全てが簡単明白になります。つまり真・善・忍という三文字は無辺な法力を持ち、全ての人心や観念は真・善・忍、大法の前で曝されてしまいます。自分を正すと同時に、このことで自分のいくつの人心が取り除かれ、あらゆるトラブルにとらわれることもなくなります。実際、トラブルや衝突はいくつかの種類があり、家族間、同僚間、同修間等に限られています。あらゆるトラブルは、自分の利益に触れる時、また名利情のもつれに触れる時、真・善・忍の一念が直ちに姿を現し、善悪を区別し、真・善・忍の基準で自分を正すことが自分の本分であることを直ちに知ることができます。真・善・忍に従わなければ間違いであり、してはいけないことなのです。逆に物事は全て真・善・忍の基準に従えばよいということなのです。
最近、私は同修とあることに対して意見が分かれ、人心が大きく動揺しました。同修は私のために言っているので正しいと知っていますが、しかし、納得いかず、議論したくなり、胸が苦しいのです。どうしたらよいか。自分の行動が真・善・忍の基準に合っているかどうかを考えると、自分が何をすべきかが分かるのです。これ以上議論することもない、議論すること自体が法に合っていないからです。
長い間、家族同修との間でもトラブルが発生し、なかなか乗り越えられません。自分の観念を堅持し、自分は正しいと思っていました。実はこの行為も真・善・忍の基準に合っていないので、自分が間違っていることに気づきました。その時、もう自分のために弁解する気持ちは一切なくなり、同修の前で起こったことを話すのは間違っていると思いました。また、同修の時間を無駄にし、口を修めることもできず、そしてすべてのトラブルにおいて、まず自分が真・善・忍の基準に合っているかどうかを確認すれば、どこが間違っているかがすぐに分かります。
これからの修煉で真・善・忍の基準に従い自分を律します。これは自分が自ら真・善・忍の宇宙大法に同化しているのだと悟りました。
師父の慈悲なるご加持に感謝致します。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』