トラブルを見たとき、第三者も自分を修める
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年3月12日】先日、明慧ネットに「中国の同修は海外の電話プロジェクトへ参加しないでください」という文章が掲載されました。これを読んで自分が悟ったことを交流したいと思います。

 師父が説かれた、中国国内では広範囲に協調してはいけないこと、大きな資料拠点を設置してはいけないことについて、長い間理解できませんでした。大法弟子が師に手伝い法を実証することは衆生を救うためではないでしょうか? 大きな資料拠点を設置したほうがより便利ではないでしょうか? 方法にこだわらず、衆生を救うことができればそれで良いのではないでしょうか? また、海外の電話プロジェクトは長い間効果が非常に良かったのですが、なぜ中国国内で広めてはいけないのでしょうか? 衆生を救えれば、迫害されても何を恐れるのでしょうか? 「たとえ雲が日光を遮ろうとも、私は剣を抜いて突き破るであろう」と私はずっとこのように思っていました。

 そのため、この「中国の同修は海外の電話プロジェクトへ参加しないでください」と題された文章が発表されたとき、私は自分には関係ないと思い、賛成しなければ反対もしない、中立の立場を守るという態度を取り、師父の説法を忘れてしまいました。

 「私はいつも皆さんにこのことを話しています。つまり、二人の間にトラブルがあった時、『私に何の問題があるのか?』と各自が原因を探し、みな自分にどういう問題があるか探すべきです。もし第三者が彼ら二人のトラブルをみたら、その第三者も偶然にそれを見たのではないと私は思います。『どうして彼らのトラブルが私に見えたのか? 私自身にも不足しているところがあるのではないか?』と第三者であるあなたまで考えるべきです。このようにすべきです。しかし、皆さんはトラブルに遭ったら、それを外に押し出して相手の弱点や欠点を探していますが、これは正しくありません。これによりあなたが大法の仕事、大法に損失をもたらすことになります。皆さんは大法や大法の仕事を口実にして、自分の足りないところを取り繕っており、自分の執着を覆い隠していると思ってみませんでしたか。他の人がしたことが良くないと思って心がすっきりしない時、『どうして私の心がすっきりしないのか? 本当に彼に問題があるのか? それとも私自身の心の問題なのか?』とあなたは考えるべきです。しかもそれをよく考えるべきです」(『米国西部法会での説法』)

 師父は、「トラブルの前でまず自分の原因を探し、自分を正すことができれば、つまり乗り越えたことになります。各種の試練の中で執着を放下できれば、乗り越えることになります。もちろん、乗り越えてもその程度が違います。全てできる学習者がいますが、表面だけはやり遂げても、心の中でまだ放下できない学習者もいます。また、見かけはよくできましたが、心の中でまだすっきりしていません。つまり少し残っているのです」(『オーストラリア法会での説法』)と説かれました。

 この部分の説法が心に響きました。明慧ネットはめったに文章を赤い文字で示したりしません。しかし、この文章はいくつもの部分が赤く表示されていました。それはつまり、中国国内でこのように広範囲で電話プロジェクトを行うと、必然的に邪悪の注意を引き起こし、大法弟子への迫害がさらに酷くなり、また、迫害に参加した常人たちも救われなくなるからです。迫害された大法弟子の修煉も大きく影響されるでしょう。師父はすべての衆生を済度しようとしています。これには迫害に参加した真相を知らない人々、そして、私たち大法弟子も含まれています。

 海外の電話プロジェクトが中国に向けて電話をかけて真相を伝えることは、本来、海外の大法弟子が中国国内の大法弟子を支援し、厳しい環境の中にいる同修たちの重荷を分担し、ともに衆生を救い済度する役目を果たしているのであり、逆に海外の同修たちの負担を増やすことではありません。

 師父は「多くの人は高い次元にいる人の言った言葉の本当の意味を知らず、高い次元、高い境地にいる人がどんな境地にいるのか、彼の思想状態がどんなところにあるのか、などについて何も知らないのです」(『轉法輪』)と説かれました。

 中国共産党が解体するまで、中国には佛学会も煉功拠点も総責任者もいないということは、「至る所に花が咲き」全員が協調人となり、これは師父が与えてくださった最大の慈悲であると私は思います。師父が許しておられないのに、やりたいことを自分勝手にやろうとしないでください。邪悪に隙を突かれて、修煉を台無しにしないよう、気を付けましょう。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/4/473862.html)
 
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