文/山東省の大法弟子
【明慧日本2025年3月7日】私は1999年に大法の修煉を始めた女性で、今年62歳になります。2016年から、面と向かって衆生に真相を伝え、三退を勧めることを始めて8年が経ちました。ここで、この期間の体験を師父と同修の皆さんに報告します。
一、修煉を通じて、衆生の偏見を取り除く
私の孫は2歳半のときに、隣村の幼稚園に通うことになり、毎日私が送り迎えをしています。我が家から幼稚園までは約2キロの距離があり、私は毎日4往復しました。その途中、道の何カ所かに穴があることに気づきました。長年補修されず、大型トラックの過剰な往来によって、道路がひび割れ、凸凹になってしまっています。この道は主要な交通路であり、近隣の村の子どもたちが学校へ行くための必須ルートです。保護者たちは車を走らせながら、ガタガタ揺れるたびに不安を感じ、特に雨の日はさらに深刻で、とても困っています。さらに、これらの村々はサクランボやイチゴのビニールハウス栽培が盛んな地域で、ほとんどの家がビニールハウスを持っています。収穫期には、毎日各家庭が市場へサクランボやイチゴを運ぶ必要があり、この道を通らなければなりません。村全体が経済的に豊かなのに、なぜ誰も道路を補修しようとしないのでしょうか?
孫を幼稚園に送るようになって数週間後、私は「自分でこの道を補修しよう!」と決意しました。しかし、どこで石や土を手に入れればよいのでしょうか? 孫を幼稚園に送った後、私は土や石を探しに行きましたが、見つかりませんでした。そこで、自分の畑から数袋の土を運んで道を埋めましたが、まったく問題を解決できませんでした。
ある日、少し離れた場所にある山の作業場で、使われていない土をブルドーザーで押し出しているのを見つけました。私はその土地の持ち主に事情を説明すると、快く許可をもらえました。そこで、孫を送迎する往復の時間を利用して、道端の溝に落ちている石を袋に拾い、穴の底に敷き詰め、その上に土をかぶせて平らにしました。この作業はとても長く大変でした。私は小柄な女性で、こんなに重労働をするのは本当にきつかったのです。半袋ほどの石や土を全力で持ち上げて車に積み、また降ろすたびに、汗だくになりました。
最初の週、私はようやく短い区間の道を修復しましたが、一度の雨でまた崩れてしまいました。しかし、それでも私はあきらめずに補修を続け、経験を積みながら、しっかりと補修し終えようと決めました。その日々の中で、道を通る人々、働いている人、歩いている人、車を運転している人、子どもを学校に送る親たち、市場へ買い物に行く人々など、みんなが私を驚きと敬意の目で見つめていました。あるドライバーは車を止め、窓から顔を出して親指を立て、「素晴らしい!」と言いました。また、別の人は「本当に感謝します」と言ってくれました。特に子どもたちの親たちは、心から感謝していました。
およそ3週間かけて、私は最初の補修作業を終えました。しかし、一部の場所は2回、3回と補修し直す必要がありました。その頃はちょうど9月の終わりで、残暑が厳しく、さらに畑仕事や家事もしなければなりませんでした。
ある親御さんが私に言いました。「やっぱり法輪功を修煉している人は一番素晴らしいし、最も善良です。この道は10年間ずっとデコボコのままでした。貧しい人も裕福な人も誰も気にせず、サクランボやイチゴがダメになっても放置されていました。それでも『文明的で豊かな村』だなんて言われてるんですよ。でも、法輪功を修煉している人が補修してくれました。これを見て、誰も文句を言わないしょう!」
この村の人々はもともと、邪悪な共産党のデマによって法輪大法に対する誤った認識を植え付けられていました。多くの人が真相を聞こうとせず、さらには大法弟子を集団で非難することさえありました。しかし、孫が幼稚園に通った4年間、私は道を補修しながら、この村の人々に真相を伝え続けました。さらに、同修たちが配る真相資料が積み重なったことで、人々の誤った観念が変わり、ついに真相を完全に理解するようになりました。そして、三退を勧めたとき、多くの人々が心から喜んで邪悪な共産党組織を脱退しました。
二、仕事をする中で人を救う
常人の社会状態に合わせるために、多くの農村の大法弟子は出稼ぎに出かけ、機会を利用して真相を伝えて人々を救っています。昨年、私も出稼ぎ族になりました。
仕事を始めたばかりの時、技術が未熟だったにも関わらず、率直に自分の状況を伝え、雇用主に「私は新米です、他の人が1時間12元(約248円)で働いているなら、私も1時間12元で働いてもよいでしょうか?」と聞きくと、雇用主は同意してくれました。私はビニールハウスの中で仕事をしていますので、雇用主一家はほとんど来ません。私は毎日、仕事を始める時間よりも早く作業を始め、終わる時間よりも少し遅くまで働くことで、毎日40〜50分余分に働いています。他の人は、時間にならなければ仕事を始めませんでした。しかも5分でも余分に働いたら賃金をもらおうとしていました。私は日々少しずつ余分に働き、心の中で相手に感謝の気持ちを持ち続けました。お金に対しても細かいことを気にせず、給与を受け取る際に、数元の小銭を受け取らないようにしています。
