善の心で人を救い、師父が危険を取り除いてくださった
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 文/中国河北省の大法弟子・帰真  

  【明慧日本2022年10月15日】私は74歳で、1997年の後半に法輪大法の修煉を始めました。 その時、親戚から法輪功は善行を行い、良い人になることを教え、病を取り除き健康になるという奇跡的な効果があると聞きました。法輪功を学んで間もなく、私は知らず知らずのうちに、体のいくつかの病気が消えていました。特に、10代の頃から患っていた習慣性便秘、内痔核、眼精疲労、頑固な口内炎はすべて治り、20年以上1つも再発していません。

 以下は、修煉中に起きた奇跡のような出来事の一部で、師父が常に弟子たちを見守って下さっているとわかります。

 他の空間を通って、時間を短縮できた

 2004年、大法の資料拠点(真相資料を作る場所)が次々と破壊されました。その時、師父は資料拠点をあらゆる所で活性化するようにと言われました。大法弟子たちは皆、この責任を感じました。私たちの地域の大法弟子も資料サイトを作るべきだと思っただけで、3日も経たないうちに同修が資料サイトの手伝いを頼みに来ました。

 私は同修Cさんと一緒に資料作りをはじめました。彼女は家庭環境が良く、ご主人も協力的でしたので、資料を作る機械を彼女の家に設置しました。しかし、2カ月も経たないうちに、同修Cさんから「主人が修煉者ではなく、見つかると怖いので、機械を他の場所に移動してほしい」と言われました。 私の家には家族7人が住んでおり、主人は中共の宣伝に騙されていて、私が大法を学ぶことに反対しているため機械を家に置けません。どうしたらいいでしょうか? 資料拠点をなくすわけにもいかず、不安な気持ちでいっぱいでした。

 悩んでいたところ、師父のご啓示でしょう。ふと次女の家を思い出しました。次女の夫の両親は別の地方に住んでいます。二人が出勤すると、普段は昼間、家には誰もいません。しかも次女の夫も大法弟子で、私が真相資料を作ることに賛成しています。師父がこのように按排してくださったことに感謝します。それ以来、私は一人で資料作成の仕事を担いました。

 私はもともと農村の女性で、小学校に数年間通っただけです。これらの機械とパソコンには一度も触れたことがありません。アルファベットもピンインも知りません。当時は、技術の詳しい同修にまったく会えず、資料を作るときは、最初にコピーとインクの入れ方を教えてもらっただけでした。だから機械に問題があったら、どうしたらいいのか全然分かりません。いつも、問題があったら、メモして、次女の夫が帰ってきてから聞きました。時間が経つにつれて、だんだんと模索しながら分かるようになりました。また自分で解決できない問題は、修理屋に出向いて直してもらうこともありました。

 こうして消耗品の購入から機械の修理・購入まで一人でできるようになりました。またインターネットの接続、あらゆる資料のダウンロードと印刷、仲間へのMP3のコピー、お守りやカレンダー、CDやDVDのダビング、そして海外脱党センターへ脱党リストの送信などもできるようになったのです。現在、パソコンを使いこなし、何でもできます。

 最初の数年間は、資料拠点の安全のために、常に一人で行動していましたが、明慧同修の交流が私にとって、とても助けになりました。 毎日、出かけるとき、「大法弟子を迫害する邪悪な生命と要素を徹底的に取り除く」ことを考え、「あなたに恐れ有らば 它は直に抓む 念を正にすれば 悪は直に崩れる」[1]という師父の説法を暗唱しています。

 自宅から資料拠点まで、自転車で30分の距離でした。週に3、4回は行っています。お正月、祝日にもかかわらず、どんなに天気が悪くても、毎週月曜日には必要な教材を必ず時間通りに同修の手元に届けました。以前、大雪が降ったとき、バスやタクシーが運休になり、多くの会社も休みました。しかし、私はいつものように出掛け、往復1時間以上かけ、全然転ばずに、気楽に資料を同修の家に届けました。その時、私は58歳でした。

 2007年の春、私はまだパソコンで資料をダウンロードできなかったので、毎週、同修の家から資料の原稿をもらっていました。その日の朝8時、子どもを幼稚園に送って、同修の家に見本版をもらいに行きました。その日、同修が大法のプロジェクトの交流があったため、彼の家で30分以上待たされました。その後、急いで帰ってきましたが、コピーしようと機械のスイッチを入れたら、コピー用原稿の受け取りを忘れていることに気づき、慌てて取りに戻りました。自転車を思いっきりこいで、7階まで階段をかけ上り、急いで下りました。