時々、雇用主の家族が忙しくてご飯を食べられない時があり、私は自分の家で作った豚まんを持って行って食べてもらいます。そんな中で、私は彼らに大法の真相が録音されたMP3を渡しました。彼らは喜んで受け取ってくれました。
私は一念を発しました。「私はお金を稼ぐために働くのではなく、衆生を救うために働いている。出稼ぎに出るたびに何か成果を得なければならない」。だから、私は一つの家で働く際、その家の人々に真相を伝え、三退を勧めた後、次の家に行ってまた同じように働き、真相を伝え、三退を勧めて、また次の家に移っていました。
農村の人々は大部分が純朴で、勤勉で、善良です。私が知恵を持って彼らに真相を伝え、心のわだかまりを解いた後、大多数の人々は邪悪な共産党組織から脱退することに同意してくれます。時には、仕事を終えて家に帰る途中で、3、4人、または7、8人を三退させています。これらすべては師父があらかじめ按排してくださったことであり、私たちはただ出かけ、真相を伝えるだけです。大切なのは、この過程で修めて自分の恐れる心を取り除き、慈悲の心を修めることです。
三、日常生活の中で法を実証し、衆生を救う
私たちの言動の一つ一つが、大法弟子の姿を表しています。衆生はそれを見ているので、正念を持って正しく行い、善の心を持って行動することがとても重要です。特に、独居の高齢者や仕事ができない障がいを持つ人々に対して、私はよく野菜や果物、豚まんなどを差し上げ、できる範囲でお手伝いをしています。
昨年の麦の収穫期、ある晩、同修の家を訪ねたとき、彼女の平屋の屋根に干してあった麦がまだ片付けられていないのを見ました。私は「天気予報では今夜雨が降るそうだから、麦を片付けたほうがいいよ。本当に雨が降ったら大変だよ」と言いました。しかし、同修は「大丈夫、まだ星が見えているし、雨は降らないよ」と答えました。
しかし、深夜2時ごろ、雷鳴がとどろき、突然の大雨が降り出しました。雷の音で目を覚ました私は、急いで服を着て同修の家へ向かいました。暗闇の中、稲妻が光った瞬間、麦の中に立ち尽くす村人Aさんの姿が見えました。彼は病気で作業ができず、あまりの焦りで息も絶え絶えでした。私は同修の家に行くのを後回しにし、彼の手からスコップを受け取り、麦の収穫を手伝いました。
そのうち、彼の息子も駆けつけ、一緒に懸命に作業をし、なんとか麦を収穫できました。もし間に合わなかったら、大雨で麦がすべて溝に流されてしまうところでした。雨は降り続き、私たちはずぶ濡れになりましたが、息をつく間もなく、私は再び同修の家へ向かいました。
その後、Aさんは村人に会うたびに「法輪功を学んでいる人は、本当に心が優しい」と話していました。そして、彼と息子、そして息子の妻も喜んで三退しました。
今年(2024年)夏休みのある日、私は孫を連れて出かけ、真相を伝え、三退を勧めていました。村に入ると、7、8人の女性が石のテーブルを囲んでおしゃべりをしていました。私たちがそちらへ歩いていくと、その中のふくよかな女性が「誰かをお探し? 何の用事?」と聞きましたと。私は笑顔で答えました。「皆さんに福と平安を届けに来ました」。そして彼女たちに真相資料7、8部を渡しました。
その女性は「それは法輪功でしょう? 実は、法輪功の『真・善・忍』はとても素晴らしいです。彼女たちは良いことをして、善い人になろうとしている。私はとても賛成だし、支持します」と言いました。私は「どなたか字が読める方がいらっしゃいますか? これを差し上げますので、ぜひ読んでみてください。読んだ方には福が訪れます」というと、その女性は「私たち全員ほしいです。みんな要ります」と言いました。
私は、80歳か90歳くらいの年配者二人に冊子を渡そうとして、一瞬ためらって尋ねました。「おばあさん、字が読めますか?」。そのうちの一人が大きな声で「読めなくてもほしいです。うちには旦那もいるし、息子や孫も字が読めます。良いものをもらわなくては!」と言いました。もう一人のおばあさんも手を差し出して求めたので、私は急いで冊子を手渡し、三退を勧めました。すると、二人とも三退に同意しました。
私は三退の名前をメモし、彼女たちに「時間があるときに『法輪大法は素晴らしい』『真・善・忍は素晴らしい』と唱えてください。そうすれば福が訪れます!」と伝えると、彼女たちは声を揃えてお礼を言いました。私が孫にお別れの挨拶をするよう促すと、孫は小さな手を振りながら「おばあちゃん、叔母さん、さようなら!」と言うと、彼女たちも嬉しそうに手を振りながら「さようなら!」と言いました。