 資料を作って階段を下りたとき、時計を見ると、あと5分で11時でした。今日はご飯が遅れると主人に叱られるかもしれません。帰りに、同修に資料も届けなければなりません。同修の家から私の家まで6、7分かかります。後で同修に資料を送るならば、また都合をつけないといけません。

 「どうせ、遅れることになるから、主人に叱られても仕方がない」と思って、帰りの途中に同修の家に資料を届けました。

 私が帰宅すると、主人はまだ仕事中で、時計を見ると11時5分でした。ちょうど食事を作る時間でした。しかし、資料を作り終わって帰るとき、11時5分前でした。10分しか経っていないのに、家に着いているのは不思議でした。

 料理を作りながら思いました。「いつもは8時に子どもを幼稚園に送って、そのまま資料作りに行って、帰ってきてから食事を作る。そうすると時間がギリギリだ。今日は、原稿のある同修の家で30分以上待ち、さらに原稿を忘れて、また取りに行くのに30分以上かかった。それなのに、私は資料もいつも通りに作ったし、食事も時間通りにできた。いつも30分以上かかる道が今日は3分しかかからなかった」。本当に不思議です! それは、師父が助けて下さったのでしょう。師父が私を別の空間に送り、私は他の空間を通って家に帰ったのだと気づきました。師父、いつも弟子を見守って下さりありがとうございます。

 善意で人を救い 師父は危険を取り除いて下さった

 2015年6月のある朝、幼い孫娘を幼稚園に送った後、学法グループに行き、途中で同修の家に寄り、資料を届けました。 まだ時間が早かったので、ついでに道で会った人に真相を伝えました。

 少し歩いたところで、前から1人、30代で身長180センチの若者が来ました。私は彼に挨拶をして、大法の真相を伝えました。 彼は話を聞いて、中国共青団と少先隊を脱退しました。 そして、彼に『共産党についての九つの論評』と他の真相資料を渡してから、私は自分の道を進みました。10メートルほど歩いたところで、その青年は私の後を追いかけ、私の自転車をつかみ、「あなたが渡したものは、国が禁止している法輪功の資料だ」と言いながら、警察に通報しました。

 その時、私はとても落ち着いていて、全く怖くありませんでした。私は彼に言いました。「真・善・忍を信じ、良い人になろうとすることは悪いことではない。それは違法ではない。あなたに真相資料を渡したのは、あなたに真実を理解させるためで、それはあなたを救うことです。善良な人をこのように扱うのは、罪深いことなので、絶対にやめてください。本当にあなたのためにならない・・・」。しかし、彼は私の話にまったく聞く耳を持たなかったのです。

 自転車を置いて帰ろうとしたら、彼は私の腕を掴んで離しません。私の手提げ袋には、師父の新しい経典十数冊や真相資料、そして江沢民の告訴について書いたA4サイズの貼り紙が入っていたのです。私は彼と話しながら、心の中で「この資料を守り、世間の人に大法に対する犯罪を起こさせないようにしなくては」と思いました。

 しかし、そううまくはいかず、すぐにパトカーがやってきました。警官2人が私をパトカーに乗せました。警官2人は、救われるために真相を聞きにきた生命なのだと思い、パトカーに乗ってからも真相を伝えました。

 警察署に着くと、私はパソコンを見ている当直の警官に引き渡されました。「カバンをテーブルの上に置いて、向かいの部屋に入って、しばらくそこにいてください」と言われました。 部屋に入って誰もいないのを見て、どうしようかと思いながら座っていました。「ここは私の居場所ではない。行かねば!」と思い静かに正念を発して、師父に加持をお願いしました。

 そうやって3分から5分ぐらい経ったころ、チャンスがやってきました。警官は、まるで私がこの部屋にいることを忘れたかのように、誰も私のことを気に掛けませんでした。彼らに気付かれないよう、私は迷うことなくそっと警察署から出て行きました。 逮捕されてから無事に歩いて帰るまで、30分余りでした。 今回も、慈悲深い師父のおかげで解決できました。師父が保護して下さったのです。師父ありがとうございます。

 今回の体験を振り返ってみると、最初から最後まで、私は恐怖も焦りも闘争心もありませんでした。私を通報した青年を恨むこともなく、自分や家族がどうなるかということも考えず、ただ純粋に、大法に対する犯罪を起こさせないよう、悪事を阻止しようという思いだけで行動しました。

 ここ数年、自分の歩んできた道を思い返してみると、厳しい迫害や大変な環境にもかかわらず、ここまで来られたのは、すべて師父の見守りとご加持のおかげです。師父は本当にいつも私のそばにおられるのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「恐れ無し」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/1/447256.html)
 
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